第34話 虜囚
ミケンの内部へと連れられたシルとラッコの二人は、取り調べを受けることになった。
持ち物のチェックのみならず、裸にされて危険物の所持などがないかを確認されたのである。
羞恥よりも恐怖が勝る時間の中で、調べていた獣人の男があることに気がついた。
「やはり烙印がない」
「烙印?」
シルが聞き返す。それがよくなかった。
「烙印を知らないとは、やはりお前たちは人間側の手の者だな」
獣人の一人が温度感を上昇させたことに感化され、他の獣人たちも温まってしまう。
「こいつらは間者の類だ!」
「敵に違いねえっ」
ケダモノの性か、周囲にいた獣人たちは瞬く間に沸騰する。
彼らは最初にラッコを殴った。なぜ彼が殴られたのかと言うと、シルよりも獣人たちに近い位置に立っていたからである。
ここにいる獣人たちは理知など持ち合わせていない。人間の行動を真似ているだけで、その本質は感情や本能に支配されている。
もしも本当にラッコたちが人間側に属しているのであれば、二人からなんとしも情報を得なければならないし、仮に暴力を振るうのであればそれは建設的な目的を持ち合わせたものにしなければならないはずだ。それなのに、ここにいる獣人たちは自分たちの本分など意にも介さずに感情を剥き出しにしている。
ラッコは自身を取り囲む獣人たちから降り注ぐ暴力に耐える。
「うっ……ぐ……」
顔も腹も、部位など関係なく襲い来る力。人体には過剰なダメージだが、ラッコはされるがままだ。
ここで何かをしたところで獣人たちに勝てるわけではない。むしろ余計なことをすれば逆上せ上がった獣人たちに油を注ぐことになりかねない。
ラッコにできることと言えば、なるべく反応を最小限に抑えて獣人たちの怒りが静まるのを待つことだけだ。
――殴られるの……シルじゃなくてよかった。
ラッコはそんなことを考えて苦痛から目を逸らした。
だが、シルは自分よりもラッコが殴られた方が良いなんて思いもしない。
それどころか彼女は自身の不用意な言動でラッコが苦しんでいるのを見て青ざめる。
「やめてっ、ラッコが死んじゃうっ!」
シルはラッコを助けようとして獣人たちに飛びつくが、体格の差がありすぎて一人を制止させることさえできない。
「きゃっ」
暴れる獣人の腕がシルの顔に当たって弾かれるが、それでも彼女は何度も獣人たちに飛び掛かった。
それしか彼女にはできなかった。獣人たちの隙間から傷だらけのラッコの姿が見える度、シルの胸が酷く痛んだ。
自分が殴られるよりもずっと辛いのに何もできないこの状況が情けなくて仕方がない。
目に涙を浮かべ、この状況へ必死に抗うシル。
――なんでもいいから、ラッコを助けて……
シルの願いが聞き入れられたのか、理不尽な暴力の熱が溜まったこの部屋に鶴の一声。
「さわがしいぞ。何事だ」
誰もが声のした方を振り向く。そこにいたのは狐の獣人だった。
狐の獣人は軍の制服を纏い、腕を組んで壁によりかかっている。
気障な態度だが、他の獣人たちが静まり返ったのを見ると言動相応の位を持つ男なのかもしれない。
「フォッス様。実はここにいるガキ共は……」
獣人の一人が説明に向かう。フォッスと呼ばれた狐の獣人は話を聞くと何度か頷いて笑みを見せた。
シルはフォッスの笑みを見て背筋に水を垂らされるような感覚を覚える。
何かが起こるというシルの予兆は当たり、彼女の前へとフォッスがやって来た。
「シルと言ったかな? オレと来てくれ。詳しく話を聞きたい」
シルは返答に窮した。もしもここで下手な事を言えばまたラッコを危険に晒してしまうかもしれない。
だから彼女はまず、確認したいことだけを聞くことにした。
「ついて行ったら、ラッコは、そこにいる彼はどうなるの?」
フォッスの顔から途端に笑みが消える。
「余計なことをしゃべるな。オレの質問に答えろ。返答は来るのか来ないのかだ」
このとき、シルはフォッスという男の本性を垣間見た気がした。
――この男はまずい。逆らったら見せしめにラッコをなぶりものにするかも……
「行くわ」
「そうか。ならいい。おい、そっちのガキは地下牢にぶち込んでおけ」
シルは上着を羽織ってフォッスと共に部屋を出る。
フォッスたちが部屋を出るのを待ってから、獣人たちはラッコを連行した。
ラッコは碌に手当もされないまま地下にある牢へと収監される。
灯りのない地下牢はひたすらに静かで薄気味わるい。
冷たく硬い床に転がって傷の痛みを紛らわそうとするラッコだが、虫と鼠の気配で気が散って仕方ない。
傷が癒えないどころかこのままでは感染症にでもなりかねない状況だった。
――シル、無事かな……。ピナラは……いや、どうにかしてここを出て、シルと合流しないと。
ピナラの思惑がわからない以上、彼女をあてにはできない。
しかし、今の自分は傷を負っているどころか裸で収監されている身だ。なにかができるわけでもない。
堂々巡りの思考と地下牢の環境が相まって時間の感覚が薄れていく。
心身の疲労とダメージも決して無視できない。
もう意識を手放してしまおうか。
虫や鼠のせいで全然休まらないだろうが、このままずっと起きているのも限界が近かった。
――誰か来る?
人の気配がした。
「ラッコ……」
鉄格子の外を見ると、ランタンを持ったシルがいた。彼女の背後にはフォッスもいる。
「シル……」
ラッコは不調な心身を押して身体を起こす。
「あのね……これからのことなんだけど……」
ランタンの灯りがシルの曇った顔を明るみにする。
「ラッコは戦争が終わった後、人間の国との捕虜交換に出されるから、そのときに人間の国へ行って。スハトラに会えればきっと大丈夫だから」
シルの「ラッコは」という言葉が引っかかる。
「シルはどうするの?」
「……私はここに残る。やらなきゅいけないことがあるから……」
――やらなきゅいけないこと?
「なら僕も――」
「だめっ」
悲鳴にも似た声で拒絶される。
「どうして?」
「これは私がやらなきゃいけないことなの……だから……」
「でも」
「お願い……わかって……」
なおも食い下がろうとするラッコに対し、シルは我が子を諭すように告げる。
「ラッコが故郷に帰って、幸せに生きていけることを願ってる」
それは偽りのない本心で、どこまでも悲痛な別れの言葉だった。
シルの瞳は磨かれた鏡のようにラッコを写す。その目に涙がじんわりと滲むのがラッコにも見えた。
彼はもう何も言えず、ただ座り込むしかなかった。
その姿を見たフォッスは笑みを浮かべる。
「もう行くぞ」
「はい……」
シルは座り込んで俯くラッコの姿を見ながらその場を後にする。
暗い地下を出たとき、シルは涙を拭いてフォッスに話しかけた。
「これで、ラッコは助けてくれるんですよね」
取り調べの部屋を出てラッコと離れた後、シルはフォッサといくつかの話をした。そのうちの一つがラッコの身の安全に関する事である。
シルがラッコに別れを告げたのはそれが彼の生存を保証してもらうことの条件だったのだ。
「ああ、戦争が終わるまであいつが生きていられたらな」
サディスティックな口調だが、たとえ口調が変わらなくてもシルにはフォッスの言葉の真意がわかっただろう。
フォッスは終戦までラッコを生かしておく気など毛頭ないのだ。
「話が違う!」
「約束は約束だろう。オレは戦争が終わったらあのガキを人間側に渡すと言っただけだ。それにすぐに乗っかったのはお前だ」
シルは咄嗟にラッコの元へ行こうとするが、フォッスに力一杯殴られてしまう。
「あぐっ」
シルは殴られた拍子に壁に頭をぶつけて倒れる。
フォッスは床に倒れたシルの髪を掴み、耳元で囁く。
「あのガキが生きられるかどうかはお前の心掛け次第だ。どうしても死なせたくないんなら言動に注意するんだな」
フォッスはシルの髪を引っ張って無理やり起き上がらせると、半ば引きずるようにして近くの独房へと連れて行く。開けた扉から投げ入れるようにして閉じ込めると、鉄格子の窓から最後の忠告をした。
「次会うまでに身の振り方を考えておくんだな。お前の態度次第じゃあのガキはただ死ぬだけで済まないかもしれないぞ」
そういって窓を閉め、フォッスは去っていく。
フォッスの性格からしてただの脅しではない。そもそも今のラッコは何もしなくたって生きていけないだろう。傷を負ったまま裸で牢に閉じ込められ、食事も水もなければ三日どころか明日中に死んでしまうかもしれない。
独房に残されたシルは自身の無力さに打ちひしがれた。今の彼女には頬を伝う涙を拭く気力さえなかった。
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