第36話 味方

 ラッコが目を覚ましたとき、彼はベッドの上だった。

 上質なシーツの感触と、華美ではないが質の良い調度品の飾られた部屋を見て、自分は誰かに助けられたのだとはっきりと自覚する。

 ラッコがあたりをキョロキョロ見回していると、ノックと共にビーブが入って来た。

「おや、お目覚めでしたか」

「あなたは?」

「わたくしはビーブ。貴方様を牢から連れ出した者です」

「そうでしたか。感謝します」

「礼には及びません。実は、わたくしの主よりお願いがあってのことでしてね」

 ビーブはベッドの横に置かれたテーブルへと歩き、緩やかな手つきで茶を淹れる。

「さあ、こちらをどうぞ。薬草を調合した茶でございます。わたくしは主を呼んでまいりますので、しばしお待ちを」

 ビーブを見送ったラッコは、差し出された茶を口にする。

 喉から鼻へと抜けるような薬草の香りは、寝起きのラッコの意識を完全に覚醒させた。

 カップの茶が無くなった頃、再度ドアがノックされ、部屋にビーブとニャオスが入る。

 二人はベッドの近くに椅子を置いて腰掛けた。

「初めまして、ボクはニャオス。ビーブの主人さ」

「ラッコです」

 ニャオスは三毛猫の獣人だが、柔和な表情と漂う気品はラッコがこれまでに出会ってきた粗野な獣人とは一線画す存在だった。

 ラッコはニャオスの纏う雰囲気に気圧され、緊張してしまう。

 ビーブはラッコの様子に気がついて、すかさず新たなお茶を淹れた。

 ラッコは緊張から二、三回に分けて茶を口に含む。彼が落ち着いたのを確認してから、ニャオスが本題を切り出す。

「ビーブから少し聞いていたかもしれないけど、ラッコを助けたのはボクたちからお願いがあってのことだ」

「どんなお願いですか?」

「ラッコには人間と我々獣人の間に立って、和平交渉を取り付けてもらいたい」

 ラッコは口に含んだ茶を吐き出しそうになった。

 慌てて飲み込んでから、彼はニャオスを見る。

「そんな大役……」

「交渉そのものはボクがする。キミには人間の幹部に取り次いでもらいたい」

 このままでは話がどんどん進んでしまう。

「僕はこの地の人間じゃありません。人間の知り合いはおろか、情勢だってロクに知らないんです」

 ニャオスは少し考える素振りをする。

「なるほど……事情があるのはわかった。だが、キミは何も知らないからここに来たのではないだろう? キミを送り込んだのは誰だい? せめてそれを教えてほしい」

 ニャオスの問いかけに、ラッコは口籠もる。

 ニャオスはラッコが自分の意思でミケンへと来たのではないと見抜いていた。

「ううむ。なら、これは取引だ。キミがその人物を教えてくれるなら、代わりにキミの願いを一つ叶える。現実的なものに限るが、それでどうだろうか?」

 ラッコは目を見開く。これはチャンスでもあった。

 そもそもの話として、彼はピナラの名前を出すことを口止めされてはいないし、何より彼女はミケンへと侵入するなら手段を問わないとさえ言っていたのだ。

「いいでしょう。けれども、僕からの条件は、シルの救出です」

「シル?」

「ニャオス様。おそらく、フォッサが言っていた亜人の少女かと……ラッコ様と共にミケンに来た者がいるとの報告もありましたし」

 ビーブの言葉に、ラッコは頷く。

 ニャオスは特に間を置いたりせず、すぐに首を縦に振った。

「いいだろう。ボクもフォッサに用があるし、協力はできる」

 ラッコはニャオスの反応を見て、取引の成立を確認した。

「僕たちをここへと送り込んだのは、ピナラという女性です」

 反応したのはニャオスではなくビーブだ。

「ピナラ……まさか、錆鉄のピナラですかな?」

「錆鉄かどうかは知りませんけど、若い女性でした」

「なら、間違いないか」

 ニャオスとビーブは顔を見合わせる。

 二人の表情は希望を失った瞬間のそれだった。

「相手がピナラでは」

「逆に考えれば、我々がピナラと対話できるのであれば交渉そのものは上手くいくのではないかと……」

 二人は何事かを言い合う。

 やがて、二人は話を止めてラッコを見た。

「情報をありがとう。シルの救出については計画を考えておく」

「早ければ明日にも動きがあるでしょう。ラッコ様は今日一日お休みなさってください」

 そう言ってニャオスとビーブは部屋を出て行った。

 ラッコは一人残された部屋でシルを思う。

 けれども、ラッコがどれだけ悩もうとも時間の進みは変わらず、身動きのとれない自身にもどかしさが募るばかりだった。


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ねえ、シル 〜キミと生きた世界〜 じゅき @chiaki-no-juki

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