第5話 座学から実技へ

 シルに勉強を見てもらった翌日、ラッコたちは村を散策した。これには二つの目的がある。一つは今回の旅の原因でもある、「戦火」の情報収集。これはシルが聞いてまわる。もう一つの目的はラッコの社会勉強であった。

 多少言葉を覚えたとはいえ、ラッコはこの世界において赤子も同然。この世界のことを知るために、シルに同行して学ぼうというのである。

 身支度を整えて宿から出てきたシルとラッコ。雲一つない青空のもと、爽やかな風が吹いてシルの綺麗な茶髪を揺らす。

 宿の近くの小屋では家畜の世話をする男性がバケツをもって歩いている。宿の前の通りには買い物中なのだろう袋を抱えた女性をはじめ、多くの人々が行き交う。

 様々な人々がいる村だが共通点を挙げるなら、全員獣の耳が生えていることだろうか。眼前に広がる光景にラッコは自分が異世界に来ていることを改めて認識する。

 シルは笑顔でラッコに手を取ると、手を繋いだまま歩き始める。

 面倒見の良い彼女はラッコを弟のように思ってるのかもしれない。

(この歳で手を繋いでもらうのは少し恥ずかしい気がするけど……)

 シルにしてみれば子守をするお姉ちゃんという感覚なのだろう。

 鼻歌を歌いながら歩くシルはあちこち指差しながら説明していく。

 その説明の全てがわかるわけではなかったが、言葉以外にもあの手この手で教えてくれるシルのおかげでラッコも楽しみながら学ぶことができた。

 商店に行ったとき、シルは棚に陳列された商品から水色の鉱石を手に取る。少女の拳くらいのサイズである鉱石を持って、シルは店の奥にいる主人に声をかけた。

 ポーチから取り出したコインを渡して買い物を済ませると、ラッコを呼んで店を出る。

 店の近くでシルは鉱石を見せながらゆっくり話しかけた。

「これを、買ってきて」

「わかったよ」

 昨日教えてもらった言葉で返事をするラッコ。

 彼女は買い物の練習をさせたかったようだ。

 異世界に来た赤子少年のラッコは、ポーチから取り出したコインを持って店に入る。入店する直前に一度だけ振り返ると、温かい視線を向けるシルがいた。その目は幼い我が子のお使いを見守る母親の目だ。ラッコの母親も昔はああいう目をしていたのを覚えているから間違いない。

 そんなことを思いながら買い物を始めるラッコ。さっきシルが持っていた水色の鉱石を手に取る。商品名の書かれているらしい札を読んでみる。

「フ、レ、イ、ト」

 フレイトという鉱石らしい。何に使うのかわからないが、とりあえず店の主人に声をかける。

「これをください」

 昨晩の絵本のおかげで、これくらいのことは言えるようになった。ラッコはシルの教育に感謝する。

 特に問題なく買い物を終えて店を出ると、シルが心配そうに近寄ってきた。

 ポケットから鉱石を取り出して渡すと、彼女は目を輝かせるてラッコの頭を撫でながら褒めた。

 悪意と悪気がない優しさ十割の羞恥プレイにラッコは顔を赤くする。

 しかし悪い気はしない。この世界のことを何も知らない、何もできないラッコは自分を肯定してくれるシルのことを嬉しく思う。

 その後は、勉強と散策を兼ねた時間を過ごし、シルも買い物の際に店員などから情報収集をした。

 この一日で、ラッコはいくつかの日常生活の知識を学んだ。日中の買い物もその一つだ。シルに借りた絵本が教材として良かったのだろう。予習していたおかげで、行動するのにもそれなりに自信をもってできた。

 その晩、前日に続いて勉強を終えたラッコは、シルと会話の練習もする。絵本に書いてあった言葉は役立つが、子ども向けなので短い会話になっている。

 シルはもう少し会話や文章を扱えるように練習してくれた。

 ラッコは彼女に教えてもらうのが楽しくて嬉しくて仕方なかった。

 練習を終えてベッドに入るとき、ラッコは自分がこんなに学んで覚えていくことができるのが不思議に思えた。暗い部屋の中、少しだけ物思いに耽る。

 学習できる要因として、シルの面倒見の良さと教え方が上手いのはもちろんあるだろう。

 しかし、ラッコには他に心当たりがある。

「ぼくは、彼女と勉強したいと思ってる。そう思うのは……この気持ちは、きっと……」

 ラッコの中にある確かな想い、それは目の前で静かな寝息を立てる少女への好意だ。

「シルのことが好きだから……」

 ラッコは自分の胸の奥に芽生えた感情を声にする。

 小声だったが、口にした直後に寝ているはずのシルがビクッと反応した。暗がりでも彼女が動く気配を察知したラッコはハッとして目を瞑り、もう寝ようと身体を動かして仰向けになる。

(考えても仕方ないってわかってるけど……一度考えると頭から離れない……)

 恋を自覚した少年の頭の片隅には、頭を撫でて褒めてくれる彼女の姿がチラつく。

 ラッコは眠れるようになるまで彼女との会話の練習を思い出す。彼が寝息を立てるのはそれから少し経ってのことだった。

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