第15話  抵抗

 獣人たちに襲われたシルとラッコは彼らが根城にしている小屋の一つへと連れて行かれた。

 小屋と言っても夜闇に佇む家屋はかつてこの採掘場で働いていた鉱夫たちが寝泊まりしていたもので、多少は経年劣化が見られるものの、それなりに大きく頑丈である。

「さっさと入れ」

「うあっ?」

 獣人の一人がドアを開けると、シルは半ば強引に明かりのない屋内へと入れられる。

 シルたちが襲われてからここに連れて来られるまで、彼女一人であれば逃げ出せる機会は何度かあった。

 だが、肝心のラッコが気を失って獣人の大男に担がれている状態であり、シルは彼を見捨てることができない。

 そして今の彼女は両手を縄で縛られていて彼を助け出すのも困難な状況であった。

「酷い臭いだ……」

 埃とカビの楽園とも言える室内は月明かり以外の光源が存在しないために薄暗い。

 シルが部屋に押し込まれると、大男はラッコを床へ無造作に放り投げた。

 床に叩きつけられる直前にシルが滑り込んでラッコ受け止めるが、彼は一向に目を覚ます気配がない。

「さてと、これからお前たちに聞きたいことがある」

 熊のような外見の大柄な獣人がシルに向く。

 ドアの傍ではもう一人のウサギらしき小柄な獣人がニヤニヤと笑っていた。

 屋内という閉鎖された環境に追い詰められたシルは、恐怖に負けないようラッコをそっと床に転がし、再び立ち上がって体に力を入れる。

「お前たちに話すことなんかないっ!」

 わざとらしいくらい力を込めてそう言った。

 話を長引かせることでラッコを助けるための時間稼ぎのつもりだったのだが、これが悪手だった。

「ああそうかよっ、と」

「うっ……」

 大柄な男はシルの態度が気に入らないらしく、無防備なラッコの腹部に蹴りを入れる。

 硬いブーツの先端で蹴られ、気を失っているラッコの身体が微かに宙へ浮いた。

「や、やめ……」

 獣人の暴行に、シルは驚きよりも恐怖が勝ってしまう。

 ラッコを助けなければならないのに体が動かないのだ。

「おねがい、やめて……やめてください、私が悪かったです……」

 必死に隠していた足の震えは目に見えて大きくなり、腰が引けたまま今にも泣きそうな声を出す。

 ラッコが暴行をうけることで、シルは両親を失ったときのことを思い出してしまう。

 親しい者を嬲られることへの恐怖と辛さが彼女の心身を支配するのだ。

 床にへたり込んだシルは、力んでしまって震えるというより痙攣のような状態で懇願する。

 床に額を擦る、土下座に近い態勢で怖がるシルの様子が熊型獣人の気を引いたらしい。

 ひとまずラッコへの暴行を止めてシルを舐め回すように見つめる。

「ならわかるよな? どうすんだ?」

 シルは詰め寄る熊型獣人から顔を背ける。

「…………」

「なるほど、こいつにとどめを差してほしいと」

「ごめんなさいっ、いいますっ、話しますから」

 もしラッコが起きていたら全力で宥めるほどに怯え、シルは少しずつ自分のことを話す。

「私は…………コネルンの街道沿いにある宿屋の娘、彼は私が旅に連れ回しているの。戦争が始まって、コネルンにいたら危ないから…………」

「宿屋のガキがなんで俺らを狙うんだ?」

「客と寝るのを嫌がって追い出されたんじゃないですかね?」

「確かになっ、この犬っころなら股間に嚙みついてきそうだぜ」

 兎型獣人も会話に混ざりゲラゲラと大声で笑う男たち。

 無論、シルの両親は彼女に客と性行為をさせたりはしない。

 事実としてはそうなのだが、男たちの下品な言葉は彼女の幸せな思い出もろとも心を踏みにじる。

「そんな理由があるならこの犬っころを躾けてやらないとな」

 そう言った熊型獣人の目を見て、シルは自分がこれからどうなるのかを知った。

 這いずるように壁際まで逃げるものの、腰が抜けてしまってそれ以上動けない。

 振り向くと熊型獣人がゆっくりと迫っており、その後ろでは兎型獣人がラッコの身体を踏んでいた。

「うっ、ううっ……」

 自分は満足に動くことも出来ないうえに人質までいる。

 シルは覚悟を決めるのではなく、諦めの心境で動きを止める。

 目を瞑れば、次に目を開けたときには全部終わっていて、自分たちは何事もなかったかのように解放されるのだろうか。当然、そんなはずはない。

 それでも彼女は目を閉じる。恐怖もあるが、それ以上に視界にラッコが入ってしまうのが嫌だった。

「観念したみたいだな。そうしてりゃ少しは可愛げもあるぜ」

 彼女が目を瞑る直前に見えた最後の顔。

 弱者を手籠めにしようとする下卑た表情。閉ざされたはずのシルの視界にそれが映って不快を極める。

 それは声も同じで、兎型獣人の恐ろしい言葉が耳から彼女の頭をかき混ぜた。

「終わったら俺にも使わせてくださいよ」

「ああ、いいぜ」

 そして、シルが目を閉じた直後のこと。

 ラッコは目を開けて、自分を踏む兎型獣人の脚を力任せに払った。

「おがっ?」

 突然のことに対応できなかった兎型獣人はその場で転倒する。

 ラッコは両手を拘束されたまま指を突き出す格好になり、そのまま倒れこむ獣人の顔を狙った。

 彼の予想通り兎型獣人はラッコの指先に迫り、そのまま獣人の眼球を破壊する。

 硬さの中に弾力を持つ、眼球独特の感触がラッコの指先に伝わって彼は吐き気を覚えた。

「あがっ、ぎぃいいいいいいいっ……!」

 永遠に光を失った兎型の獣人はのたうちまわる。

「ん、なんだ?」

 ラッコはすかさず兎型獣人の腰についた短剣を引き抜くがほとんど同じタイミングで、その声に気が付いた熊型獣人は背後にいるラッコの方を向いてしまった。

 衣服の下に熊の熱い毛皮と脂肪、筋肉を備える獣人に対して短剣一本で挑むのは自殺行為だが、振り向かれてしまった以上はラッコに不意打ちという手段が使えない。

「へ、なかなかやってくれるじゃねえか」

 ラッコは両手を拘束されたまま短剣を構える。

 熊を相手に戦ったことはないが、それでもやるしかない。

 ラッコが取るべき行動は捨て身で比較的弱点であるはずの顔を狙い、どうにかしてシルだけでも逃げられるように隙を作ることだ。

 体格、力、スピード、ラッコが相手に勝てる要素は何一つないが、シルを助けたいのなら退くことなどできない。

「へへっ、足が震えてるぜ?」

 ラッコを煽る熊型獣人。

 事実、ラッコは上手く足に力が入らない。

 彼とは反対に圧倒的な力の差を感じ、余裕を見せる男。

 二人の視線が交差するなか、獣人の背後で物音がした。

「あん?」

 男が振り向くと、大口を開けたシルが眼前に迫っている。

 シルは獣人であっても反応できないほどの勢いで男に飛び掛かり、剥き出しの鋭い歯で顔面に噛みついた。

「ぐああああっ!」

「ううううっ、ふうううっ!」

 シルが嚙みついたのは男の上唇から鼻にかけての部位である。

 唸り声をあげるシルは、有らん限りの力で獣人の皮膚を食いちぎろうとしていた。

 犬の系譜を祖先に持つシルは、亜人ではあってもラッコのような人間に近いので獣人ほど獣としての力はない。

 だが本来持っていたはずの犬としての嚙む力、牙の鋭さは完全には衰えておらず、強力な武器として機能する。

「シルっ!」

 ラッコもこの機会を逃すまいと、獣人へ距離を詰めた。

 顔に噛みつかれている状態なら獣人の意識はシルに向いている上、視界はシルの顔で塞がれている。

 攻撃のチャンスであったが、それは同時にシルが無防備であることも示していた。

「こぉの、クソメス犬がぁっ!!」

 男はシルを引きはがそうとして彼女を殴りつける。

「うぐぅ」

「ぐびぃっ!?」

 噛みついた状態で防御もままならないシルは殴られた衝撃で壁際まで吹き飛ばされた。

 その際、シルが噛みついていた獣人の顔の皮膚が引き裂けてしまう。

 痛みに悶絶する男の顔へ、ラッコが短剣を突き刺した。

「ぎいっ!」

「んなっ!?」

 ラッコの突き出した短剣は獣人の顔を正確に捉えたが、皮膚が剝がされた状態であっても内側の筋肉と骨は強靭である。

 獣人に止めを差すどころか、むしろ短剣の先端が欠けてしまった。

 シルが身を挺して作り上げた好機を不意にしてしまった代償は大きい。

 刺突を防がれたラッコは攻撃時の無防備な状態のまま動きが止まってしまう。

 血走った眼光の熊型獣人がシルの時以上に殺意を乗せた一撃を振るおうと腕を上げる。

 身体を鍛えていないラッコは回避どころか防御もままならない。

 この一撃を受ければ致命傷は免れないだろう。

 ラッコの眼前に死が迫ってきたとき、不意に小屋のドアが蹴り上げられた。

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