第2話 戦火が近づいてくる
ラッコがシルに起こされた時には、すでに朝食が用意されていた。
シルに食事のお礼を言おうとしたが、言葉が通じない。
ラッコは「ありがとう」とだけ言った。
言葉が通じないラッコとシルはジェスチャーや身振り手振りでコミュニケーションを図る。
それでも、今のようにお礼の言葉を伝えられないなどの問題はある。
シルが用意してくれた朝食はパンとスープだった。
「いただきます」
ラッコは手を合わせてからパンを食べ、スープを飲む。
「このスープ、美味しい」
「オイシイ?」
ラッコの口から何気なく出た言葉は、シルに聞こえていたらしい。
「そう、美味しい」
ラッコが微笑みながら言うと、シルも同じように笑顔になり、ラッコの真似をする。
「オ、オイシイ」
言葉をよくわかっていなくても、どうやら良い意味だと言うのは伝わったらしい。
嬉しそうにするシルを見ると、ラッコは昨日のことが嘘のように感じる。
しかし、昨日のことは間違いなく現実であり、彼女が両親を失ったのは事実なのだ。
シルが一晩のうちに事実を受け止めて乗り越えたのか、それとも悲しさのピークを過ぎたのか、あるいは目を逸らすことができたのか、ラッコにはわからない。
いずれであっても、ラッコがシルに昨日のことを持ち出す必要はないのだ。
たとえ二人でコミュニケーションが取れるようになったとしてもだ。
ラッコも食事に意識を戻して、気分を変えようとする。スープの具も食べてみようとスプーンで口に運ぶ。
「不思議だ。この野菜、弾力が強いのに味はカブだ」
この世界の食事に不思議な感覚を覚えつつ、朝食を終えた。
ちなみに、今日の食事で飲んだ水はお腹を壊さなかった。
昨日飲んだ水は濾過の容器に穴が空いていたようで、そこから漏れた水が混じっていたらしい。
容器の穴は気がついたシルが塞いだようだ。
食後にシルは手の平サイズの動物の毛の束をラッコに渡した。
どうやらこの毛の束は歯ブラシみたいだ。
ラッコはシルの真似をしながら歯を磨き、顔を洗う。
身支度を整えるとシルは洗濯などを行い、ラッコはシルが洗い終わった衣類などを干す。
シルは血がついたラッコのパジャマも洗ってくれた。
洗濯の最中、呼び鈴が鳴る。来客である。
訪ねてきたのは中年の男性で、やはり頭には(シルの家族とは違うが)獣の耳のようなものがあった。
行商人だろうか、大きいバッグを背負い建物の前に馬のような動物を待たせている。
シルが慌てて飲み物を持って挨拶にいく。
昨日、この建物を見つけたとき宿か何かだという印象を持ったが、やはりこの建物は宿泊施設か店のようなものなのだろうか。ラッコはシルの対応を見てそう感じた。
男性は飲み物を受け取ると挨拶をしながら飲み物を受け取ってシルに小銭を渡し、一気に飲み干す。
男性は焦っているようで何やらシルと話し込み、程なくして去っていった。
男性がいなくなってからのシルは慌ただしかった。洗濯を済ませた後大きなリュックを持ち出し、あれこれと詰め込み始めた。
「いったいどうしたんだい?」
状況を飲み込めないラッコが尋ねると、シルは鍋の蓋やお玉などを持ち出して振り回したり歩き回ったりした。
「争ってる?もしかして戦争が始まるの?」
聞いても言葉は通じないが、どうやらそんなシルが伝えたいのはそれに近いことだろう。
ラッコもシルと共にリュックに食糧などを詰め込んだ。
シルは寝る時に抱きしめていた人形を入れたいようだったが、リュックのスペースがわずかに足りない。
「シル、食糧とかをこっちに移して」
とっさに声を出したが言葉は通じず、ジェスチャーで伝える。
シルにも意図が通じたようで荷物の再分配が行われた。
ラッコの私物がないため、結果としてそこまで再分配の苦労はなかった。
途中、シルは自分の部屋からいくつかの本を持ってきてラッコのリュックに詰めた。
最終的には、リュック、少し大きいショルダーバッグ、ウエストポーチを1人につき一つずつ持つことになった。
その後は2人で、シルの両親の墓参りに行った。
この機会を逃したらもう来れないかもしれない。シルは墓標に向かって何か話しかけ、少し涙を流した。
ラッコはシルの両親に、シルの無事と幸せのために彼女を見守って欲しいと願った。
あたりが暗くなって星空が見える頃、2人は家に戻った。
帰るとき、シルは一度も墓の方を振り返らなかった。
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翌日の朝、朝食を食べたラッコとシルは再度荷物の確認をした。
シルは干していたラッコのパジャマをリュックに入れてくれた。
「ありがとう」
「アリアトー」
ラッコがお礼を言うと、シルも返してきた。
鸚鵡返しに近いが、彼女は何度かラッコに言葉を返してくれるようになった。
ここで生きていくのならラッコもこの世界の言葉を覚えなければならない。
でも、ラッコとシルがお互いの言葉を勉強したら、シルの方が覚えるのは早いかもしれない。
何故だかラッコはそんな気がした。
シルが家の戸締りをしてから、2人で外の様子を見に行くと、馬に乗った男が慌てた様子で声をかけてきた。
男と話し終わるとシルはすぐさま家を出る準備をした。ラッコもそれに続く。
もしかしたら、戦火はもうそこまで迫っているのかもしれない。
家を出るとき、シルは家に向かって何かを呟いた。
ラッコにはわからなかったが、もしかしたら彼女は家に別れを告げていたのかもしれない。
こうして2人は戦火を逃れて旅に出た。
近くの街道をしばらく行くと、少しだけ前を歩くシルが振り返りラッコと目が合う。
ラッコが酷い表情をしていたようで、シルは心配そうな顔になる。
よく見るとシルは目元に少しだけ涙を滲ませていて、それでもラッコの顔を見たとき、笑顔を見せてくれた。
まるで、「何も心配ないよ」とラッコに言ってくれているようだった。
この世界に頼るものがないラッコはシルの両親に再び願う。
シルの両親が天から、夜空の星から、あるいは彼女の心の内からシルを見守って欲しいと祈る。
自分はシルがいないとこの世界で生きていけない。
それをわかっているラッコは自分のことよりもシルのことを願った。
この世界に何の関わりもないラッコはシルの無事を、幸せを願う。
そしていづれ、自分の世話をしてくれる彼女に恩返しをするとラッコは決意した。
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