第11話 魔物とおしゃべり(シル)
ラッコがヨヨの捕虫嚢に入った後、シルは気が気でなかった。
何せ捕虫嚢である。まともに考えれば少なくとも友好的な扱いがされているとは思えない。
「魔物っ! ラッコに何する気だ」
声を荒げて斧を持ち出すシル。最初に姿を見せた時の人形のような姿でいるヨヨは近づいて彼女を宥めるばかりだ。
「待ってほしいのじゃ。別にラッコをどうにかするつもりはないのじゃ」
「信用できない!」
斧を振り上げて捕虫嚢を壊そうとするシルに、無数の蔓が絡みつく。
「シルっ、これはラッコのためでもあるのじゃ」
「なんだとっ!?」
彼女はラッコのためと言われてようやく話を聞く体勢になる。それでも拘束を説こうと必死にもがいてはいるが。
「さっき聞いた話では、シルもラッコも事情があるのじゃろ? お主たちはお互いに言いにくいこともあるはずじゃ」
「そ、それは……」
無いとは言い切れない。シルはラッコに求められれば裸にだってなれる。だが、それは彼を信頼しているからであって、その信頼の根源は賊に襲われたところを二人で戦ったことだ。
逆に言えば、それ以前のことはお互いに何も知らない。シルが亜人の説明をしたのは坑道に入る前の晩のことだし、ラッコだって自分に過去を話してくれたわけではない。そもそも、二人は今でこそ会話が成立するものの、つい先日までラッコと挨拶さえままならなかったのだ。
「シルとラッコの仲を疑うわけではないのじゃが、言いにくいことがあっても二人、特にラッコからシルへは相談しにくいと思うのじゃ。予は言葉の壁を無視して意思の疎通ができる術を持っているから、予がラッコと相談しようと思ったまでのことじゃ」
捕虫嚢はそのために必要なのだと説明する。
「うう……」
シルは悔しいが、魔物の提案を受け入れるしかない。ここで暴れてもいいことはない。シルが余計なことをしてラッコを傷つけられたりするのは困るし、魔物の言う事が本当なら彼の精神的な負担を減らせる。彼女はそう思って堪える。
「シル、お主も何か言いたいことがあるならば予に言っていいのじゃぞ」
シルが落ち着いたのを見計らってヨヨが声をかけた。
「魔物に話すことなんて……」
「なら、予のおしゃべりに付き合ってほしいのじゃ」
シルは返事をしなかったが抵抗もしなかった。それを了承の合図と見てヨヨは話しだす。
「シルの好きな食べ物はなんじゃ? ちなみに予はフレイトの精製液と養分を蓄えた生物が大好きじゃ」
「……堅焼きパンと焼いたお肉」
大した内容ではない会話、だがこのくらい軽いもので始めなければシルは警戒して口を利いてくれない。
「趣味はどうじゃ? 予は鉱石磨きと穴掘り、それに人形遊びや罠の設置じゃ」
「読書と……人形は私も好き……かも」
シルのリュックには両親の形見である人形が入っている。その人形も彼女が幼少期に親から貰ったものだ。ラッコの勉強道具になっている本もシルの私物で、彼女の大切な品である。
シルはそこで家族を思い出して俯く。
「どうしたのじゃ?」
「なんでもない……」
シルの目から少しだけ涙が出てきた。顔は見えなくても様子が変わったのはヨヨにもわかる。
人形遊びという同じ趣味があったことで話を広げようとしたヨヨも流石に口を噤む。
ついでに空気が悪くなってきたのとシルがそれどころではないので蔓の拘束を解いた。
どうしたものかとヨヨが困っていると、
「ねえ、ラッコが何か相談したら、お前は何かしてあげられるの?」
俯いたままで、重い口を開く彼女にヨヨも言葉を選ぶ。
「そうじゃな。予にできることなら手を貸すが、そうでなければ無理に何かしようとは思わぬ。予にできることは限られておるのじゃ」
「そう……」
「お主はしたいこととかないのか?」
話しかけてくれているのだから少しはヨヨからも聞きたい。
「今は復讐だけ……」
復讐は彼女にとって必要なのだろう。誰も助けてくれず、裁いてもくれないのなら自分でやるしかない。彼女はそれを経てようやく他のことを考えられるのだ。
シル自身、それがわかっている。
だが、果たして本当にそうなのだろうか。自分は本当に復讐を終えたら新しい生き方をできるのだろうか。復讐と共に燃え尽きるでのはないか。
彼女の頭の中であることが思い浮かんだ。
「お前は復讐を手伝ってくれるって言ってたな」
「そうじゃ」
「お願いがあるの、ラッコが故郷に帰るのを手伝ってあげて……私の復讐は手伝わなくてもいいから……ううん、ラッコを守ってあげて」
これだけはなんとしても了承してもらいたい。シルは自分の復讐の成功を秤にかける。
「別に二つとも願ってよかろう。ラッコを守るのも承るぞ」
「そうじゃない……」
シルは顔をあげる。その目尻には涙を湛えていた。
「ラッコにはもう私の私怨で傷ついてほしくないんだ」
自分の復讐に付き合わせて、彼に何が残るのか、何を得られるというのか。復讐しか考えられない女である自分と一緒にいて彼は幸せになれるのか。
シルの言いたい事がヨヨにもようやくわかった。彼女はラッコと別れるつもりなのだ。
「シル……」
一度出てしまえば、涙は止まることなく流れ出す。
「ラッコは私を助けるために亜人を殺した。そのせいでうなされて、さっきだって亜人を殺した時にひどい顔をしてたんだっ!」
彼にもうあんな顔をしてほしくない。
「私がこんなことに付き合わせてたら、ラッコを壊しちゃう。そうでなくても危ない目に遭って死んじゃうかもしれないのに」
ラッコは特別だった。街道沿いの宿屋で生まれ育った彼女には友人と呼べるものもおらず、ラッコのような同年代の男性と関わる機会は少ない。親でも客でもない男性。だが、異性との関わりがないことを差し引いてもラッコは別格だった。恩人でもある彼を自分のわがままで不幸にしたくない。
「私は復讐しか考えられない!。ラッコの世話をしてるつもりで、家族の仇に仲間がいるとわかったらそれ以外何も見えなくなったんだっ!」
叫ぶシルは涙で地面を濡らし続ける。ここで離別してでもラッコを守りたい。
両親を失い、盗賊絡みで再び大切な人を失うかもしれないという恐怖は彼女を苦しめる。ラッコにも隠していたこの苦しみを、今吐き出す。
そんなシルを目の当たりにしたヨヨは、当たりに行くようにして彼女を抱きしめた。
「今はそれでいいのじゃ。復讐しか道がないのなら、後のことは終わらせてから考えればいい。予はお主の戦いに尽力する」
ヨヨに抱きしめられてシルは身体を硬直させる。その硬った体をほぐすようにして蔓と繊維の腕が彼女を包んでいく。
「でも……でも、でも……」
シルはどうにも感情が昂って治らない。ヨヨはいつまでだって付き合うつもりだが、これでは彼女が疲弊するばかりだ。
「シル、本当にラッコと別れたいのか?」
ここで真意を問わねばならない。ラッコが戻ってから聞くことはできないし、復讐すべき相手はすぐ近くにいるので時間をかけすぎることもできない。
ラッコとの離別云々はどうするべきなのか。ヨヨはそれを聞く必要があった。
「私は……」
その目が言っている。絶対に離れたくないと。だがそれが言えない。彼女の胸のうちから全身に広がる苦悩がシルの願いを掻き消そうとしているのだ。失うのが怖いなら手放すことでラッコの解放に繋がると。そんな後悔したときの言い訳くらいにしか使えないような思考が彼女の心を蝕んでいる。
だが、ここで辛い思いをすることになってもラッコと離すわけにはいかない。例え憎まれることになっても繋ぎ止める。ヨヨはそう決意した。
「お主が本気なら予はそれでも構わぬ」
「……?」
ヨヨの胸に抱きとめられたシルはその言葉で顔をあげる。
「予は今、ラッコとも同時に話しておる。そこで予は名前を貰った。ヨヨじゃ。よかろう?」
「何を言ってるの……?」
シルは望んでいたはずの結末が見えているのにそれを受け入れることができない。
「予はラッコを気に入った。名前を貰ったのだから眷属になるのもよかろう」
シルはヨヨの目が嘲笑しているように見えた。イヌビワの花嚢でしかない目に感情を見出すほど、ヨヨの言葉はシルに突き刺さる。
「お主次第じゃ。お主がどうしてもラッコと離れたいというのなら予が面倒を見よう。じゃが離れたくないのなら、予はその意思を尊重するのじゃ」
シルは目をぐるぐるさせて、呼吸を荒くする。彼女の精神が渦巻いて思考が定まらないのだろう。さっきまでの建前が彼女の本音を掻き乱す。
ヨヨも自分の行為が性急だとは自覚しているのでここは待つだけだ。
もしもここでシルが拒んでも、ラッコからアプローチさせることはできる。そもそも、シルの意思がどうであれラッコは彼女と一緒にいたいと願っているのだ。
シルは焦点の定まらない目を戻して、ヨヨに胸中を明かす。
「離れたくない……」
弱々しい声だったが、ヨヨにははっきりと聞こえた。
「そうか」
彼女の一言に全てが詰まっているのだから、それ以上の言葉はいらない。ヨヨは胸の内を教えてくれたシルのことをさっきよりも力強く抱きしめた。
今回の二人への相談はヨヨにしかできなかった。シルとラッコにはお互いしかおらず、第三者がいなかったからだ。
ラッコにもシルにも抱えているものがあって、でもそれはお互いを想い合ってのことで。そんな二人に幸せになってほしいとヨヨは思う。
それは恩人へのお節介というだけではない。
「ヨヨ……ごめん」
「謝る必要はないのじゃ。お主がラッコを大切に思っているのは本当なのじゃし、まだいくらでも関係を良くしていけるのじゃ」
ヨヨは心からそう思う。
ラッコもシルと同じ気持ちなのだから、復讐が終わってもきっと上手くいく。いや、自分がそうさせて見せる。その確かな誓いの裏で、シルを追い詰めるようなやり方をしてしまったことをヨヨは恥じた。
もうすぐ、ラッコが目を覚ます。
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