選ばれた者と、選ばれなかった者

「綾藤が……犯人!?」


 岸園からもたらされた情報は、にわかには信じがたい内容だった。

 あんなに無害という言葉がふさわしい男を他に知らないし、大体そんなことをする理由が見当たらない。


「出まかせを言うな! 綾藤の好きな相手はな、あんたなんだよ。岸園!」


 そもそもすべての始まりは綾藤から持ち掛けられた恋の相談だった。

 岸園奈津乃に想いを打ち明けたい。

 そのために俺たちは岸園の情報を集めるために、わざわざ上級生の教室や図書室で聞き込みをしたのだ。


「奴が私を好きだって?」


 岸園は俺たちのやり取りを知ってか、鼻を鳴らした。


「笑わせるな。奴にとって暗闇で目を利かせる私は、最も忌むべき存在だろう」


 もしもの話。

 綾藤が一連の事件を仕組んだ犯人だったとしよう。


 ストーカーにとって自分の存在を知られるのは最も避けたいはずだ。

 しかし岸園のあの異様な戦闘能力の高さから、返り討ちに遭う可能性が高い。まさに目の上のたんこぶというべき相手といったところだろうか。


 だが、それでも解せない。


「だって、あいつは俺たちに告白したいって依頼を出してきた張本人なんだぞ」

「それこそ出まかせというものだ。奴の狙いは私と貴様を潰し合わせるか、釘付けにして時間を稼ごうという腹積もりなのだろう。柳川と大田原をぶつけてきたようにな」


 小細工にしてはお粗末だがな、と岸園は言った。


「なぜだ……なんでそんなことをする?」

「簡単な話だ。そうすることによって、奴に得があるからだ」

「得だと? 春咲さんはそれで傷ついたんだぞ。好かれたいなら相手の喜ぶことをすればいい。それなのに……好きな相手にひどいことをして何の得があるんだ!」

「そうか。貴様には分からないのか」


 岸園は高笑いを始めた。

 さっきまでの作ったような笑いじゃない。

 本気で面白がっているような笑い方だ。


「馬鹿にしているのか!」

「いや、感心していたんだよ。優しい人なんだなって」

「は?」


 岸園の穏やかな顔に、面食らった。

 心の底から感心されている。


「そんな君だからこそ、彼女に選ばれたのだろうな」


 よく分からないことをつぶやいて、ひとりで勝手に納得している。

 意味が分からない。

 なんだか貶されているような気がして、腹立たしい。


「……仮にあんたの言う通り、綾藤が犯人だとしよう。あんたは綾藤が悪さをしていると分かっていても放置していたのか?」

「私に説教する気か? その暇があれば、本人に聞いてみろ。嫌でも分かるだろうさ」

「ああ、そうするよ。綾藤はどこにいる?」

「奴ならいまごろ、貴様の家に向かっているはずだ」

「……は?」


 あっけらかんとした岸園の口調に、間抜けな声が漏れた。


「今なら貴様と私という邪魔者の目も向いていない。そして彼女は君の家にたったひとり。自分の欲望を解放するには、絶好の機会だと思わないか?」


 岸園の言ったものが何を指し示すのか、言われるまでもなく分かった。

 このままでは冬葵が危ない。

 俺はベンチから立ち上がり、一度だけ振り向いた。


「あんたは来ないのか?」


 こんな奴を頼るのは業腹だが……あれだけの戦闘力を持つ岸園がいれば楽に制圧できるだろう。冬葵の安全を考えれば、背に腹は代えられない。

 そんな期待を込めたのだけれど――


「言っただろう。もう君の私生活は覗かずに、ここでじっとしているよ。私はこれでも約束を守る女だからね」

「……そうかい」


 つまり手伝う気はないということか。

 少しでもこんな奴を頼ろうとした俺が間違いだった。


「急ぐがいい。手遅れになる前に彼女を救うんだ」

「あんたに言われるまでもない」


 俺は走り出した。

 もう二度と振り返ることはせずに。



 ◆



 電車を乗り継いで、最寄り駅に降り立つのと同時に走り出した。

 何人かの乗客とぶつかり、抗議の声を浴びせられたが、無視して走り抜けていく。

 彼らには悪いとは思うが、俺には守りたいものがある。


 こんなところで立ち止まっているわけにはいかないのだ。

 改札を抜けてから、家まで突っ走る。

 自宅のマンションが見えてきたところで、俺は息を整えながら膝に手を置いた。


 外から見る限り、特に異常が起こっている気配は感じられない。

 いつも通りの静けさが保たれている。


 ……本当に綾藤はここに来ているのだろうか。


 その場しのぎで、岸園が嘘をついた可能性も否めない。

 何事もなければ、それに越したことはないのだが。

 半信半疑になりながらも、鍵を差し込み、ドアノブを回す。


 ドアを開いてから、異様な気配に、はっとなる。

 玄関の靴立てが倒れていた。しかも土足で歩き回ったような足跡まである。

 しかも何かを言い争うような声まで聞こえてくるではないか。

 ぞっ、と肌が悪寒で総毛立つのを感じながら、靴を脱ぐのも忘れ、玄関を駆け抜けると。


 ――部屋の中には、冬葵と綾藤がいた。


 まさに冬葵のシャツを脱がさんと、手を伸ばそうとしているところだった。

 頭が沸騰しそうになる。


「……冬葵さん!」


 叫ぶと、冬葵が一瞬安堵の笑みを浮かべた。

 綾藤が振り返り、ぎょろりと血走った目玉を向けてくる。


「さっ、沢野ぉ!? な、なんでっ……なぜお前がここに!?

「綾藤! これはどういうことか、説明してもらおうか?」


 怒りでぐつぐつと頭の中がマグマのように煮え滾ってくる。

 今すぐにでもこの男の胸ぐらをつかみ上げようと足を踏み出した途端、


「ぼっ、ぼぼ僕に近寄るなぁ――――――ッッッ!!!」


 綾藤は青ざめた顔で金切り声を上げながら、ナイフを取り出して、冬葵の喉元に突きつける。

 ひぅっ、と冬葵が小さな悲鳴を上げる。

 鈍く光る輝きに、足が止まった。


「っ……」


 やばい……!

 どうしよう。状況は最悪だ。

 勢いよく乗り込んだはいいものの、ここからどうすればいい?


「くそっ! くそっ! くそがぁっ!! お前はあの女・・・と潰し合ってるはずだろぉ!? なんでここに来やがるんだよ!」


 何かを恐れるように、綾藤は口をぱくぱくとさせながら周囲を落ち着きなくしきりに見回している。

 ……あの女とは、岸園のことだろう。


 奴の口ぶりから推察するに、やはり俺が岸園の元に向かうことはあらかじめ想定済みの上で、このような凶行に至ったようだ。


 ――そして奴が怯えている相手は、岸園奈津乃。


 空手部の連中を余裕で圧倒した、あの風紀委員長。

 当の本人はここに来てすらいないのだが……綾藤は俺と一緒に来てると思い込んでいるらしい。


 ならば、上手くそこに付け込んで揺さぶってやればいい。

 綾藤の戦意さえ喪失出来れば逆転の目はあるはずだ。


「綾藤。今すぐ春咲さんを解放しろ!」

「そっ、そそそっちこそ、あのイカレ女をここから遠ざけろ!」

「いいだろう。だが、冬葵さんの解放が先だ!」

「や、やなこった! お、お前らがどっかに消えろ!」

「なぜ春咲さんにそこまで執着する! 彼女が嫌がってるだろ!」

「い、嫌がってなんかない。ぼっ、僕らは分かり合えたんだ!」

「嘘つけ。本当に分かり合えてたら首元にナイフなんか突きつける必要ないだろ」

「黙れぇッ! き、岸園はどこに隠れてる! 早く言え!」


 綾藤は怯えながらも、まるで聞く耳を持たない。

 質問の切り口を変えてみる。


「……お前が好きなのは、岸園委員長じゃなかったのか?」

「お、おめでたいな。この期に及んでまだそんなものを、信じてるとは」


 綾藤はくつくつと笑った。


「そ、そんなもの出まかせに決まってるだろ。誰があんな化物みたいな女なんか」


 たしかに岸園が尊敬できないタイプの人間であることは同意見だが、それはさておき。

 ……成る程、どうやら綾藤が嘘の情報を流していたことは本当のようだ。端から俺たちを踊らせる腹積もりであったらしい。


「ぼ、僕からも質問良いかな?」

「……なんだ?」

「ほ、本当はあの女は――岸園は来てないんだろう?」

「違う。外からお前を見張っているぞ」


 じっと綾藤の目を睨みつける。

 目を逸らさずに。


 だが、綾藤は何らかの確信を得たのか、にやりといやらしい笑みを浮かべる。


「いいや、それは嘘だね。も、もしあの化物が来ているなら、お前はこの場に必要ない。あの女を先に突っ込ませて、僕だけを取り押さればいい話だからな」

「……っ」


 息が詰まる。


「ほうら、図星だ! 君はあの化物を味方につけることに失敗した! そうなんだろう?」


 ひいひいと荒かった綾藤の呼吸が、次第に落ち着いていく。


「まったく、ビビらせないでくれよ」


 綾藤はけたたましい哄笑を上げる。

 岸園奈津乃という不安の種が取り除かれ、余裕が戻ってきたのだろう。

 もう岸園というはったりは使えない。


「……綾藤。お前、そんな顔も出来たんだな」

「そういうお前は見る目が無いなぁ、沢野!」


 初めて見る綾藤の醜い顔に、俺は驚きを隠せない。


 いや、俺が見ていたのは本当の綾藤ではなかったのだろう。

 気弱で何の害もない人間。

 油断させるためにあえてそう振る舞っていたのだろう。


 俺は愚かにも、そのずる賢さにすっかり騙されてしまった。


「委員長が教えてくれて分かったよ。お前が一連の事件を引き起こした真犯人だってな」


 冬葵に関するデマを学校中にばらまいたり、俺たちの後をしつこくつけ回したり、二年の先輩を不登校に追い込んだり、散々俺たちを陰から弄んできた。


「……まったく、とんでもない奴だよ。お前は」

「とんでもない? この僕がぁ?」


 心外だとばかりに綾藤が口を開く。


「まるで僕ひとりが悪人だとでも言いたげだなぁ!」

「違うのか?」

「そうだ。お前だって、冬葵さんを洗脳しているじゃないか!」

「…………は?」


 あまりにも突拍子のないことを言われ、凍りついた。

 ……何を言ってるんだ、こいつは。


「よくわからないが……俺が彼女を洗脳をしている証拠はどこにある?」

「だって、おかしいだろぉがぁっ!」


 血走った目で。


「お前みたいな冴えないゴミの家に! なぜ冬葵さんが出入りしてるんだ! こんなのおかしいに決まっているだろう!」


 綾藤は大きく口を開き、唾を飛ばしながら叫ぶ。


「僕は冬葵さんに見向きさえされなかった! なんで、お前なんかが! 僕に無いものを持ってるんだ!」


 醜い顔で。


「なんで僕じゃなくて、お前が選ばれたんだよぉぉぉ――っ!!」


 嫉妬と憎悪にまみれた、獣のような唸り声を上げる。


「……たしかに。おかしな話だと俺も思うよ」


 もちろん行く当てのなかった冬葵を助けたからだとか、彼女は俺への恩返しのつもりだとか、そういう細かな経緯はあるけれど。


 冬葵が俺の家に出入りする理由は俺自身が分かっていない。

 よりにもよって何の接点もなかった、俺なんかをなぜ選んでくれたのか。

 ……真相は、本人のみぞ知る所だろうけれど。


「それにしたって、洗脳ってのはこじつけが過ぎないか?」

「この期に及んでまだシラを切るかァッ!」

「……なあ綾藤。お前は本当に春咲さんを助けたいと思ってるのか?」

「あぁっ! そうだともぉ!」

「なら、喉元に刃なんか突き立てるな。彼女がお前に怯えてるのが見えないのか?」

「……っ!」


 はっと綾藤は腕の中の冬葵を見やる。

 彼女が青い顔で震えていることに今気づいたと言わんばかりに。


「本当に彼女が大事なら、春咲さんを解放してあげろ」

「黙れ! 黙れ! 黙れ! 彼女にかけた洗脳を今すぐ解けぇ!」


 綾藤は気でも狂ったかのような声を上げながら、ナイフを何度も振り回している。


 ……まずい。あいつは正気を失っている。

 下手すれば、彼女が怪我をするかもしれない。

 もっと奴の注意をこちらに向けなければ。


「綾藤。お前、本当は怖いんだろう?」

「……何ィ?」

「俺に負けるのが怖いから、そうやって彼女を盾にしてるんだろ?」


 綾藤が呆気に取られたような顔になる。


「だって、お前は臆病者だもんな。だから自分は表立って動かないし、周りを利用する。好きな子に想いを伝える度胸もない。ただの卑怯者だ!」


 綾藤の顔が怒りで赤く染まる。

 わなわなと肩が震える。

 効いている。効果はてきめんだ。


「大田原や岸園なんかに比べたら、お前なんて小者だ! 怖くもなんともない!」


 ……嘘だ。

 本当はめちゃくちゃ怖い。さっきから足の震えが止まらない。

 奴は刃物を持っているし、今すぐ逃げ出したくて堪らない。


 ――けれどそれ以上に、俺は傷つく冬葵を見るのが何よりも耐え難かった。


 だから怖くても逃げ出すわけにはいかない。

 この悪夢を終わらせるために俺は――


「お前なんかじゃ、俺には勝てない!」


 力の限り叫んだ。


「うぜぇぇぇぇんだよ! このゴミがぁぁぁぁ!!!」


 綾藤が冬葵を突き飛ばし、走り出した。

 低く呼気を漏らしながら、俺めがけてナイフを振りかぶってくる。


「ならお望み通り、ぶっ殺してやるよぉぉぉ!」

「……っ!?」


 あまりの気迫に、動けない。

 鈍く光る銀の輝きから、目を離すことが出来ない。


「死ねぇぇぇぇ! 沢野ぉぉぉっ!!」


 綾藤の握ったナイフが吸い込まれるような速度で、一直線に俺へと振り下ろされて。


 そして。

 ――俺の胸元にナイフが突き刺さった。

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学園のアイドルが、ルームシェアで俺を養っている件 黒絵耀 @bell_snow

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