第23話 不安と淡い希望

 シルが捕虫嚢から出てくると、すでにラッコは衣類の修繕を終えていた。

 身体を拭いた彼女は直された服を受けって礼を述べる。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 シルが服を着ているとヨヨがやってきた。

「ちょうどいいし、そろそろ食事にするかのう」

「そうだね。保存食を出すよ」

 鞄を開けようとするラッコの手に蔓が絡みつく。

「その必要はないのじゃ」

 そう言ってヨヨは葉の上に乗せた木の実を差し出す。

 それはリンゴよりも一回り大きい果実で、手に取る前から甘い香りがわかるほどに熟れていた。

「予は過剰に養分を吸収したので果実に保存したのじゃ」

「いい香りね」

 シルが果実の一つを手に取って座り込む。

「僕ももらうよ。いただきます」

 ラッコが果実を口にすると、甘い香りと共に柔らかい果肉が口の中に広がった。

 イチゴのような触感の果実は果汁を溢れさせるがしつこくない味で、非常に美味である。

「これ、すごく美味しいよ」

「ええ。おいしいわ」

「うむうむ」

 二人の感想に満足げなヨヨ。

 どうやらシルの食べている果実はラッコのものと違うらしく、柑橘類のような香りが漂ってくる。

 ヨヨが栄養を回したと説明しただけあって、この果実は栄養価が高いのだろう。齧って飲み込むたび、心身に染みわたるような気さえしてくる。

「そういえば、二人は旅に戻るのかえ?」

「そう、ラッコが故郷に戻る方法を探すのよ」

「シル……僕は別に……」

 自然体か、無理をしているのか、明るい表情でそう答えるシルを見るとラッコは複雑な気分になる。

「だめっ、家族がいるなら故郷に帰ったほうがいいわ」

「でも……」

 シルを独りにしたくない、なんて考えるのは思い上がりだろうか。

 そんなラッコの想いなんてシルにはお見通しで。

「大丈夫。私はヨヨと生きていくって話し合ったから」

 そんなことを彼女の口から言わせてしまうのだ。

「それに、ラッコにはもう辛い思いをしてほしくないの」

 シルの言葉でラッコは記憶を遡行する。

 ここに至るまで命の危険もあったし、獣人も殺めてしまった。

 自分は死にたくないし、シルを傷つけられるわけにもいかないので戦うが、それで何も思わないわけではない。

 例え自分の精神が摩耗しているとしても、それを理由に自分の心を失いたいとは考えないのだ。

 流石に空気が沈んできたのでヨヨが口を挟む。

「まあ、今後のことは臨機応変に考えればいいのじゃ。ラッコが故郷に帰る方法を見つけられれば選択肢も広がるじゃろうて」

 あくまで選択肢の一つだと説明するヨヨ。シルもそれ以上は何も言わなかった。

 正直に言えば、ラッコだって元の世界に帰りたい。

 でも、シルが気がかりなのもまた事実。

 何より、自分は元の世界に戻ってもそれまでと同じように生きていけるのだろうか。

 ずっとこの感情や記憶、経験を引きずって生きていくことになるのではないだろうか。

 恐ろしい想像をし始めたラッコにヨヨが声をかける。

「ラッコよ。今はあまり考えすぎるでない。いずれそのときになったら見えてくるものやわかることもあるじゃろう」

 気休めのような言葉だが、ラッコはそれに縋りそうになる。

 そこへ心配したシルも話しかけてきた。

「そうよ。きっと、ラッコならなんだってできるわ。だって私のことだって救ってくれたんだもの」

「そうじゃな。予の恩人でもあるしの」

 笑顔を見せるシルたち。彼女はラッコに手を伸ばして頬を撫でる。

 ラッコはここでようやくシルの口調が少し変わっていることに気がついた。昨日までより幾分か柔らかい口調になったと感じるのは、気のせいではないだろう。

 復讐が終わって彼女にも変化が訪れたのかもしれない。

 ラッコは頬に当てられた温かい手に自分の手を重ねる。

 シルは「救ってくれた」と言うが、救われたのは自分の方だ。

 ラッコの身体に再び熱が戻る。

 今までだって障害を乗り越えてここまで来たのだから、この先もシルと一緒なら上手くいく。

 ラッコは不思議とそんな風に思えた。

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