第10話 魔物とおしゃべり(ラッコ)

 ラッコが気がつくと真っ暗な空間にいた。暗い部屋にいるというよりは瞼を閉じているような印象だ。

「気分はどうかのう?」

 どこからか魔物の声がする。それはわかるのだが、どこから聞こえているのかはわからない。

 食虫植物の中で意識を手放したラッコは、微睡にも似た不思議な感覚を味わっていた。例えるなら、ベッドに横たわって目を閉じたまま他人に話しかけられるような気分だ。

「返事をしてほしいのじゃ」

 魔物の声は室内で響くような聞こえ方をする。ここはどこなのだろうか。疑問を解消するためにもラッコは返事をした。

「聞こえてるよ」

「良かったのじゃ。少し心配になったのじゃぞ」

 魔物の声からは安堵が読み取れる。魔物はラッコが質問する前に状況を説明してくれた。

「ここは予とラッコの意識の交わる場所じゃ」

「意識の交わる場所?」

 聞き慣れない上に不穏な言い回しなので、ラッコは少し怖くなる。そんな彼の内心が伝わっているのか魔物は宥めるように捕捉してくる。

「心配しなくてもいいのじゃ。何も水を混ぜるようなカタチで精神や意識を弄っているのではないのじゃ。ラッコのわかりやすいように説明すると……こんぴゅーたのでーたを見せ合うようなものなのじゃ。……たぶん」

「えっ? 今なんて?」

 ラッコは思いがけず聞き返してしまう。

 まさか聞き返されると思わなかったのか、魔物は焦ったような口調になる。

「許してほしいのじゃ。予も適切な例えが思い浮かばないから『たぶん』なんて言ってしまったのじゃ」

「いや、そっちじゃなくてっ、コンピューターって……」

 焦るポイントのズレた魔物とラッコ。この世界にもコンピューターと呼ばれるものがあるのだろうか。ラッコは言いながらそこまで考えて、あることに気がつく。

「なんで、魔物が僕のいた世界の言葉を話せるんだ?」

 もしもこの世界にラッコの世界のコンピューターに該当するものがあったとしても、ラッコの世界同様の単語でコンピューターと呼ぶなんて偶然があるのだろうか。そして、ラッコ自信も油断していたが、魔物は自分のいた世界の言葉で話しかけてきていることに今気がついた。

「順を追って説明するので落ち着いて聞いてほしいのじゃ」

 魔物は初めての登校に緊張する子どもへ接する母親のような口調だ。

 ラッコも疑問や焦燥感ばかりが増して疲れてきたので、黙って聞く姿勢になる。

 魔物が説明してくれるのだからそれを邪魔する必要はない。聞いてわからなければそのとき改めて質問すれば良いのだ。ラッコがこんな風に切り替えられるのはシルとの生活や勉強を通して身につけたからだった。

「説明をお願いするよ」

「わかったのじゃ。まず、言葉のことじゃが、さっきラッコに飲んでもらった液体が関係するのじゃ」

「ウツボカズラのやつ?」

「そうじゃ。もうお主も気がついておるじゃろう? 言語を使い分けなくても意思の疎通ができていることに」

「確かに……」

 ラッコは最初、魔物にこの世界の言葉で返事をしようとした。だが、今の会話はラッコが元々生まれた世界の言葉だ。

「これはラッコの意思と予の意思が交わっているからできるのじゃ。お主も何かを考え事をするとき、知らない言語ではなくて使い慣れた言葉で考えるじゃろ?」

「うん」

 返事をしたものの、実を言えばラッコは若干混乱気味だ。

「まあ、これ以上小難しい言い方はやめるとすれば……そう、通訳じゃ。さっきの液体を飲んだことで、ラッコと予は今だけ言葉の隔たりがなくなったのじゃ」

 これこそが適切な例と言わんばかりに魔物の声に明るさが増す。

「そんな効果があったのか……」

 ラッコは魔物の生態に感心しながらも生理的な恐怖まで感じてしまう。彼の心境を知ってかしらずか、魔物はラッコの気になるもう一つの疑問に答えてくれた。

「次に、こんぴゅーたの件じゃが、予はそんな物見たことも聞いたこともないのじゃ」

「さっき、はっきりと言ってたよ」

 今更言い逃れはできないだろうと思っていると、魔物は困ったように訂正する。

「予の言い方が悪かったのじゃ。予がこんぴゅーたというものを実際に見たことも名前を聞いたこともないのは本当なのじゃ。なぜそれを例えにしたかと言うと、ラッコの頭の中を少し見させてもらったのじゃ」

「頭の中?」

 またもや予想外の言葉にラッコは鸚鵡返しをしてしまう。

「正確には思考や感情、意識の一部じゃ。ラッコが入ったウツボカズラと予は繋がっておるのじゃ。そして、液体を体内に入れた生き物がそこに入っている間は意識を共有したり、思考を見せあったりできるのじゃ。すごいじゃろ?」

 とんでもないことをさらっと言ってのけた魔物。人間の範疇で生きているラッコには信じきれない。だが、これは事実なのだ。現にこうしてやりとりをしているのが証拠だろう。

「ちょっと怖いね」

 ラッコはあれこれと考えた末、率直な感想を口にする。

 魔物は特に気分を害した様子もなく。むしろ彼のメンタルへのフォローまで始めた。

「ああそうじゃ。ぷらいばしー的なことも気になるじゃろうが、本人が見せたくないものは予にも見えなかったりするし、万が一見えてしまっても予は他人の内面に土足で入って物色したりはしないのじゃ」

「こんぴゅーたは?」

「それは大目に見てほしいのじゃ。ラッコに説明する上手い例えが思い浮かばなかったんじゃよ」

「別に怒ってないよ」

 申し訳なさそうに言う魔物に、ラッコも穏やかな口調で返す。

「それはありがたいのじゃ。それで本題なのじゃが、少し予とおしゃべりに付き合ってほしいのじゃ」

「おしゃべりするの?」

「そうじゃ。ラッコの心の中を見せてもらえれば一番確実で早いのじゃが……。それは嫌じゃろ?」

「コンピューターとプライバシー以外は見られたことないからなんとも……。でもやっぱり嫌かな。裸を見られるよりも辛いかも」

 実害はともかく生理的な嫌悪や羞恥はある。魔物の言いたいことはそれだろう。

「ならおしゃべりに付き合ってほしいのじゃ。勿論、ラッコが言いたくないことは言わなくていいのじゃ」

 魔物はどうしても話したいらしく。ラッコに承諾を迫る。ラッコとしてもここで他にできることがあるわけではないので断る理由もない。

「いいよ。何から話そうか」

「よかったのじゃ。まず聞きたいことじゃが、ラッコはどこから来たのじゃ?」

「こことは別の世界だよ。僕はこの世界の人間じゃないんだ」

 ラッコの素直な回答に、魔物は大してリアクションもしない。

「やはり。お主の言葉は少しぎこちないからの〜。勉強したのかえ?」

 合点がいった魔物は質問を続ける。

「うん。シルに教えてもらったんだよ」

「そうか。それは凄いことじゃな。予は学習はしても勉強などしない故、その大変さはわからぬが、意思の疎通ができないことによる不便さは亜人との争いで身に染みたからわかるのじゃ」

 ラッコを褒めつつ、亜人とフレイト鉱を奪い合ったことを思い出して感慨深くなる魔物。ラッコは少し補足する。

「でも、完璧じゃないんだ。何を言われているのかはわかるんだけど、こっちから長い話をしたりするのは苦手だよ。文字も完全に読めるわけじゃないし」

「それで問題ないのじゃ。言われていることがわかれば多少なりとも意思の疎通はできるし、その内長い会話もできるようになるのじゃ」

 笑う魔物にラッコも明るい気持ちになる。実を言えば、彼は言語の問題をシルに相談することもできずにずっと気にしていたのだ。

 最初がこれなので、身の上話を聞かせるのが目的かと思ったが、次の質問で魔物は聞いたことがないほどに真剣な口調になる。

「次に聞きたいことじゃが、お主、別の世界から来たことはシルに教えたのかえ?」

 その質問はラッコにとって予想外だった。よりによって魔物に言われるとは想像だにしない質問。だがこれは必ずぶち当たる問題だ。

「言ってない。最初は話もできなくて、その後は言い忘れてた」

「それは良くないのじゃ、この話が終わったらすぐにシルへ伝えるのじゃぞ」

「うん」

 魔物は怒ると言うより心配したようだ。ラッコもずっと自分のことを案じてくれているシルに黙ったままなのは悪いと思っているので、しっかり伝えるべきだろう。ラッコはこの機会をくれた魔物に心の中で感謝した。

「そうそう、お主からも何か聞いてよいのじゃぞ。もしくはラッコが話したいことを話してもいいのじゃ」

 魔物は思い出したように会話の主導権をラッコへと移す。しかし急に言われても何を話せばいいのかわからない。なので気になっていたことを訊ねることにした。

「そうだなぁ。キミの名前を知りたいな。話すときになんて呼んだらいいかわからないし」

「予の名前?」

「そう」

「ないのじゃ」

「えっ?」

 あっさりとした返事。ラッコもこの返答は予想外だった。

「予に名前はないのじゃ。いや、種としての名前や大まかな分類はあるのじゃが個体としての名前をつける者が居らぬ故、名乗ることはできないのじゃ」

 魔物は不満や悲しみではなく、ラッコの問いにこんな形でしか答えられないことを申し訳ないと思った。だが会話で不便なのは魔物も同じだ。

「ラッコの好きなように呼んでいいのじゃ。あんまり変な名前じゃなければそれを採用していこう」

 とりあえずの仮称をここで決める。そのくらいしておいた方が便利だろう。

 魔物もラッコならそんなに酷い名前にはしないだろうと計算しての試みだ。

「うーん」

 魔物の意に反してラッコは真剣に考え始める。特に思いつかないのなら多少いい加減なものでも構わないのに。

「予の名前とはいえ仮称じゃ。そんなに悩まなくてもいいのじゃ。何かパッと思いついたことを……」

 そこまで言われてラッコは少し気楽に考え始めた。もっと魔物の特徴から連想するものにしよう。この魔物の特徴はなんだろうか。見た目もそうだが、ラッコが印象に残ったのは口調だ。

「じゃあ、一人称が予だから『ヨヨ』」

「ヨヨ?」

「嫌かい?」

「ふむ、ヨヨ……」

 魔物はしばらくの間「ヨヨ」と反芻するように呟く。

 もしかしたら機嫌を損ねてしまったかもしれない。そう考えるとラッコの心中はざわめく。しかしラッコの心境など知らない魔物は不意に明るい声を出して歓喜した。

「ふおおっ、ヨヨ、気に入ったぞ。ラッコ、これからは予のことをヨヨと呼ぶのじゃ」

 どうやら名前を繰り返し噛み締めているうちに気に入ったらしい。ヨヨの口調からははしゃいでいる様子が目に浮かぶようだ。

「気に入ってもらえたならよかった」

 これにはラッコもそう思えた。安直な気がしたが、変に捻らなかったのがよかったのかもしれない。

「はっ!?」

 しばらく喜んでいたヨヨだったが、突然笑い声が止まる。

「そういえば大事なことを忘れておったのじゃ」

「何さ?」

「本当はもっと最初の方で言おうと思っておったのじゃが、ラッコよ、お主は人が良すぎじゃ。もしも予がお主を養分にでもしようとしていたらどうするつもりだった?」

 深刻そうな口調で語られる内容は案外当然のことで、その分今後に響くのは間違い無いであろうことだった。

 ヨヨはラッコを捕虫嚢に入れたことについていっているのだろう。ラッコだって何も考えなかったわけではないが、他にできることもなかったのだ。

「言いたいことはわかるけど、ヨヨがその気なら僕くらい簡単にどうにかできたでしょ?」

「それはそうなのじゃが」

「あのとき、まだ僕やシルの近くに蔓があったから素直に従うしかなかったんだよ」

 ラッコはそう思っている。全力で逃げればどうにかなったかもしれないが、自分はともかくとしてシルを確実に助けるにはこれが一番だと考えていたのも要因だ。

「そうか、考えての行動なら予からとやかく言うことはないのじゃが……」

 ヨヨは口籠ってしまう。きっとラッコを心配してくれているのだろう。

「僕はそんなにお人好しじゃないよ。亜人だって殺したんだ」

 自分が今どんな顔をしているのかラッコにはわからない。

「最初はショックだった……でも、さっき坑道に入ったときにまた殺して、その時はそれほど衝撃を受けなくて……何かが摩耗したのかも」

 あのとき彼は、確かにそう思った。自分は何かが変わってしまったのだと。

「襲われたお主たちが助かるためには仕方なかった。それ以上でも以下でもないのじゃ……」

 事の経緯はシルとラッコの二人から聞いている。

 気休めだとわかっていても、もしかしたら逆効果かもしれないと思っても、ヨヨはそう言わずにはいられない。

「ははっ、僕よりヨヨの方がよっぽど善人だよ」

 自嘲気味の乾いた笑い声を聞いて、ヨヨはやってしまったと理解した。ヨヨはただラッコを心配しただけだった。それ以外に何も思っていなかったのに。ただ軽率だった。

「ラッコ……すまぬのじゃ……どうか予を恨んで、憎んでほしいのじゃ。予はそんなつもりじゃ……」

「うん……恨んだりはしないよ」

 ラッコからはヨヨの姿が見えないが、口調からすれば泡さえ吹きかねない状態だとわかる。

「あのね、ヨヨ。僕は決めたことがあるんだ」

 ラッコは自嘲気味の雰囲気から少し力強い口調になる。

「亜人を殺して、僕は確かに変化している。でも、同時にそうしてでもシルを守りたいって思ってるんだ」

 ヨヨはただ黙している。

「この世界でたった一つの拠り所……ううん、そんなんじゃない。僕は彼女が好きなんだ。そう、だから守りたいし、彼女の力になりたい」

 亜人の命を奪ったことに戸惑いもある。だが、それはシルと天秤にかけるほどのことではない。ラッコにとってシルという少女はこの世界そのものよりも大切なのだ。

「だから……さっきのはただの、気の迷いだよ……」

 感情を押し殺すような、震える声。彼の精神は、心は、人格は、殺人という体験で悲鳴をあげている。

「ラッコ……」

 危うい。ヨヨはラッコという少年にそんな印象を抱いた。そしてどうにかして彼の力になりたいとも。

「辛いなら辛いと言っていいのじゃ。予はそれを受け止める」

 突如、何もない空間にヨヨが現れる。人形のような姿のヨヨはラッコに向かって大きく腕を広げた。

 ラッコはその姿を見てなりふり構わず走り出す。手足も見えない暗闇を確かに駆けている。

「ヨヨっ!」

 たどり着くと名前を呼んで抱きつく。もう我慢できなかった。

「ヨヨっ、ほんとは辛いよ。怖いよっ! 僕はどうすればいいの? 僕はどうなるの?!」

 涙を流し、声を荒げる。ラッコがここまで感情を波立たせるのはこの世界に来て初めてのことだ。ラッコはしばらく泣きながら、ヨヨに話続けた。シルの家族が目の前で殺されて怖かったこと、初めて亜人を殺した時のこと。それを夢で見たこと。自分の中の何かが変わりつつあること。それらが全部苦しくて、怖くて、でもどうすることもできないこと。

 ヨヨは何も言わずにただラッコを抱きしめるだけだった。植物の魔物は真っ暗な空間で、異世界から来た少年の心を受け止め続けた。

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