第18話 復讐が終わった日
瓦礫の山や爆風で抉られた道を超えていくと、燃える家屋の向こう側から怒号が聞こえてきた。
「頭あっ! こっちは二人やられました。もうだめです」
「うるせえよ! 狼狽えてる暇があったら何か手を考えろっ」
シルが壁の影から覗くと火傷や切り傷を負ったハンモが他の獣人たちに八つ当たりをしている。
どうやら別の場所にいた獣人はヨヨが始末していたようで、ハンモに泣きつく獣人も重傷を負っていた。
シルとラッコは様子を伺い、獣人たちがそれぞれ別の方向を向いた瞬間に走り出す。
シルはハンモへ、ラッコは手負いの獣人へと肉薄した。
火災による木材や金属の焼ける臭い、炎と夜闇による視界不良、家屋が焼け崩れる音など、条件がいくつか重なったために二人の奇襲はほとんど気がつかれなかった。
「うがっ!?」
手前にいる手負いの獣人へ背後から短剣を突き刺したラッコはそのままタックルをして押し倒すと、抵抗される前に別の短剣で止めをさした。
ラッコは兎の獣人から奪った短剣と先ほど拾った短剣の両方を使ったおかげで反撃される前に終えることができたものの、問題はシルの方で起こる。
「またてめえかっ!」
馬の獣人であるハンモは視界が広いため、首を少し動かした際にシルを発見できたのだ。
リーチを補うために鉄棒を構えて突き刺そうと飛び掛かるシルだったが、ハンモは負傷しているとは思えないほど機敏に動くとあっさりと彼女の攻撃を躱す。
「魔物を味方につけたからって生身で挑んでくるたぁ、舐めた真似してくれんじゃねえか」
「お前は家族の仇だ。ヨヨがいなくたって私はお前を殺すっ!」
ヨヨの襲撃で味方を失い、自身も決して軽くはない傷を負っているものの、未だにハンモの戦意は衰えていない。
それも当然で、獣の力と血気を持つ獣人のさらに荒くれどもを纏めるハンモはこれまでに命の危険や修羅場を幾度も乗り越えてきた。
魔物の襲撃で絶望的な状況だが、シルの口ぶりからすればヨヨは彼女の復讐を邪魔しないはずなので、シルと戦っている間は時間が稼げるだろう。
魔物には勝てなくてもシルとラッコの二人など相手にならないほどに経験も実力も上なのだから、現状はハンモに有利に働いているとさえいえる。
「いいぜ。かかってこいよ」
「グウゥッ!」
言われずとも牙を剥き出しにして飛び掛かるシル、力強く大地を蹴った跳躍は少女であっても十分に獣人としての力が備わっているのだと感じさせる。
犬系統の獣人であるシルはその俊敏な動きで攻撃を試みるが、早いとはいえ一直線の攻撃であるためにハンモには通用しない。
「この、このっ!」
鉄棒のリーチを活かして何度も突きや縦横の振りによる一撃を狙うシル。
「へへっ、その程度で仇を取ろうなんてよ。地獄にいるお前の家族も不甲斐なさにないてるぜ」
「うるさいっ」
ハンモが格上なのは紛れもない事実だが、シルが鉄棒を使うのは多少具合が悪かった。というのもハンモがシルに対して有利な点には一撃の重さもあればリーチもある。
素手同士ならばハンモのカウンターですぐにシルを倒せるが、鉄棒のせいでそのリーチを活かせない。さらに武器を使われてはハンモも不用意に一撃を受け止めたりはできなかった。
家族のことでシルを挑発したのは彼女を煽ることで機会や隙を作るためだ。
「シルっ。僕もいくよ」
「ちっ」
ハンモの視界の隅で、死体から短剣を引き抜いたラッコがこちらに向かってくるのが見える。
ハンモはシルをあしらいながら状況を整理した。
味方の獣人はもうほとんどやられており、頼みの爆薬も通用しない。つまり魔物は倒せない。
ここまで状況が悪いならば逃げるしかないだろう。
問題はどうやって逃げるかだ。
ハンモの予想した通りシルとラッコがこちらに構っている現在はヨヨの攻撃がない。やはり復讐の邪魔をするつもりはないのだろう。
そこがハンモのつけいる隙だ。
魔物は強大な力を持つが、冷徹な戦士ではない。この二人の子どもに特別な感情、思い入れがあるのは確実だった。
そこでハンモは考える。シルかラッコのどちらかを人質に取れば逃走できるのではないかと。
シルは学習したのか単調な跳躍ではなく、前後左右への軽快なステップで臨機応変に攻撃してくるようになった。
「えいっ!」
シルの攻撃の合間を縫うようにしてラッコが短剣で攻めてくる。
だがそれはハンモにとってはチャンスだった。
「甘いぜ!」
腕をぶつけてラッコの短剣を叩き落すと、その太い腕で首を絞めるようにして持ち上げ、自分の前面に抱き寄せる。
短剣を使うラッコはシル以上に接近のリスクがあり、それがハンモのアクションを許してしまったのだ。
「いい加減にしろガキ共っ。おいクソ犬っ、このガキが大事ならそこで大人しくしてやがれ。あの魔物も同じだぞっ」
ラッコが人質に取られたことで、シルは一瞬混乱し、動きが止まってしまう。
ハンモは逃走の機会をものにしたと確信し、全速力で広場を駆ける。
この広場から逃げるため、現在地に最も近い鉱山地帯の出口を目指す。
火災の広がる広場を背にして夜闇を走るハンモはラッコが抵抗できないように首を絞め続けたまま目を凝らす。
「バカなっ!?」
眼前の光景にハンモは驚愕した。
巨大な蔓とモウセンゴケにより道がふさがれているのだ。
魔物の狩場から逃れることができない。
本能がそう理解してもなお、ラッコという人質が魔物から逃れる術として有効な手段だと信じて縋る。
「諦めたらどうじゃ?」
「っ!?」
ハンモが振り向くとそこにはヨヨがいた。
人形のシルエットを燃え盛る広場の背景で浮かび上がらせた魔物は、その顔が見えないにも関わらず、捕食者としての優位を感じさせる。
「お前のほうが強いのは認めるぜ。だけどよ。このガキの命はこっちが握ってるんだ。おとなしく俺を解放してもらおうか」
これまで窮地を切り抜けてきた経験からハンモにはある確信がった。彼にとっての真理と言ってもいいだろう。
それはどんな強い奴にも何かしらの欠点、弱点があるということだ。どれだけ本人が有能でもその周囲に弱みがある場合もあり、今回はこのケースだろう。
そう考えると絶体絶命の状況でも彼の心に幾らかの余裕が出てくる。もっとも、彼にとって縋れるのがその脆弱な理だけしかないということの証でもあるのだが。
「ふむ。なら殺せばよかろう」
「んなっ」
ヨヨの言葉がハンモの精神を揺さぶる。
「強がるんじゃねえっ。このガキが大事なのはこれまでの行動でわかってんだよ!」
「予は二人の復讐を手伝うだけじゃ。お主を逃がすことを考えればラッコの犠牲も仕方あるまい。シルに協力しているラッコも覚悟の上じゃ」
言葉を失うハンモ。
「それに、人の生き死になど予にとっては余興にすぎぬ。ここでラッコが死んで、シルが怒り狂う様を見るのも一興よ」
魔物にとって人間も獣人もその程度の存在。
ハンモの身体から力が抜け始める。
彼はここにきて完全に心身の力を失ったのだ。
そして、この瞬間を待っていた少女が動き出す。
「家族の仇、覚悟しろっ!」
暗闇に伏せていたシルが飛び出して鉄棒を突き出した。
さらに。不意打ちに気を取られたハンモに蔓が伸びてラッコを引き剝がす。
対応できなかったハンモはそのまま胸に鉄棒の先端を刺された。
「うごっ」
勢い余ったシルに押され、背後のモウセンゴケにぶつかったハンモは、胸に鉄棒を深く刺された状態で貼り付く。
「だっ、だずげぇ……」
身動きもできず血を吐きながら助けを求めるハンモ。
シルは鉄棒に力を込めてねじ込む。
「そのまま苦しんで死ねぇっ!」
「う……ごごっ、ぶぷっ……」
自分の血で窒息するハンモに呪詛を吐き捨てたシルは、家族の仇が息絶えたのを見届けると幾筋かの涙を流した。
「シル……」
擦れた声で彼女を呼ぶのはラッコだ。
蔓に支えられた彼はゆっくりと歩いてシルに近づき、震える彼女を抱きしめた。
この日、シルの復讐は終わった。
誰も祝福せず、喜ぶこともない。
燃え盛る広場からそう遠くないはずなのに、身体は冷え切って震える。
ただ、自分を抱きしめてくれるラッコの温もりだけがシルに伝わり、彼女は彼を離さぬように、しがみつくようにして強く抱きしめた。
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