潜入
岸園は電車で移動し、40分ほどで駅に降りた。
奇しくも俺と同じ方面である。
てっきり俺の最寄り駅で降りてそのまま留守の冬葵に嫌がらせをしに行くのではとハラハラしていたけれど。
岸園が降りたのは俺の最寄りから、4駅も手前だった。
徒歩で結構な距離があるとはいえ……来ようと思えば来れる範囲だ。
岸園から10メートルほど距離を取り、その背中を追う。
駅から出て、近くのコンビニで買い物を始めた。
女性用のファッション誌を立ち読みしてから、お菓子やペットボトルを手に取り、レジで会計を済ませてから大通りに出た。
おそらくいつも通りの行動なのだろう。
なんというか、意外だ。
真面目を絵に描いたような岸園に、帰りにコンビニに寄って買い物をするイメージがなかった。
寄り道なんてせず、真っすぐ帰宅するイメージがあったから。
そういった行為を嫌っている印象が強かった。
今の岸園からは、鬼の風紀委員長と呼ばれる鬼気迫るような雰囲気がなかった。
つい先ほど、たったひとりで空手部の部員たちを叩きのめしたとは思えない。
どう見ても、普通の女子高生そのものだ。
とにもかくも岸園がこちらを警戒している様子はないし、気づいてる気配はなかった。
まだ気を抜いてはいけない。決して気取られてはならない。
そうして後をつけてしばらく、岸園は団地を歩いていた。
年季が経っているのか、建物の外壁が薄汚れており、どこか寂しいイメージが漂っている。
おそらく彼女はこの団地に住んでいるのだろう。
親が警察官のお偉いさんと聞いていたからもっと華やかで裕福そうな場所に住んでいると思っていたけれど……
団地内の公園で、子供たちが遊んでいる。
そのまま横を素通りするかと思われたが……意外なことに、子供たちが岸園の姿を認めると、ぱあっと顔を輝かせて駆け寄っていった。
「あ、奈津乃おねえちゃんだ!」
「奈津乃おねえちゃんあそんであそんでー!」
あれよあれよという間に、団地中の子供たちが岸園に群がってくる。
てっきり俺は、ドスの利いた声で「邪魔だ! ガキども!」と大人げない恫喝を上げて追い払うのだと思っていた。
けれど岸園は。
嫌な顔を浮かべるどころか、楽しそうな笑顔を浮かべた。
「はいはい、押さないの。おねえちゃんはいま帰って来たばかりで疲れてるんだぞ」
「やだー、あそぼうよー」
「こらっ、誰だ。どさくさに紛れて私のおっぱいを触っただろう」
「いいじゃんいいじゃん。減るもんじゃないしー」
「全く……そんなことをするおませさんには、倍返しだー!」
「きゃははははっ、やめてよおねえちゃんくすぐったいよー!」
わしゃわしゃと子供たちの胸をくすぐり始めた。
子供たちが、くすぐったそうにケラケラと笑い声を上げながら、身をよじっている。
俺は電柱に身を隠しながら、そんな光景に、ぽかんと口を開けていた。
「はあ……?」
あれ、本当に委員長なの?
口調が違う。というかキャラが違う。
むしろ子供相手にも怒鳴り散らして、大人げないことをすると思っていたのだが。
あんなに子供相手に好かれてるとは思わなかったし、隙だらけの笑みをさらす人だとは。
岸園に成り済ました別人だと言われた方が、まだ信じられるというものだ。
「俺は一体……何を見ているんだ?」
やっぱり岸園は無関係で、別に犯人がいるのではないか。
だとしたら俺のやっていることは他人のプライバシーを覗き見しているヤバイ奴だ。
そんな思いが過ぎりかけて、首を横に振った。
俺の覚悟はその程度だったのか。
……思い出せ。
冬葵の涙を、綾藤の願いを。
彼らのためにも、彼らの想いを思えばこそ、いま退くわけにはいかない。
俺には岸園が一連のストーカー事件の犯人だという確証があった。
その証拠をつかむために、俺はこんな犯罪まがいの行為に身をやつしているのだ。
だから、最後まで見届けなければならない。
岸園は子供たちと10分ほど遊んでから、その場を後にした。
俺はその後をつける。
岸園はマンションのエレベーターに乗って、上に移動する。マンションの液晶画面が5階で止まったのを確認してから、俺も同じ階層へと登る。
5階に着いたが、岸園の姿は見えない。
もうすでに自分の部屋へと戻ったのだろう。
表札を確認しながら、岸園の住む部屋を探し歩き、端っこの方――508号室に目的の部屋を見つけた。
岸園、と書かれているからここで間違いないだろう。
だが問題は――
「……どうやって中に入ろう」
いや、駄目だ。それではこっそりと後をつけた意味がない。
そもそも素直に招き入れてくれる保証はないし、証拠を隠される可能性が高い。
ではドアを開けるか?
ドアレバーに手をかける。
だが鍵をかけているだろうし、このまま開くなんてことは――
「あ、開いた……!?」
意外なことに。
ドアが音を立てて開き、中から生温い風が入り込んでくるではないか。
「おいおい……嘘だろ」
いくらなんでも不用心に程がある。
ごくり、と唾を飲み込む音がした。
しかし、これは好機だ。
鍵が開いているなら、中を調べられる。
いまを逃す手はない。
だけどこの中に入るのは明確な犯罪行為で、不法侵入となる。
これで俺はもう、引き返せない。
学生鞄からカッターを取り出し、ポケットにしまう。
だけど最初に引き金を引いたのは。
……岸園、あんたの方だ。
「恨むなよ、委員長。鍵をかけてないあんたが悪いんだからな……」
音をゆっくりとドアを引きながら、なんとか自分の身体をくぐらせる。ドアレバーを下に倒したまま、音を立てないように神経質になりながらドアを閉めた。
よし、気づかれてはいない。
薄暗い廊下を、抜き足差し足で、息を殺しながら進んでいく。
みしみしと板張りの床が軋むたびに、びっくりと身体が止まる。
緊張のせいか、肺がずっしりと重く感じる。
……生きた心地がしない。
息の吸い方ひとつさえものすごく気を遣う。
途中のドアに差し掛かったところで、中から水音が聞こえた。
トイレの音ではない。シャワーか何かで洗い流すような音が継続的に響いている。
ということはここは浴室で、岸園は入浴中だろうか。
それならひと安心だ。
冬葵も入浴時間は長い。
女の子は風呂にたっぷりと時間をかけるし、しばらく出てこないだろう。
これなら気づかれずに証拠の捜索できそうだ。
でもまだ気は抜けない。同居している家族がいる可能性もある。
浴室は無視して、奥のリビングへと向かう。
てっきり団らん用の長机があるのだと思っていたけれど、そこには何もなかった。
机も。
椅子も。
テレビも。
本も。
冷蔵庫も。
照明も。
文字通り、家具がひとつもない。
そこにあるのは、ぽっかりとした空きスペースだけ。
生活感というものが根こそぎ抜け落ちている。
およそ人間の住む部屋とは思えない。
「……一人暮らしなのか?」
薄気味が悪いけれど……とにかく、岸園以外に人がいなさそうなのは好都合だ。
これなら他を気にする必要はない。
薄闇の向こうにドアが見えた。
おそらくあそこが岸園の自室だろう。
ドアを開けて、中に入る。
足を踏み入れて。
――絶句した。
そこにはパソコンのモニターらしき画面が、いくつもあった。そこには見ず知らずの顔ぶれが映されている。
40代ほどの主婦らしき女性が健康番組を見ながらストレッチをする姿。
机で勉強しているふりをしながら机の下で漫画を読む子供の姿。
お笑い番組を見ながら酒瓶を片手に腹を抱えて笑っている中年の男性など。
ありとあらゆる場面が映し出されていた。
……最初は何かの映画か、テレビ番組かと思った。
だけど映像のひとつに、先ほど岸園と遊んでいた団地の子供が映されていることに気づいた。
おそらく映像は、このマンションの住人の日常を映しているのだ。
ごーっ、とモーターの回る音が聞こえる。デスクトップPCが稼働している音だ。あれでおそらく、今現在も見ず知らずの他人の生活を録画し続けている。
極めつけには、壁全体を埋め尽くすように、冬葵の写真がいたるところに貼りつくされていた。
たぶん、盗撮だ。
どの写真も冬葵がカメラの方を向いていないのが物語っている。
通学途中だったり、机に座って黒板をノートに書き写していたり、教師にあてられて問題に答えている姿や、掃除当番で箒がけしている姿、野良猫の頭を撫でている姿。
そして、俺の家らしき場所でエプロンをして、料理をする姿まであった。
「――――」
声が出ない。
あまりにも異様な光景に、俺はただただ立ち尽くしているしかなかった。
まさか本当に当たりを引いてしまうとは。
……そうだ。
呆けている場合ではない。
証拠だ。俺は証拠を探しに来たんだ。
俺はスマホを取り出し、カメラ機能で撮影を始める。
この部屋のありとあらゆるもの全てが、岸園がストーカーであることを証明している。
ならばこれを警察に届け出れば……。
「――
響いてきた声に、背筋が震えあがった。
振り返る。
薄闇の向こうに、岸園がいた。
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