お姫様と舞踏会
「あ~きらくん」
早朝。
教室に着くなり、どこか甘ったるい声がした。
何事かと思って振り返ると、そっと両手で頬を包み込まれた。
「わあ。ほっぺあったかーい!」
姫川が八重歯を覗かせながら、からかうような、いたずらを楽しむような笑みを浮かべていた。
しかも何が楽しいのか、俺の頬の感触を楽しむようにぺちぺちと叩いている。
……それにしても女の子の指って、めちゃくちゃやわらかいよな。男のごつごつとした手と大違いだし、まるで別の生き物みたいだ。
姫川の指の触感に戸惑いながらも、口を開いた。
「何やってんだ……?」
「ねえ、陽君は知ってる? ほっぺが暖かい人は、普段からエッチなことを考えてるから暖かいんだって」
「は、はあ!?」
見透かされたような言葉に、どきっとなる。
べ、別に姫川の手がどうこうとかそんなこと考えてねーし。
「どこ情報だよ」
「ウチがいま考えました」
「なんだよ、それ」
「ちょうど陽君がエッチなこと考えてそうな顔してたから」
「そんなわけないだろ」
「でも、ドキドキしたでしょ?」
「ドキドキしない」
「えー、ほんとかなぁ?」
「ほんとだよ」
呆れてため息が漏れる。
それを見て、姫川がぺろっと舌を覗かせてくる。
……ていうか朝からいきなりめっちゃ馴れ馴れしいなこいつ。
冬葵に背後から抱き着いて百合百合してるのを見たことはあるけど、それに近いことを俺にもやってくるとはな。
おそらく数日前に友達ならぬ、とあともになったことが姫川の馴れ馴れしさの原因なのだろうけれど。
すくなくとも異性の男相手にそんなことをした素振りは一度もない。ましてや俺と姫川は積極的に話すような間柄ではなかった。
たまに何かのきっかけで移動授業で一緒になったとき、一言や二言話すことはあっても、陰キャの俺は陰キャらしく、陽キャを避けて教室の片隅でおとなしくしていた。
だというのに……これは明らかに異常だ。
だからこそ何かあったのかと言わんばかりに、俺と姫川へと好奇の視線が教室のいたるところから突き刺さる。
冬葵も俺たちを気にしているのか、本を読むふりをしながらも、ちらちらとこちらを窺っている。
姫川はそれに気づいているのかいないのか、楽しそうな笑みを浮かべている。
これ以上はやばい。
本能が警笛を上げる。
俺と姫川の間に、よからぬ噂が立つ前にくぎを刺さなければ――
「おい、姫川。用が無ければ帰ってくれ」
「なんで? 用事がないと友達は喋っちゃいけないわけ?」
「いや」
「そっか、そうだよね……友達だと思ってたのはウチだけだったんだね」
姫川は悲しそうにうつむいて、形のいい唇をしょんぼりとすぼめた。
さっきまで笑っていたかと思えば、泣き出しそうな顔になる。
姫川の急変に、焦る。
苦手だ。
女の子の泣き顔を見るのはたまらなく辛い。
泣きそうになる女の子を見ると、あのときの冬葵が脳裏によぎる。
財布を無くして立ち往生している顔。
俺に迫られた恐怖で震えていたときのことを否応なしに呼び起こされるから――
「だから……そういうわけじゃなくてだな」
どうしていいものかと頭を掻いていると、姫川が声を上げて笑い出した。
いたずらに成功したことを喜んでいるかのように、小悪魔みたいな八重歯を覗かせて笑っている。
「ウソウソ。そんなに困んないでよぉ」
「嘘って、お前なぁ……」
まったく、なんなんだこいつは。
心配して損した。
「気をつけなよ。女の演技を見破れないようだと、悪い女に騙されちゃうよ」
「ああ、嫌というほどわかったよ。お前が悪女だってな」
「そういう陽君は良い人だね。ウチを疑いもせずに、気遣ってくれようとしてたし」
やっぱりウチの目に曇りはなかった、としきりに頷いている。
「ねえ。陽くん」
「なんだよ」
「あのね……」
ここからは内緒話だというふうに、姫川が小声で囁いた。
一応こいつにも周囲を気にする配慮はあるんだなと思いながらも、耳を傾けた。
「ウチも冬葵ちゃんの夢に協力することにしたから。もちろん本人から許可もらってるよ」
冬葵の夢というと小説のことだろう。
俺と冬葵は、小説のネタ集めのためにあれこれと奔走している。
まだまともなネタを集められたことはないけれど。
「そういうわけで、ウチもお手伝い2号として頑張るからよろしくね」
正直なところ行き詰まりを感じていたので、協力者が増えてくれるのはありがたい。
冬葵の繊細な部分に触れるので、公に協力者を募ることは出来ないし……それだけに理解者の姫川が手伝ってくれるのはありがたい。
それが姫川という行動力の化身のようなやつならば、格段にネタ集めも捗ることは間違いない。
姫川ならば俺よりも冬葵と付き合いが長いだろうし、俺が気づけないような細かな機微にも気を回してくれるだろう。
これ以上ないくらい頼もしい助っ人だ。
「ありがとう。助かるよ」
「なに、お安い御用だよ。だってウチら、とあかわ連盟だもんね」
「とあかわ連盟……?」
「とあちゃんかわいい連盟のことだよ」
「とあとも、じゃなかったのか?」
「細かいことはいいの。ま、とにかくそういうわけだから」
内緒話はこれで終わりだと言わんばかりに、姫川は声のトーンを張り上げていく。
しかも教室に響き渡るような大きな声で――
「また後で、ね!」
そんなことを叫ぶと、踊るような足取りで自分の席へと戻っていった。
受け取り用によっては逢引きの約束に聞こえたりと……意味深に聞こえるようなセリフである。
そのせいか周りからの視線が痛い。
「姫川さんが男子とあんなに楽し気に話してるだなんて……」
「ていうかあの男子、誰だよ。うちのクラスにいたっけ」
「沢野ってやつだよ。ほら、いつも端っこにいる」
「あいつ、まさか姫川と冬葵の仲を引き裂くつもりか?」
「百合の間に挟まろうだなんて、不遜なやつね」
好き勝手に色んなことを囁かれている。
姫川のやつ……最後にいらないことをしやがって。
当の本人は自席でくすくすと笑いを押し殺している。
あいつは自分の影響力がもたらすものを熟知している。
俺も含めた外野どもが、自らの発言で好き勝手に踊らされている様子を楽しんでいるのだ。だからわざと目立つように、あんなことを大勢の前でやってのけたのだ。
そんなことをして本人に何のメリットがあるのかは分からないけれど。
……やっぱりあいつは将来、大学でオタクの心を弄んでいくつものサークルを崩壊させそうだ。
うんざりとした気持ちで自分の席についたとき――ばんっと机を叩かれる。
「おい、沢野!」
「うおっ、びっくりした! ……って、なんだ霧谷か」
「なんだじゃねえよ、なんだじゃ! さっきのアレはなんだ! お前、アレか。姫川とデキてんのか?」
霧谷は息を荒げながら、俺にじりじりと詰め寄ってくる。
まったく……姫川といい霧谷といい、朝からほんとうに騒がしいやつらだ。
俺はもう何度目になるかもわからないため息を吐きながら、言う。
「違うよ」
「嘘つけ! 姫川とお前があんなに仲良くしてるの見たことないぞ!」
まあ……そうだよな。
俺だって姫川からあんなにグイグイ来られるとは思ってなかった。いくら友達になったとはいえ、あそこまで距離感バグったことをしてくるとは想像すらできない。
何かあったと思うのが普通だろう。
恐るべし、姫川。
「なあ、沢野。俺とお前の仲だろ? 俺にくらい話してくれよ」
「……わかったよ」
はあ、と息を吐く。
そこまで言われてしまったら親友として話さざるを得ない。
「食パンくわえて曲がり角でぶつかったら、いつの間にか仲良くなってたんだ」
「は? 何いってんだ、お前?」
頭おかしいんじゃねえのかこいつ、みたいな目で見られた。
「やっぱこの間の風邪、治ってないんじゃね? それどころかどんどん悪化して脳まで汚染されてんじゃね?」
そこまで言う?
……言うよなぁ、やっぱ。
曲がり角でごっつんこして仲良くなんてなれねぇよな。
普通に事故だし、下手すりゃ互いに憎しみ合うまであるし。
やっぱ姫川はおかしなやつだ。
「まあなんでもいいけどよ。お前、姫川と仲いいならさ、姫川のライン教えてくれよ」
忘れかけていたけど、霧谷は姫川にぞっこんなのである。
毎日、女子トイレの前で待ち伏せて「やあ奇遇だね!」と声をかけている猛者だ。
こいつ、はやく捕まんねえかな。
「……本人に許可取ってからでならいいけど」
そう、俺と姫川は先日のファミレスで連絡先を交換していた。
友達ならこういうの知ってるもんでしょ、という感じのノリでいつの間にか交換させられていたのである。
俺のスマホに二人目の女子の連絡先が登録された記念すべき瞬間だった。
「ありがとよ。恩に着るぜ」
予鈴が鳴った。
そろそろ席に着かないと担任がやってくる。
席に戻ろうとする霧谷の背中を呼び止めた。
「あ、待って。そのかわり、霧谷にお願いがあるんだけど……」
「お、珍しいな。沢野が俺にお願いだなんて」
「うちの学校で、捜索依頼が出てる生徒って調べられるか?」
今まで気にしていなかったけれど……冬葵が家出をしてから数日が経っている。
実家から行方不明届が提出されてもおかしくないはずだ。
一応俺もテレビや新聞、地元のネットニュースなどを漁ってはいるけれど……探し方が悪いのか、それらしき情報を目にしたことはない。
その点、霧谷はめちゃくちゃネットに強い。
毎日有名人のエゴサをして裏垢や過去のブログなどを突き止めたりお手の物だ。
はっきり言って褒められるような奴じゃないけれど、こいつの情報収集能力だけは天才的だといってもいい。
だからこそ霧谷に頼ったというわけだ。
「別にいいけどさ。なんでそんなことを?」
霧谷の疑問は当然のものだ。
普通、そんなことを気に留めるやつなどいない。
かといって、冬葵が家出をしていて俺の家に泊まり込んでいる……なんてことを馬鹿正直に話すわけにもいかないし。
だから――
「実はその……俺、ラノベ書いててな。その資料に欲しいかなって思って」
咄嗟にそんな嘘をついていた。
「なるほどな。前から好きだとは思っていたが、ついにそっちに手を出すとはな」
霧谷は納得がいったとばかりに柏手を打った。
本当は書いているのは俺ではなく冬葵の方なのだけれど。
俺がラノベ好きだったことが幸いしたらしく、疑っている気配はない。
「そういうことならお安い御用だ。一肌脱いでやろうじゃないか」
「ありがとう。助かる」
「いいってことよ。ただし、ラノベが完成したら俺にも見せてくれよ」
「ああ、いいよ」
多分それが叶う日はないんだろうなと思うと……少しだけ胸が痛んだ。
「それと姫川のライン、頼むぜ」
「うん。許可取ってからな」
霧谷はにやっと白い歯を見せつけると、自分の席に戻っていった
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