学園の聖女


「なあ、ところでカノジョ、俺に絶対脈があると思わねえ?」

「……何がだ?」


 昼休み。

 教室は喧噪に包まれていた。


 昨日あんなことがあった後も、もちろん学校はある。

 俺のことなんて知らん顔で、大勢の友人たちに囲まれながら、聖女の笑みを振りまいている。


 あれから冬葵とあが学校で話しかけてくることはない。

 一緒に仲良く肩を並べて登校なんてこともない。学校の誰かに見られることを考慮し、互いに家を出る時間をずらし、違う時間帯に登校する徹底ぶりだ。

 俺も冬葵なんて知らん顔で、教室の隅を飾るモブとして、何食わぬ顔で親友とだべっている。


 そう、昨日たまたあんなことはあったが、もともと冬葵と俺は住む世界が違う。

 互いの世界が交わることなど決してないのだ。


 あんなことがあっても、俺たちの教室での立ち位置は変わることはない。

 それが、冬葵と俺の間で、交わされた約束だからだ。

 昨日の出来事は誰にも内緒。

 

 だからいつも通りの毎日、日常を過ごす。

 それが俺たちの秘密を守ることに繋がる。 

 

 だが、それでも。

 今朝、同じ屋根の下から出てきたことを思い出すと、妙に身体がそわそわして落ち着かない。

 そして俺にいつものように話しかけてくるのも親友の霧谷だけだ。

 いつもと変わらぬ日常風景に、ちょっとした違和感を覚えながらも、

 変な気分だ。


「おい、沢野。聞いてんのかよ」

「あ? ……ああ、悪い」

「大丈夫かよ? 今日ずっとそんな感じでぼけっとしてんぜ」

「すまん、霧谷。昨日、よく眠れなくて」


 あくびを堪えながら、適当に答える。

 昨日は寝る時間が遅かったというのもあるが、女の子が近くにいるという異次元で熟睡できるほど図太い神経はしていない。

 俺は購買で買った焼きそばパンをかじりながら、言う。


「で、何の話だっけ?」

「まったく。そこからかよ」


 霧谷はため息をついてから、言った。


「だから、また女子トイレの前で偶然すれ違ったの。姫川と。これでもう10回目」

「はあ」


 姫川奈津乃というのはクラスの中心的人物の一人である。

 ゆるふわパーマに、肩のあたりで切り揃えられた茶髪。

 教師に目を付けられても「地毛です」と言い訳をしてギリギリ通ってしまうくらいには絶妙な匙加減で程よく染められている。

 ほんのりと肌が光っているのは化粧の賜物であろう。

 人一倍オシャレに気を遣っている姿は、まさに今をときめくキラキラ系女子といった感じだ。

 姫川は冬葵とも仲が良く、いつも楽しげにおしゃべりなんかしている。


「で、向こうと目が合ったから『やあ、奇遇だね!』って声かけたら向こうも俺に微笑みかけてくれたんだよ。なあ、これって脈ありだろ? 俺のこと好きだろ?」

「そうか。キモ過ぎて鳥肌立ったわ」


 女子トイレの前で毎日のように待ち伏せられていたら怖すぎる。

 多分、その笑顔とやらも確実に引きつっていたと思う。仮に俺が姫川の立場だったらこいつの顔を引っぱたいている。

 それでもキモイと拒絶の言葉を口にしなかったのは姫川の優しさ故だろう。


 ……特段聞く必要もない与太話だった。

 時間を無駄にしたと後悔を覚えながら、なんとなしに、冬葵を見やる。


 相も変わらず冬葵は俺のことなど知らん顔で、クラスメイトたちに囲まれながら、太陽の笑みを浮かべている。

 彼女はいつも人気者だ。

 周りには同性や異性などを問わず、多くの人間たちが群がっている。

 いずれも行動力が高くて、活気のあるクラスの中心的人物たち――いわゆるクラスカーストの上位者たちだ。


 冬葵がクラスの中心に立っていられるのは。

 誰にでも分け隔てなく優しい人柄と、その美貌ゆえだろう。


 それだけに、昨日の彼女の態度が気になってしまう。

 昨日、駅前で会ったばかりの冬葵は、別人のようだった。

 そりゃ財布を無くしていればいくら学園の聖女といえど荒れもするだろう。


 気になるのは。

 帰る家はないのかと冬葵に問いかけたときに見せた、あの表情。

 まるで捨てられた子猫のような。

 あの傷ついた顔は何を意味するのだろうか。


 ……そんなことを考えていると。


「ふあ……」


 冬葵さんが眠たそうにまぶたを擦りながら、白雪のような透き通った手で欠伸を堪えているではないか。


「冬葵。珍しく今日はお疲れだね」


 心配そうな声で姫川が言う。


「あ、はい。実は昨日、あまり眠れてなくて」

「まさかカレシと遅くまで通話してたとか?」

「ちがいます」

「ふーん、怪しいなぁ」

「もう、姫ちゃんったら」

「そっか。じゃあウチが目を覚まさせてあげる」

「ちょっと! くすぐったいですよ姫ちゃん!」

「やめて欲しければ昨日何があったか吐けー!」


 姫川に脇やお腹をくすぐられ、冬葵が笑い声をあげながら身をよじらせている。

 やはり彼女も俺と同じく、昨日はよく眠れなかったようだ。

 微笑ましい光景だけど……彼女の寝不足は明らかに俺が原因だろう。

 しかも俺よりも早起きしてご飯を用意してくれていたみたいだし、なんだか悪いことをしてしまった。


 自分の不甲斐なさを呪っていると、霧谷がにやにやとした顔で言う。


「さっきから何見てるんだ?」

「別に、何も」

「嘘つけ。いま絶対、聖女様のこと見てたぞ」


 しまった。

 考え事にふけるあまり、冬葵を見すぎていたのを霧谷に気づかれたようだ。


「たまたま視界に入っただけだ」

「そうかー? しかしなぁ、お前と冬葵さんが同時に寝不足ってのなんか意味深だよなー」

「別に……たまたまだろ」


 どきっとなる。

 普段は馬鹿なくせに、こういう鼻だけは効くから厄介極まりない。

 昨日のことを悟られでもしたら大変なことになる。


「なあ、もしかして聖女さまと共通点見い出して運命感じちゃってたり? あわよくば告ろうとか考えてる?」

「アホか」

「はは、照れるなって」


 ひやひやしたが霧谷に気づかれてはいないようだ。

 その事実に、安心する。


「しかし冬葵さん、すごい可愛いよなぁ。あれはどう考えても住む世界が違う。俺たちと同じ人間であるかさえ信じられないくらいだ」

「まあ、そうだな」

 

 それは素直に頷かざるを得ない。

 彼女が大勢の男子から告白を受けている場面を何度も見かけたことがある。

 きっと冬葵は、彼氏とか友達もよりどりみどりで、自由に選び放題なんだろう。

 特定の相手と交際しているという話は聞いたことがないが、あれだけの美人で、あれだけの人気があるなら彼氏がいても何らおかしな話ではない。


 ……それだけに、なぜ俺の地元にいたんだろう。

 友達の多い彼女なら、もっと他に良い宿泊先の候補はあるはずだ。

 冬葵について、俺は何も知らない。

 分からないことだらけだ。


「いいよなぁ。俺も一度でいいから、聖女様とお付き合いしたいぜ。そしたらもう死んでもいい!」

「お前、姫川さん一筋じゃなかったのか」


 移り気の激しい霧谷に呆れ返りながらも、こいつの言い分には一理あると思った。

 あんな美少女と付き合える男子は、この上なく幸運な存在だ。

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、毎日のように美味しいご飯を食べられるのだから。

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