行方不明
電車の中。
学生やスーツを着た大人たちで溢れかえっている。
いわゆる朝のラッシュというやつだ。
もう一種の拷問なんじゃないかってくらいすし詰め状態になった車内で、俺は苦しい思いを堪えながらもスマホを片手に、とある人物とラインでやり取りをしていた。
霧谷海斗:『よう、沢野』
沢野陽:『どした』
霧谷海斗:『前に頼まれてたやつ、データ集め終わったから送っておくぜ』
沢野陽:『頼んでたやつ?』
霧谷海斗:『なんだよ、お前から依頼しといてもう忘れたのか?』
霧谷海斗:『ほら、うちの学校の、捜索依頼が出てる生徒のリストだよ。よくわかんねーけど、ラノベの資料に使うんだろ?』
ああ、そうだ。
たしかに頼んでいた。
ときどき忘れそうになるが、冬葵は家出中の女子高生だ。
その彼女の捜索願が出ているかどうか、その有無を霧谷に頼んでいた。
けれど冬葵が家出をしていて、俺の家に同居しているという話は誰にも内緒だ。
だから冬葵個人を調べて欲しいとは言い出せず、うちの学校で……というかなりぼかした言い方になってしまったが。
ぼかしてしまっただけに、調査範囲が全生徒という膨大な情報量になってしまったと思うのだが――
沢野陽:『まだ頼んでから一日しか経ってないぞ。本当に、もう分かったのか?』
霧谷海斗:『ばっかお前、俺のエゴサ能力ナメんなよ。俺にかかればアイドル声優の裏垢も一瞬でわかるって寸法よ。……まっ、張り切り過ぎて、ちっとばっかし徹夜しちまったけどな! だから今日、学校休むわ』
さすが霧谷だと言わざるを得ない。
ちょっとドン引きだけれど、奴の情報収集能力には舌を巻かされてしまう。
……こいつとは絶対ケンカしないでおこう。
まもなくして俺のスマホに、テキストファイルが届く。
霧谷が調べ上げたという行方不明者のリストだ。
この中に、春咲冬葵の名前はあるのだろうか。
おそるおそるデータを開いてみる。
ひとりふたりか、多くても十人ちょっとくらいだと思っていたけれどそこそこ名前が載っている。
俺の想像していた以上に、うちの学校に行方不明者がこんなにいるだなんて。
一瞬驚いたけれど、よくよく見ると……行方不明者だけじゃなくて不登校になった生徒の名前まで記載されているではないか。
沢野陽:『おい、霧谷。これ行方不明届が出てる生徒だけじゃなくて、不登校者もいるじゃないか』
霧谷海斗:『当たり前だ。行方不明のやつなんて早々いるわけねえからな。それだけだと読み物としては寂しいから、ついでに不登校者も混ぜといた方が資料としては充実すると思ったわけよ』
どうやら気を利かせてくれた結果らしい。
俺としては冬葵を調べたいだけだったので、要らぬ気遣いなのだけれども。
沢野陽:『ありがとう、霧谷。おかげで助かった』
霧谷海斗:『オーケーオーケー、このくらいどうってことねえよ。まあ、さすがの俺も頑張りすぎて疲れたから寝るわ……』
沢野陽:『お疲れ。しっかり休んでくれ』
大量の名前を読み飛ばしながら、目当ての名前を探し当てようとするけれど……やはりというか、案の定というべきか……春咲冬葵の名前はどこにもなかった。
親は、冬葵を気にしていないのだろうか?
年頃の娘がずっと家に帰っていないのに、心配してないのだろうか。
この結果に驚くどころか、納得している自分がいた。
なんとなく察してはいたのだ。
行方不明者として登録されていたら警察が学校に聞き込みに来ただろうし、地元のニュースにもそういう動きが見られないので覚悟していたが……これでようやく明らかになった。
――つまり冬葵の親は、娘の行方不明届を出していない。
親は冬葵に関心がないのだろうか。
それとも表立って行方不明届を出せない事情があるのだろうか。
分からない。
俺にはまるで分からない。
こんな回りくどいことをせずに、いっそのこと冬葵に直接訪ねてみようか。
なぜ家出をしたのか、その理由を聞いてみよう。
俺の家に居候させているし、聞く権利はある。
きっと家主の俺の頼みとなれば、彼女も拒みはしないだろう。
でも、そうやって無理やり口を割らせたことで、冬葵との関係が悪化するのは嫌だ。
そこまでして彼女の秘密を知る勇気は……いまの俺に無い。
モヤモヤとした思いを抱えながら。
霧谷がくれたリストをなんとなく眺めていたときだ。
「……ん?」
視界の片隅に。
聞き覚えのある名前を捉えた。
「彩月と、華丸……?」
たしかふたりとも、姫川の友達の名前だ。
風紀委員長の聞き込みをするために、上級生の教室へ姫川と足を運んだのだけれど、ふたりはずっと学校に来ていなかったことが明らかになったんだっけ。
なぜか無性に気になって。
俺はラインを起動し、霧谷にメッセージを飛ばした。
まだ起きてるならいいのだけれど。
沢野陽:『霧谷、起きてる?』
霧谷海斗:『あ? どうした?』
沢野陽:『なあ、このリストにある彩月と華丸って人なんだけど』
霧谷海斗:『ああ、何かと思えばその先輩か。結構な美少女だぜ。うちの聖女やお姫さまほどじゃないが、人気あったんだぜ』
沢野陽:『不登校ってあるけど、理由はわかる?』
霧谷海斗:『それは俺もよく分からんな。だけど、休む数日前に変なことを口走っていたってのは聞いたな』
沢野陽:『変なことって?』
霧谷海斗:『おっと。教えてやってもいいが、その前にこっちの質問にも答えてもらおうか』
沢野陽:『なんだ?』
霧谷海斗:『お前さ。やっぱその……姫川とは付き合ってんのか?』
やはり霧谷は気にしているのだろう。
何の接点もなかった姫川が俺にウザ絡みしてきたのを見て、思うところがあったに違いない。
でも冬葵の小説のネタ集めのために身体を張って悪役ヒロインを演じてくれただなんて言う訳にもいかないし……なんとも説明に困る。
沢野陽:『そんなんじゃない。あれはあいつが勝手にやったことだ』
霧谷海斗:『ほんとかよー? 姫さんはな、あいつ軽そうに見えてそういうガードは硬いんだぜ。男に言い寄られても断ってるし、何の興味もない相手にあそこまで身体を密着させるとは思えないぞ?』
沢野陽:『説明が難しいけど、霧谷の思ってるようなことはない』
霧谷海斗:『ふーん、そうなのか? じゃあ、あいつの連絡先、頼むな』
沢野陽:『……本人からOK貰ったらな。断られても恨むなよ』
霧谷海斗:『やっぱ持つべきものは友人だな』
沢野陽:『それよりも彩月と華丸って人が言ってた、変なことって何だ?』
霧谷海斗:『ああ、そうだったな。だけどそれを聞く前に約束してほしい。今から俺の言うことは彩月と華丸……ふたりと仲の良い、ごく一部の奴らしか知らない情報だ。くれぐれも口外無用で頼む』
沢野陽:『なんで一部の奴しか知らないことを知ってるんだ、お前は?』
霧谷海斗:『へへっ、細かいことは気にすんな。で、どうするんだよ沢野』
沢野陽:『分かった、約束する。誰にも言わないから教えてくれ』
霧谷海斗:『そうこなくっちゃな』
霧谷の奴は勿体ぶるような間を置いた後に、メッセージを送ってきた。
霧谷海斗:『休む数日前に……誰かに見られている気がするだとか、なんとかって。そんなことを口走っていたらしい』
胸がざわついた。
数日前、俺も何者かに後をつけられている。
しかも姿の見えない追跡者はそれだけでは飽き足らず、脅迫めいた手紙を俺の下駄箱に入れてきた。
彩月と華丸の言葉――誰かに見られている気がする――というのはつまり。
沢野陽:『それって、ストーカーか?』
霧谷海斗:『さあな。俺もそこまでは分からん』
沢野陽:『霧谷、お前……まさかそのふたりのことを追い回して……』
霧谷海斗:『ちげぇよ!』
沢野陽:『まあいつかやるんじゃないかと思ってましたけどね』
霧谷海斗:『俺じゃぬぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
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