第26話 スハトラ

 ペフを救ったという青年。

 彼の存在はシルを悩ませた。

 生まれは違えど広義の種としては同じ人間であるラッコや助けられたペフのことを考えれば青年を助けた方がいいのかもしれない。

 だが、獣人の国は人間の国と戦争の最中だ。この青年を助けることで自分たちやペフの家族が危険に晒される可能性も少なからずあった。

 表情を強張らせるシルを見て、ラッコが前に出てくる。

「僕たちが貴方を助けたら、貴方はペフたちに危害を加えないと約束してくれますか?」

「……今しばらくは、ここを離れるつもりだ……」

 これは青年ができるギリギリの回答だった。ここに来た理由がある以上、将来的にペフの村や家族を脅かす可能性は残る。

「ペフ。僕はこの人を助けようと思う」

「えっ?」

「ラッコ?」

 獣人の二人はラッコの言葉に驚く。

「僕は貴方を人間の国の国境近くまで運ぶ」

 そこから先は青年次第。ここで見殺しにはしないが、獣人の村で治療するわけではない。ここでするのはあくまで応急処置以上の何物でもないのだ。

「ラッコがそうするなら、私も手伝う」

「ありがとう」

 シルとラッコは鞄から簡易な医薬品を取り出す。青年の衣類を脱がすと、腋の下や腕に裂傷、腹部や背面には打撲の跡があった。この分だと内臓を損傷しているかもしれない。

「ラッコ、ちょっと離れるわ」

「うん」

 傷の手当を進めるラッコだが、内心では不安である。青年の内臓に損傷があるのなら、急いで彼を運ばなければならない。

「内臓も危険ですか?」

「おそらくな」

 青年は特に表情を変えずに答えた。

 どうやって運ぶべきか考えるラッコ。そこへシルが戻って来た。

「ラッコ。これで運ぼう」

 彼女はペフと共に枝や蔓で組み上げた椅子を見せた。どうやらこれに青年を座らせて運ぶつもりらしい。

「それがいいね」

 少なくともそのまま背負うよりは遥かにマシだろう。

 手当を終えた二人は青年を椅子に乗せる。運搬時は身体能力の都合でシルが背負い、ラッコが背後から支える方式に決まった。

「ペフ、私たちは国境まで行くわ。どっちに行けば近い?」

「このまま、向こうへ歩いて行けば近いよ」

 ペフは木々の奥にある獣道の先を指差した。

「そう、なら私とラッコで行くわ」

「ペフは村に戻ってて」

「お、俺も行くよっ」

 ペフはここまで来て中途半端に別れるつもりなんてなかった。それはラッコたちもわかっているつもりだが、国境付近にはここ以上の危険があるはずだ。

 二人がそう説明しようとしたとき、僅かに早く青年が言葉をかけた。

「ペフ、世話になったな。次に会うときまで元気でいてくれ」

「…………うん」

 シルたちが歩き始めてもペフは村に戻らなかったが、そこから着いて来ることもなかった。ただ彼は青年を最後まで見送っていた。

「迷惑かけてすまない」

 ペフの姿が見えなくなった頃、青年はそう言った。

「別に、私たちだって誰かに助けてもらうことくらいあるし」

 青年はそれ以上何も言わなかった。

 代わりにラッコが質問する。

「ねえ、国境までどのくらいかかりますか?」

「俺は遠回りしてきたから、このルートだと正確な時間はわからないな」

 もしかしたら一日以上歩かなければならない可能性もあった。ペフの言う「近い」がどの程度なのかわからないが、いずれにしても今はただ歩くしかない。

 その後は三人とも無言だった。途中シルが石に躓いて転びかけたときは流石に声を出して手で支えたが、会話らしい会話はない。

 そんな調子で何時間も歩き続けていると、ようやく景色に変化が訪れた。

「ん? 林が終わりそうだわ」

「本当だ。国境まで近づいてきたのかな」

 流石に疲れてきた二人に活力が戻る。日も暮れかけているので急ぎたいという思いもあり、二人は少し早歩きで移動する。

 そこへ。

「止まれっ!」

 声がしたのは二人の背後だった。しかし足音は左右から聞こえる。

「囲まれてる?」

「二人とも動かないでくれ」

 青年は静かに告げる。腹部が痛むらしい彼は、手で腹を押さえて周囲を見渡す。

「この二人は協力者だ」

 大声ではないが、良く響く声を青年は発した。すると周囲の木陰から数人の男たちが出てくる。彼らは皆、青年と同じような服装をしていた。

「隊長、ご無事でしたか」

「二人は恩人だ。武器をしまえ」

 青年の指示に従い、男たちは手元の何かを動かす。ラッコにはわからなかったが、シルにはそれが黒塗りの刃物だとわかった。自分たちはかなり危険な状態だったらしい。

 その動きに気を取られていると三人の男がシルたちに近づいて来た。シルとラッコはどうすればいいかわからなかったが、代わりに青年が話始める。

「作戦は失敗だ。この林の先には魔物がいた」

「ではその怪我は」

「ああ、この二人がいなければ危険だったな」

 男たちはシルたちに向き直ると礼を述べる。

「そうか、世話になったな。隊長を救ってくれたことに感謝する」

 彼らは人間だが、亜人であるシルを見ても態度を悪くしなかった。

「あとは、我々に任せてほしい」

「ええ、お願いします」

 ラッコが青年を支え、シルはゆっくりと椅子を下ろす。青年は男に背負われると、ラッコたちに話しかけた。

「今更だが、俺はスハトラという名前だ。次会うときには礼をさせてくれ」

「いや、別にそこまではむぐっ……?」

 シルは素早くラッコの口を塞いだ。

「もしも今度会えたら、ラッコを人間の国へ連れて行ってあげて」

「約束しよう」

 その言葉を合図にスハトラを背負った男たちは歩き出す。

 シルとラッコはしばらくその背中を見送ったあと、元居た林へと戻ることにした。

「あ、そうだ」

 ラッコはヨヨに貰った種を少しつまんで帰り路に幾つか撒く。

 ヨヨやスハトラとまた会える日は来るのだろうか。

 ラッコとシルはそんなことを思いながら来た道を戻るために歩き出した。

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