第33話 侵入許可
ピナラとの取引を受けた翌日。シルの体調が回復したこともあり、ラッコは事情を説明することにした。
陽の光が入り込むほど浅い洞の中で腰を下ろし、ラッコは自分のカップに注がれた水を揺らす。
シルは寝込んでいたときにピナラの顔を見ていたようで、朧気ながらも彼女のことは覚えていたようだ。
しかし、実際に取引に応じたわけではないこともあってシルは疑問などを口にする。
「それで……ミケンに侵入すればいいの? ピナラって女は本当にそれしか条件をださなかったの?」
犬耳と眉毛を垂れさせるシルに、当のラッコも若干困惑しながら返答した。
「そうなんだ。入りさえすれば、それでいいって。それ以降は何をしても問題ないって言ってた」
シルはまだ怠さの残る腕でカップを掴むと、冷めかけた白湯に口をつける。
水分の補充された脳はピナラの真意を探ろうと働き始めた。
彼女の目的は十中八九ミケンの攻略だろう。ならばなぜ、自分が侵入しないのか。陽動、侵入可能な経路の確認、罠のチェック、あるいはミケンに内通者がいて、前任者のラズたちやシルとラッコのような男女ペアが何らかの合図として機能するのか。
「考えても仕方ないか……」
カップの中身を飲み干す頃、シルは思考を取りやめた。
ピナラの目的がなんであれ、やることは変わらないし、知ったところで何かできるわけでもない。
「シル、それで……どうやって侵入するのか考えたんだ」
少女の犬耳がピクッと起き上がる。
「なにか案があるの?」
「ある。といっても、条件が厳しいんだけど……」
「どんな条件でも、私はラッコを信じる」
そもそもこの旅は最初から無理が多かったのだ。無茶なんて承知の上。どうせ碌なことが思い浮かばないのだからラッコを信じることに躊躇いもない。
ラッコは考えた策をシルに説明する。自分でも穴だらけだと思うような計画を、シルは真剣な面持ちで聞いてくれた。
まだ昼を過ぎたばかり。ラッコの計画が動くのは、彼の予想では夕方以降である。
シルはラッコから聞いた計画を何度も自身の中で反芻した。無茶は承知の上であったが、あまりにも無理のある案だったからだ。少年と少女は揃って眉尻を下げながら口角をやや上げ、互いの顔を見合った。
そうして日が暮れるまで、どうすれば現実的な計画になるのかを協議することになったのだ。
夜、二人は荷物のほとんどを置いて洞窟を出て行く。シルが短剣と水袋を腰に提げている以外は何も持たない。ラッコは完全に手ぶらだ。
「いくよ、シル」
「うん」
二人はミケンの方角を向くと、森の中を駆けだした。ジョギングくらいのスピードで走り始め、徐々に速度を上げていく。
木々を躱し、石や根っこ、茂みを超えて森林を駆け抜ける。ラズたちから逃げていたときに森の中での走り方は学んだ。
ここで大事なのは早く森を出ることではない。走ることそのものと、ある程度体力を消耗することだ。
虫の音を置き去りにして、月明かりに示された道ならぬ道を進む。
前方に生え揃った木々の隙間から、ミケンの外壁が見え始めた。
平原の中央に位置するミケンは月と星に照らされ、その全貌を夜闇の中から浮き上がらせる。
二人は森を出る直前に一度だけ顔を見合わせて頷いた。こんな風に見合うのはこれが最後だ。少なくとも、ミケンに入るまでは。
木々を背にして平原を踏んだとき、阻むものの存在しない自由な風がシルの耳と髪を揺らした。心なしか尻尾も爽やかに感じる。
これは自分で思っている以上に汗を掻いているな。そんなことを考える余裕がシルにはまだあった。
二人は懸命に走るが、ミケンはその存在感に反して異様に遠い。距離感がおかしくなるほどの規模だというのが実感できる。
ミケンに近づくと、外壁の上から青白い光が放たれているのがわかった。
魔力燃料のサーチライトだ。このまま進めば外壁に触れるよりも先に発見されてしまうだろう。
だが、今回は見つけてもらわねば困る。それよりも問題は、発見次第殺害されるのではないかということだ。
いや、もうここまで来て戻ることなどできない。サーチライトはもう鼻先にまで届こうとしているのだ。
不安が表層化したときにこそ事態は動き出すもので、二人はライトの中へと飛び込んでしまう。飛んで火にいる夏の虫を体現した二人はライトに追われる。
刹那、シルはラッコに飛びついて平原へと倒れ込んだ。
僅かに遅れて二人のいた場所に数本の矢が突き刺さる。
「攻撃するなっ! 我々は味方だっ!」
「人間の軍勢に追われているんだっ! 保護してくれ!」
ラッコもシルも有らん限りに叫ぶ。
警備の獣人兵がライトの光を背に数人やって来た。
「お前たちがこちらの味方だという証拠は?」
獣人の一人が訊ねた。着こんだ鎧同様に無骨な槍先がラッコに向けられている。
「……何が望みだ?」
ラッコは焦らずに相手の出方を窺うことに決めた。下手なことを言えばボロが出る。
「なぜ人間に追われる? お前たちは人間と亜人だろう? その理由を聞かせろ」
「僕たちの両親は密偵だ。人間側の情報を集めていた。でも殺されて、僕たちだけで逃げて来たんだ」
でっち上げの言葉にも、獣人兵のリーダーらしき男は応じてくれる。
「誰の指揮だ?」
「わからない。実働していた両親は死んだんだ。僕らは情報を持って逃げてきただけだ……」
「なら情報を聞こう」
下手に話を進めると用済みと見なされて殺される可能性もある。ここは少し賭けに出る必要があった。
「貴方で真偽を確かめられるのか?」
「ガキの癖に言ってくれる」
兜で顔が見えないものの、リーダーらしき男は笑っているように感じられる。
この獣人はこちらの話を聞いてくれそうだが、流石に警戒は弱めてくれない。このままでは侵入どころか逃走もできない。
何か、良くも悪くもアクシデントが起こってほしかった。それこそ、誰かが早まって自分たちを攻撃するような、ラッコとシルに死なれては困ると獣人に思わせるような、そんなアクシデントが必要だった。
「ぐがぁっ!?」
ラッコの目の前で、突如獣人の一人が倒れ込む。その頭部には投擲用に槍が刺さっていた。
「敵だっ」
獣人たちは周囲を見回すが、近場には人の気配がない。
「危ないっ!」
「あう」
ラッコはシルを引っ張って地面を転がる。彼らの周辺にも槍が突き刺さった。
誰の攻撃だろうか。暗いせいもあるのだろうが、周囲に人影らしきものはない。サーチライトも右往左往するばかりである。ということは、この槍は相当な遠距離から投擲されているのだろう。
命の危機だが、これは利用する価値がある。
「僕らの口を封じに来たんだ」
「なんだと? 仕方ねえ、おい、お前たちはこの二人を連れて詰め所に行け。警備長に指示を仰ぐんだ」
「このガキ共の言葉を信じるんですかい?」
「信じるのも疑うのも今の俺らの仕事じゃねえ。俺は他の奴らと槍を投げて来る野郎を始末しに行くから、おめえらはそのうちに行くんだっ!」
「わかりやした。おい、行くぞガキ共。妙な真似したらその場で殺すからな」
そうして獣人の男はシルとラッコを先に歩かせる。
獣人の男たちの周囲には未だ出処の知れない槍が襲い掛かって来ていた。
ラッコの背後で水風船を棒で刺したような音が聞こえる。
振り向くと、ラッコたちを歩かせていた男の一人が飛来した槍によって串刺しになっていた。
「クソがっ! いくぞ。ついてこい!」
もう一人の獣人がシルの方を向いて叫ぶ。ラッコもシルも、獣人と共に走り出した。
走り続けていると、暗闇の中に薄っすらと家屋のようなものが見えた。ミケンの外壁の一部であるその建物が詰め所なのだろう。
獣人の男が大声で叫ぶと、ゆっくりとドアが開かれる。ラッコとシルは、獣人兵と共に詰め所へと入ることになった。
入れ替わりで何人かの獣人が平原に飛び出していく。おそらく、他の詰め所などからも同様に応援が向かっていることだろう。
サーチライトは地も天も区別なく走り、獣人たちは血飛沫の余興と断末魔の歌唱に耽る。
この狂った宴は天上の月が傾くまでは終わりそうもなかった。
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