第21話 その手を離せない

 夢から覚めたシルは隣から聞こえる寝息に気がついた。

 天井のフレイト鉱石から放たれる光が眼前に広がるなか、手にラッコの温もりを感じる。

「はあ」

 声に出して息を吐き出すと、視界の端で何かが蠢いた。

 普通なら飛び起きて戦うか逃げるかするところだが、今回はその必要がない。おそらくあれはヨヨだ。

 疲弊していたとはいえラッコが無防備に寝ていること、ここまで彼一人で自分を運んで来たわけではないとシルにもわかっていること。

 ヨヨが身近にいるという理由はいくつもある。

 何よりも。

「これ、ヨヨの葉っぱだ」

 彼女たちの下には何層にも重ねられた巨大な葉が敷かれていた。

「起きたのか。ラッコもさっきまでは起きておったのじゃが」

 数本の蔓と共にヨヨがやってくる。

 初めて会ったときは怖かった魔物も、今では家族のような距離感に思えた。

「ヨヨ、ありがとう」

「うむ。ラッコにも言うといいのじゃ」

「うん」

 シルは身体をラッコに向ける。ヨヨに背を見せるような恰好だが、シルは声をかけた。

「ねえ、ヨヨ。少し話を聞いてくれる」

 顔が向き合うような態勢になって、シルは少し話し始めた。

「初めてラッコに会ったとき……一緒に盗賊と戦って、二人の男を倒したんだ」

「うむ」

「最初は家族の代わりで、寂しさを紛らわせてくれる存在だった。水を飲んでお腹を壊したり、生活の面倒を見たり……弟がいたらこんな感じだったのかなって思ったりして」

 ヨヨは返事をしない。でも、聞いてはいるのだろう。

 今は、自分の話すことを聞いてくれる相手がほしい。

「それが言葉を覚えて、仇を討つために一緒に戦ってくれて、私は…………ラッコのこと……」

 ここに至るまでの期間はそこまで長くはない。それでも濃密な時間だった。

 記憶を振り返ると少し涙が出てきた。

「私は、ラッコがいてくれてよかったと思う。ラッコのおかげで私は助かった。仇も討てた」

 彼に構っている間は辛いことを考えずに済んだ。忘れることも乗り越えることもできないけど、両親を失った悲しみから目を逸らすことができた。

「だから、今度は私がラッコのために生きるの。ラッコが故郷へ、家族の元へ帰れるようにするの」

 涙が止まらない。この涙はなんなのだろうか。

 両親を失った悲しみなのか、仇を討ったことを実感して興奮しているのか、それともいずれ来るラッコと別れる日を予期してなのか。

 シルにはどれが涙の正体なのかわからなかった。

 それでもラッコの力になりたいという気持ちに嘘はない。

「その気持ちに水を差すつもりはないし予は応援するつもりじゃが、

 間違っても自分の命を捨てようなどとは思わぬことじゃ」

「…………」

 シルは答えない。

「よもや旅の最後に死んで終わろうなどとは思っておらぬじゃろうな」

 ヨヨの声には芯があった。硬く、重い芯が。

 その声は少女の危うい願望を見抜いていることの証に他ならない。

「答えぬかっ、ここまで来てまさかラッコの想いを踏みにじるような真似をするつもりではなかろうなっ」

 シルはヨヨの言葉に肩を震わせる。

 少しの間を置いてからシルは弱々しい声で答えた。

「だって、ラッコがいなくなったら私は生きていけない…………」

 もう、最後に残った心の拠り所を手放すことなどできない。

 それならば、いっそ彼のためにこの命を。

 だが、そんな考えを看過するほどヨヨは甘くない。

「ラッコを言い訳にするでないっ。そんなに離れられないのなら、しがみついてでも一緒にいればよかろう」

「で、でも……」

 自分は亜人でラッコは人間。どちらの国にいても片方は差別と偏見にさらされるだろう。

 けれども、そうわかっていても、うなされる自分のために握ってくれた彼の手を離せないでいるのも事実。

「無理に悲しい想像をして自分を苦しめる必要はないのじゃ。ラッコが一人で故郷に帰ったあと、もしも行くところが無くなったらまた予のところにくればいいのじゃ」

「……うん」

 小さいが先ほどよりも落ち着いた口調でシルは答える。

 根本的な解決にはなっていないが、少なくともラッコという存在を喪失するだけの悲観的な想像に囚われることはなくなりそうだ。

「ヨヨ……私、ラッコと一緒にいられるようにがんばるね」

「うむ」

 ヨヨはシルの返答に満足しつつも、内心で「手のかかる子どもたちじゃな」と思った。当然、そう思うのに世話を焼いてしまうほど彼女たちを気にかけているのも自覚している。

「んん……」

 二人の会話のせいだろうか、ラッコが声をだして起きそうになる。

「ラッコ、まだ寝てて大丈夫だよ。それと、私はラッコに会えて良かった。ありがとう。本当にそう思ってる」

 小声でそう言うと、ラッコは再び穏やかな寝息を立て始める。

 シルは夢の中からずっと握り続けている彼の手にもう片方の手を添えた。

 もう少し休んでいてほしい。それが許されるくらい、彼は自分のために戦ってくれたのだから。

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