第6話 会話ができる、うなされる

 ラッコは初めてのお買い物を経て、多少の会話くらいならできるようになってきた。問題が起きたのはラッコとシルが二人で出かけていたときだった。

「嬢ちゃん。その子は彼氏かい?」

 二人が入った雑貨屋の店主はシルに声をかけてきた。人の良さそうな雑貨屋のおじさん店主は、ターキンのような角と耳を生やしており、体格も相まってどこかのんびりした印象を与える。

「えっ、ちが、う」

 驚き、顔を赤くするシル。

 ラッコもこのくらいの会話なら理解できるようになってきたので、少し恥ずかしくなってしまう。

「なんだ違うのか、二人は一緒に南から逃げてきたんだろう?」

「そうです」

 ゆっくり話す店主の言葉は聞き取りやすい。質問にはラッコが答えた。

「耳なし、言葉も覚えたて、異国の人間だな」

 ラッコはドキッとした。店主の言葉たちはここ何日か、村を歩くと聞こえてきた単語だ。言われたときはわからなかったが、どうやらそのときは陰口を叩かれていたらしい。シルに聞いてみるとラッコのような種族の人間はこの国ではあまり良い印象ではないようだ。

「今朝入った情報だがな、南西の国境付近は雲行きが悪いらしい。二人の事情は知らねえが、戦火を逃れて北に逃げるつもりなら、この先はうまくやっていくように注意したほうがいい」

 店主はその後も話し続けが、このとき、ラッコは店主の言葉がよくわからなかった。後でシルが教えてくれたことだが、どうやら北にはこの国の王都があるようだ。獣人の国であるこの国は、王都に近づくほど排他的で、人間であるラッコは迫害される恐れがある。

 宿に戻ったとき、ラッコはそれを聞いて不安になった。この世界で頼れるのはシルだけだと痛感したのだ。

 宿屋のベッドに腰掛けたシルはラッコの不安を察したようで、優しい口調で声をかける。

「戦火が近づいているのなら、もう少し北上する。でも、ラッコはどこかで人間の国に行けるようにする」

 穏やかな表情のシル。

「心配しなくていい。言葉の勉強をしよう」

 ラッコの不安を紛らわせるためだろう、シルは本を開くと読み上げる。

 二人はそうして昨晩のように言葉の勉強を始めた。

「ラッコは覚えるのが早いから、教え甲斐がある」

「シルの教え方が上手いんだよ。でもまだわからないことが多い」

 それはラッコの本心だ。それを聞いたシルは少し目を閉じると、何かを思い付いたのか再び目を開いてラッコを見つめる。

「ラッコ。ラッコの国の言葉を、私に教えて。お互いに教えあって、上達しよう」

 難しいが、意義のある提案だった。ラッコはシルに言葉の意味や読み方などを教える過程でこの世界の言葉を覚える練習になるだろう。一方、シルはラッコの言葉が理解できれば今後教えるときに役立つし、この世界の言葉でラッコにうまく説明できないときの補助にできるかもしれない。

 ある程度言葉が理解できるようになってきた今のラッコなら、それも可能だろう。

 ラッコとシルは二人で勉強に励んだ。

 教えてみると、シルはすぐに覚えた。

 前にも思ったが、やはりラッコがこの世界の言葉をマスターするよりも、シルがラッコの言葉を覚える方が早いかもしれない。

 それでも、ラッコもある程度会話ができるようになったのだから、普通に考えればかなりの進歩だ。

「シルはすごいね。まだ教えたばかりなのに、すぐに覚えていく」

 呑み込みの早いシルを素直にすごいと思うラッコ。

「ラッコの教え方、父さんみたい」

「こんな感じだったの?」

「うん、私の家は国境近くの宿屋だったから、成長してから別の国の言葉も覚えたの。そのときの父さんもこんなふうに教えてくれた」

 シルは遠い思い出を反芻するように語ってくれた。

 この晩以降、シルはラッコに対して今までと少し方法を変えて勉強するようになった。


 勉強を終えてベッドに横たわる二人。明日は村を出て少し北上するらしい。ベッドに入ってラッコは様々なことを思い出してしまった。

 言葉がわかってきたこと、生活したこと、獣人の国、人間の国。

 昼の店主との会話、シルの家の話。それらがラッコの頭の中で回転していた。

 やがて目を閉じるラッコ。

 夢の中で少年は少女を助ける。そのとき、二人の悪漢を殺害した。ずっと見ないふりをしていたのに、思い出してしまった。


 悪漢の返り血を浴びた皮膚が腐りだした。

 早く洗い流さないと全身が腐ってしまう。

 必死に歩いて河原まで辿り着くと、赤黒い水が流れていた。淀んだ空気の中、川には死体が浮いている。

「この川は、シルと死体を捨てた……」

 そのとき、何かがラッコの足を掴んだ。足元に死んだはずの悪漢がいる。

「ううっ、なんてこった」

 引きはがそうとするも血まみれの悪漢は力が強く、足を動かすことすらままならない。目先の河川は血の川で身体を洗うこともできずにいる。こんなことをしているうちにも、皮膚の腐敗は進行していくのだ。

 焦るラッコ。

「いやだ、こんなことっ!」

 これが悪漢を殺害した報いなのか。

 今起きていることを受け止めきれずに慄然とする少年の顔に水がかかる。

 綺麗な水だ。冷たく、透きとおる水。水のきた方を見ると、宿屋の少女がいた。


「ラッコ、しっかり」

 目を覚ますと濡れた手でラッコの顔に触れるシルがいた。

 ラッコはどうやら悪夢にうなされていたらしい。心配したシルは手を濡らして起こしてくれたのだ。

「ありがとう、シル」

 全身に汗をかいたラッコは着替え出す。

「いったいどうしたんだ? だいぶうなされてたぞ」

「うん、ちょっとシルに会ったときのことを思い出してね」

 ラッコは夢の内容を話した。するとシルは徐にラッコを抱きしめる。

「ラッコ、ごめん。私を助けてくれたのに、ラッコを傷つけた」

「ぼくこそごめん」

 シルに謝らせてしまったことが、夢の内容よりも辛かった。

 再びベッドに入ったとき、ラッコはシルに抱きしめられていた。

 流石にそこまでしてもらうことはないと思ったが、瞼を閉じたシルの目尻に僅かな涙を見つけたラッコは何も言わずにそのまま眠りにつくことにした。

 目を閉じるときラッコはそっと彼女を抱きしめ返した。

 きっとこれは自分にも彼女にも必要なことなのだ。

 安らかな眠りにつくとき、ラッコにはそれがわかった。

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