第28話 寸劇

 ペフたちの村で宿泊した翌朝。シルはどうにか昨晩から気持ちを切り替えることができた。

 いつも通りに朝の支度を済ませたラッコたちは村で必要なものを買い集めて出発の準備を進める。

 村を歩き回りながらシルはラッコへ話しかけた。

「やっぱり、人間の国へ行くなら獣人の国の首都の方から回り込まないとだめかしら?」

「うん。でも、獣人の国の首都の方はこっちよりも行き来しにくいんじゃないの?」

「それはそうなんだけど、首都の方へ行くとキサノビュが近くなるんだ」

「スハトラの言ってたところ?」

「そう、正確にはキサノビュって信仰のことなんだけど。いずれにしろスハトラがいれば人間の国へ行くのも話が早いだろうし、会えるとしたらそこかなって思うんだ」

 シルの言うことは論理的だ。このまま闇雲に人間の国へ行こうとすれば亜人のシルだけでなく、この世界について無知なラッコも怪しまれ、敵だと認識されるかもしれない。

「なら、首都を目指そう」

 勿論二人は首都に入ろうなんて思わない。人間であるラッコは間違いなく迫害されるし、亜人であるシルも良い扱いをしてもらえないだろうから。

 方針の定まった二人はペフたちに挨拶して村を出ようとする。

「大したおもてなしもできませんで」

「なんだ、もう行っちゃうのか。また会いに来てくれよ」

 ペフたち親子は各々二人へ声をかける。

「お世話になりました」

「平和になったらまた来るよ」

 一晩とはいえ面倒を見てくれた人たちと別れるのは少々名残惜しいがいつまでも世話になるわけにはいかないし、自分たちにも目的がある。

 親子に手を振って村を出ようとしたとき、明らかに村の者ではない獣人の集団が近づいて来た。集団の男が二人を呼び止める。

「おい、そこの二人」

「はい?」

「最近ここいらで人間がうろついているという噂がある。聞いたところお前らはこの村の住民ではないから調べさせてもらうぞ」

 男たちに囲まれてシルは身構える。

「別に怪しい者じゃない」

「なら調べても問題ないだろう。特に隣の男は入念に調べさせてもらうぞ」

 男の一人がラッコのフードを掴んでずり下ろす。あまりの勢いにラッコは手で押さえることもできなかった。

「おい、感覚器も角もないぞ」

 シルは咄嗟にラッコを引き離し、かばうように自分の背後へ回す。

 ペフの母が見かねて口を挟んだ。

「その男の子は怪我で感覚器を失ったらしくて……」

「ほんとか? 目だった傷どころか感覚器があった痕跡すら見えなかったぞ」

 状況は改善しない。それどころか男とペフの母のやり取りを見ていた村人が余計なことを口走った。

「そういえば一昨日昨日とペフは林の奥に行ってたな。人間について何か知ってるんじゃないか?」

 村人と男たちの両方から注視され、ペフはたじろぐ。

 幼いペフや彼の母親までこれ以上巻き込むわけにはいかない。

 どうにか話をすりかえようとシルは必死に食いつく。

「亜人には感覚器が頭にない者もたくさんいる」

 シルは言い終えてからこれが失言だと気がつく。だがもう遅い。シルの言葉を聞いて獣人の男の態度は確信を得たものに変わっていく。

「ああ、亜人にはな。だが、人間も感覚器が頭の上にねえぜ。どうやってそれを証明するんだ?」

 この状況はシルにとって八方塞がりだった。ラッコは亜人ではないので証拠など出しようもない。かといってペフたち親子を置いて自分たちだけ逃げ出すこともできない。

 覚悟を決めてシルは白状した。

「……確かにこの男は、ラッコは人間だ」

 指差したシルはラッコと目が合う。

 注目を集めた代わりに極わずかな時間を得られたのだ。彼女は何か策を考えねばならない。焦る彼女がどうにか思い浮かんだ案はあまり使いたくないものだった。

「ラッコは私の奴隷だ。私の両親が買ってくれた奴隷を私が連れ回したって問題ないだろう」

 シルの感情が自身も知らないどこかで溢れている。

「奴隷だと?」

 男は怪訝な顔をするがここまでは予想済み。問題はここからだった。

「お前の家にそんな金があったのか?」

「私の両親は南の国境付近で宿屋をやっている。私は用事があって旅に出なきゃいけないから荷物持ちとかに使えるようにって親たちが無理をして買ってくれたんだ」

 シルは努めて冷静に答える。背後のラッコは状況を悪化させないためにフードを深く被り直して口を閉ざしていた。

「ほお、お前の親はいつどこで奴隷を買ったんだ?」

「南の国境付近に来た奴隷商人からだ。戦争が始まる直前に買った」

 シルは話に矛盾がないように注意しながらも不自然な間を開けないように気を配る。

「それじゃあ、お前の旅の目的は?」

「家の商売関係で集金しなきゃならない」

「宿屋なのにか?」

「宿屋の商売として集金するんじゃなくて、戦争で客足が遠のいてきたからこれまであちこちに貸していた金銭を回収して生活を維持するのが目的だ」

「借用書を見せろ」

 シルはラッコの鞄から彼が言語の勉強に使用した紙束を取り出す。

「これがその借用書の写しだ」

「ちょっと見せろっ」

「だめだ。うちの資産だぞっ、なにより商売の信用に関わるっ!」

 シルは紙束の内容を見られないように男から数歩下がる。ラッコもその意図を察してシルの背後から見られてしまわないように立ち位置を調整した。ボロが出る前に鞄へ紙束をしまうと男が変わらずに疑いの言葉を放つ。

「ならどこで集金するのか言ってみろよっ」

 シルは紙束をしまったまま答えた。

「アシゲ―、モロニ、リタアノソ、テデネール、それとキサノビュの信者にも貸しがある」

 シルの言葉を聞いて獣人の男は声を荒げた。

「嘘つくんじゃねえっ。百歩譲ってキサノビュに亜人がいたとしても、テデネールは大昔から人間の領地だろうがっ!」

 シルも負けじと叫ぶ。

「戦争が起こる前は人間との取引もそれなりにあったんだっ。テデネールを獣人の軍が占領したら私は借金を横から略奪される前に回収しなきゃいけないんだぞっ!」

 歯を剥き出しにしてにらみ合う二人。

 終わらない平行線をどうにかしようと獣人の男は最後の質問を投げつける。

「ならよ、どうしてその男が亜人だなんて嘘をついたんだ? そもそも奴隷ならそう言えば済む話だよな?」

「奴隷とはいえ人間が村に来たら怖がる住民も出てくる。私なりに配慮したつもりだ」

「だけどよ、余計に混乱が起こったわけだ。それはどう責任とるんだ?」

 シルは俯いて少しの間無言になった。そして。

「…………っ!」

 ラッコの顔を殴りつける。シルは地面へと転がった彼を蹴り、続けて殴りつけた。

「まったくっ、お前のせいで私が詫びなきゃならないじゃないか! どうしてこんな目にあわなきゃいけないんだっ!」

 顔や腹だけでなく、胸や肩、腰など全身を殴る。最後は馬乗りになって胸元を掴んで怒鳴ったり引っぱたいたりもした。

「お前みたいな愚図のせいで、獣人からの心証が悪くなったらどうするんだっ!? お前なんか、手足をもいで魔物の餌にすれば良かったんだ!」

 皮膚が切れてしまったのかシルの拳から血がにじむ。

 シルは初めて自分の手足をもがれてしまいたいと思った。ラッコを傷つける手足なんて失って、自分こそ魔物に食べられてしまえばいいのにと。

「獣人と亜人の立場も知らないくせに、お前は私の人生を狂わせるつもりかっ!」

 私の人生なんてもう狂ってしまっていて、それでも彼は一緒に生きて、戦ってくれたのに。

 シルはラッコと一瞬だけ視線が合う。そんなに優しい目で見ないでほしい。もっと恨んで、憎んでほしい。でないと、自分はおかしくなって壊れてしまいそうだ。

 これは本当に演技なのだろうか。あまりにも容易に出てくる罵倒の数々は本心なのだろうか。シルは自分でもわからなくなってしまった。ただ、自身の言動に対する嫌悪感と吐き気だけははっきりと自覚できた。

 シルはひとしきり殴ったあと、興奮しすぎて御せない呼吸のまま立ち上がって唾を吐く。

「お前みたいな愚図に大事な借用書は任せられないっ」

 そう言うと彼女は自分とラッコ、両方の荷物を持って歩き出す。

「早く立て、ぐずぐずするな!」

 ラッコは無言で立ち上がると、よろよろと歩いてシルについて行った。

 村の誰もが目の前で起こったことに注視しており、場の空気はさっきまでとはまったく変わっていた。

 その村人たちの空気やシルの言動にあてられたのか、獣人の集団も半信半疑のうえに白けてしまったようで二人を追いかけたり呼び止めたりする者はいなかった。

 村にいる誰もが二人の背中を目で追う。彼らの歩いた道には微かな血や汗といった体液の跡が標のように等間隔で残されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る