第8話 亜人、獣人、人間

 賊がいる森を迂回するため、鉱山地帯を進むことになったラッコとシル。

 山を登るわけではなく近くの道を通るだけだったが、それでも途中に採掘場を経由するので道のりは長い。

 石切場を横目に見つつ、採掘場の跡地を歩く。

 この採掘場はもう使われていないらしく、人の気配がない。岩肌を晒す山々に挟まれる道を進み、目的地を目指す。

「思ったより歩くのに苦労するな。ラッコ、大丈夫か?」

 ラッコの斜め前を歩くシルが少し疲れたような顔で振り向く。

「大丈夫。あんまり早く歩けないけど……」

 ラッコとシルの体力は想定以上に消費されている。

 山を登っているわけではないものの、採掘場の跡地は緩やかな勾配になっており、道中転がる石や落石したのであろう岩を避けて歩くのは疲労が溜まる。

 ましてやラッコが歩き慣れていない道だ。シルはまだ体力に余裕があるが、ラッコに合わせて歩くのは疲れる。

 予定では夜の前に鉱山地帯を抜けるはずだったが、このままでは採掘場で夜を過ごすことになるかもしれない。

「地図によるとそろそろ小屋が見えてくると思うんだが……」

 シルは地図を睨む。暗くなる前に地図を目に焼き付けようとしているかのような真剣さだ。

 ラッコの体力も限界が近く、シルも慣れない道なので疲労が溜まっている。どうにかして今夜の寝床を見つけたい。

 夕日が山の背後に隠れ始めた頃、2人は開けた場所に出た。

「やったぞ。ここが今日の目的地だ」

 そこはかつて採掘場の作業者たちが使っていた宿泊場だった。

 開けた土地には複数の小屋があり、近くの山々には坑道につながる穴が空いていたり、小屋につながる線路があったりした。

「真ん中の小屋に灯りがついているぞ。誰かいるんだな」

 シルが笑顔で言う。もしかしたら泊めてもらえるかもしれない。

 野宿しなくて済むならそれに越したことはないのだ。

 ラッコも最後の気力を振り絞って歩き出す。もう少しで今日の苦労が報われる。

 しかし、ラッコは不意に歩みを止めてしまう。

 足が止まると何故か不安な気持ちになった。

「どうしたんだ? 歩けないなら荷物を……」

 シルの言葉が耳に入るものの、ラッコは胸に渦巻く不安の正体を探り続ける。

「なあ、ラッコ……もしかして身体を悪くしたのか? それなら私が小屋まで行って助けを呼んでくるぞ」

 心配そうな声を聞いて、ラッコは斜め前のシルに顔を向けた。

「あっ……」

 そのとき、ラッコは不安の正体を掴みかけたような気がした。

 シルの背後に見える小屋はいくつもあるが、その中で灯りがついているのは一つだけだ。一体誰が使っているのか。

「ねえ、シル。ここってもう使われていない場所なんだよね。あの小屋にいるのは誰なんだろう?」

 ここは街道でもないので採掘場の跡地が宿場として再利用されるわけでもない。シルもハッとした顔になってラッコの腕を引っ張り岩場に身を隠す。

 考え込んでいる間にあたりはすっかり暗くなってしまったが、月明かりがあるので周囲は昼間ほどではないにせよ比較的見える。

 この世界の月はラッコがいた世界よりも大きく明るいのも要因だろう。

 シルが双眼鏡で小屋を見ると、その中に何人かの影が見えた。

 しばらく見ていると小屋から出てくる人影がある。小屋の灯りに照らされるその中にはシルにも見覚えのある顔があった。森にいた賊だ。

 そしてその賊に囲まれるのは馬の顔をした獣頭人身の種族。

「どうしたのシル?」

「ラッコ、小屋のそばにいる連中を見て」

 双眼鏡を受け取ると、ラッコにも獣耳を生やした賊と馬の獣頭人身の種族が見えた。

「ラッコ。ここから離れよう」

「うん」

 ラッコは残った体力を振り絞って歩き出す。ラッコには自分の疲れよりも、シルの顔色が月明かり以外で青白くなっていることの方が気がかりだった。


 2人は近くの石切場まで戻る。

 横穴に入ると、シルが腰を下ろし、それに釣られてラッコも力尽きるように座り込んだ。

 月明かりが僅かに差し込む穴の中、シルが口を開く。

「さっき見た馬の奴がいただろう? あれがこの国を治める獣人たちだ」

「あれが、獣人」

 ラッコは獣頭人身の馬を思い出す。

「ラッコのような人間たちからすれば、私たちは亜人と言う区分になる。でも私たちのような種族と獣人は少し違うんだ」

 シルは少しずつ獣人や亜人について教えてくれた。鞄から辞書や図鑑を取り出すとページをめくって見せてくれる。

 ラッコはベルトに下げていたランタンを外し、月明かりと合わせて照らしていく。

「私たちは獣人が人間と交わって生まれた種族なんだ。だから身体は人間とほとんど同じだけど、獣の耳があるだろ?」

 そう言ってシルは犬を思わせる耳を指で摘んで見せる。

 ラッコにはその仕草が少し自嘲的に感じられた。

「獣人の国では純粋な獣人が統治している。さっきの馬のやつみたいなのがな。そして、純粋な獣人がエリートで、私たちのような他種族と交わって生まれた亜人は身分が低いんだ」

 シルの口から漏れる溜息は疲労と不快感を感じさせる。

 ラッコはただ黙って聞く。ここでシルが話してくれることは大切なことだとわかるのだから。

 シルの話によると、獣人が人間と交わると少しずつ人間に近い子どもが生まれ、その子どもと人間が交わるとラッコのいた世界で言うケンタウロスのような半人半獣の子どもが生まれる。そうやって繰り返しいくうちにシルのような獣の耳以外人間と変わらない見た目の子どもが生まれるらしい。

「私の両親は私と同じように耳があったけど、私も親と違うところがあるんだ」

 そう言って立ち上がるとラッコへ近寄り、(シル自身が履いている)ズボンを下げる。

 ラッコは咄嗟に両手で目を覆う。シルはその手を軽く掴んで自分の腰に回す。シルはラッコに対して横を向くように身体を動かし、ラッコの手を自分の尾骶骨を触らせる。

「私には尻尾がないだろう? 私のお母さんにはあったのに……」

 彼女の促すままに尾骶骨のあたりを触ると、ラッコよりも少し盛り上がっているだけで尻尾はなかった。

 滑らかな素肌の感触は獣ではなく人間のそれであるし、ラッコの目に写るシルは(犬のような耳を除けば)人間の少女にしか見えない。

「昔獣人に言われたことがあるんだけど。私のような亜人は獣人でもなければ人間でもない雑種なんだって」

 彼女の声には自虐が含まれていた。ラッコに出会うまで、彼女はどんな扱いをされてきたのだろうか。ラッコは初めて声をかけてきた商店の男性を思い出す。獣人の国はラッコの想像できないような世界なのかもしれない。

「シル、そんなことを……」

 ラッコはなんだか悲しいような、腹が立つような気がして、でも彼女にどう声をかけていいかわからないので代わりにシルの手を少し強く握る。

 シルは目を細めて「ありがとう。ラッコ」と言った。

「僕にとってはシルが一番だよ」

 ようやく出てきた言葉がこれだった。もっとマシな言葉があっただろうと思ったが、これは事実だ。

「私もラッコが一番だな」

 そう言ったシルは月明かりに照らされたせいか神秘的で、少し柔らかい表情だった。

 そうして少し話し合って、見つめあって、夜更けに身を寄せ合って眠った。

 朝になったらもう一度小屋の様子を見に行こう。

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