エピローグ
体を包み込むような極上のソファに身を包み、睦月はくつろいでいた。
目の前には飾っていたほうがいいのじゃないかと思うような美しい茶器が湯気を上げて紅茶のいい香りを部屋に広げている。睦月の正面ではメイが落書き帳に一生懸命絵を描いている。
「食器が豪華になると、味までランクアップする気がするわね」
斜め前のソファに、まるで自宅のように寛ぐ浅葱の姿があった。
それらしい所作をすることで、雰囲気的にはたしかに貴婦人のように見えないこともない。
「なんで先輩がここにいるんですか?」
「いいじゃない。華さんがいいって言ってるんだから」
それは事実であるが、肝心の華は外出中である。すべての調度品が桁違いの価値を持っているというのに、家主は睦月たちを置いて出かけている。
彼らに少しでも悪い心があればすべての貴金属が奪われてしまうのだが、それはないと信じ切っているのだろう。
メイを取り戻した睦月は、自宅や事務所は危険と考えて、依頼人である華の屋敷に世話になっていた。ありがたいことではあるけども、もう少し危機感を抱かなくていいのだろうかと、そんな風に家主である華のことを考えていると、扉の開閉する音が聞こえ華が帰ってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
彼女はコートを脱いで、浅葱とは違う本物の所作で優雅にソファに腰を落ち着ける。
「今日は朝早くからどちらに?」
「ふふふ。頼んでおいたものができたそうなの」
華がカバンから一枚の封書を取り出した。
「中を見てごらんなさい」
睦月は言われるがままに、それを手にする。
封書の中に入っていたのは、一枚の戸籍謄本である。
何の変哲もない役所に行けば誰でも手に入るものであるのだが、睦月は記載内容を目にして息をのんだ。
「これって…!」
「ふふふ。久しぶりに石動の力を使わせてもらったわ」
まるでいたずらっ子のように、はにかんで見せる華。
しかし、”石動の力”というものに睦月は驚くと同時に軽い恐怖を覚える。
華は旦那を殺したと言外に睦月に言った。
しかし、捕まっていないのは、石動のおかげだと。
それは、冗談かあるいは何かのメタファーかと思っていた睦月だったが、その力の片鱗をこうして目の前に見せられては言葉を飲み込むというもの。
「それ、なに?」
浅葱が書類をのぞき込み、
「えっと、何々?って、嘘でしょ!!」
書類に書かれた内容に気付いたのか浅葱が驚きの声を上げる。それはそうだろう。そこに記載された内容は普通ならあり得ないことなのだから。
「睦月君って6月生まれだったの!!!!!!」
「って、そこはどうでもいいでしょうが!!」
うっかり浅葱のボケに突っ込みを入れると、彼女がにやりと笑う。
「どうしたの?」
そんな二人の様子を見て、メイがお絵描きをやめると不思議そうな顔で睦月を見上げた。睦月は少女の頭に手をのせて撫でながら、書類に書かれたことを教える。
「この書類にはな。メイが俺の娘って書いてあるんだ」
養女という形ではなく実子という形で、如月メイが睦月の娘であることが戸籍謄本に乗っていた。それは初めからメイが睦月の子供として生まれて”いた”というように事実を改ざんしてあったのだ。
戸籍を書き換えることなど普通出来るはずはないのだ。
それが、この人にはできるのだ。
睦月がメイを連れ戻すことを決意したとき、再び奪われないようにするために睦月の娘としての既成事実を作り上げてしまえばいいと、華が提案してくれたのだ。
無理と分かっていても、そういうことを考えてくれた華には感謝していたのだが、まさか現実のものになるとは睦月は考えていなかった。
「…パパなの?」
「そうだよ。今日から僕はメイのパパになるんだ」
決意を込めて睦月はそう宣言する。
「パパ!!」
メイを抱き上げて、睦月はこの現実をかみしめる。何度も、メイの名を呼び。代わりに「パパ」と呼ばれる。
パパとしてやっていけるか正直自信はない。でも、この幼い少女の笑顔を守るためならどんなことでもするという決意は本物だった。
腕の中にすっぽりと収まってしまう小さな少女を守り抜くことを再び心に近く。
「華さん、ありがとうございます」
「いいのよ。私はちょっと知り合いにお願いしただけだから」
ふふふ、と華が笑みを見せる。
幸せがそこにあった。
でも、幸せの時は続かない。
ほとんど鳴ることのないインターホンが来客を告げた。
「へんね。今日はどなたとも約束はないのだけど」
首をかしげる華をみて、睦月は窓から門のほうに目を向けた。そこに立っていたのはメイの母親である。
「どうやら、僕の客人みたいです」
睦月はリビングルームを出て、玄関に向かった。
「よくここにいるってわかりましたね」
「RDIの調査力を舐めないことよ」
「…それで、何の用です?」
「娘に会わせてほしい」
ケイトは真摯なまなざしで睦月の目を見つめた。逃げも隠れもしない覚悟がそこにはあった。
「私はRDIをやめたわ。だから、これはもうRDIは関係ない。私が母親としてあの子に会いたいの」
「辞めた?ケイトが?」
「ええ、そうよ」
嘘を見抜く力など皆無だと睦月は自分を評価しているけども、それでも彼女の言葉に嘘はないとそう思えた。それに彼女は”娘”にあいたいとそう言ったのだ。
「こっちです」
だから、睦月は彼女を案内する。
「言っときますけど、先日のことがあるんでメイが怯えるかもしれませんよ」
「わかってるわ。それでもいいの」
リビングまでいくと、メイは浅葱の服をぎゅっとつかんで彼女の背後に隠れるようにしていた。華は特にいつも通り落ち着いた様子で紅茶を飲んでいる。
「メイ。この人のこと覚えてる?」
睦月の言葉に少女は首を左右に振った。それは知らないという意味ではなく、ケイトへの拒絶である。
「(この間はごめんね)」
ケイトが腰をかがめて語りかけるが、メイは浅葱の服をつかむ力を強くするばかりである。メイにしてみれば、誘拐犯なのだ。この反応は仕方がないことだろう。
「(ケイト、悪いけど、これ以上は)」
「(ええ、そうね。残念だけど)」
立ち尽くすケイトは、少女から距離をとり睦月に向き直る。
「(また、今日は帰るわね。それと、一つ伝えておくわ)」
「(なんです?)」
「(RDIがメイちゃんだっけ?彼女に関わることはもうないわ)」
「(えっ?それは…)」
「(RDIとしては十分なデータは取れていたし、私が辞める時に手を出すなって言っておいたから)」
その言葉に肩にかかっていた力が一気にほぐれる。
「(はは、さすがはRDI最強の調査員ってことですか。カーリーの名は伊達じゃないですね)」
「(…カーリー?なんで、そこで出てくるの?)」
「(えっ?)」
睦月は自分の失策に舌打ちした。
彼女の表情を見て、ケイトがカーリーの意味を知らないことに思い立ったのだ。さて、どう言い訳をしようか、とそう考えていると、
「(カーリーって、たしかヒンドゥー教の破壊の女神の名前じゃなかったかしら)」
「(っ!!!!?)」
まさか背後から刺されるとは、睦月は冷や汗を流して正解を口にしてしまった華に向き直る。
「ちょっと、華さん。横文字嫌いっていいませんでしたっけ?」
「あら、やだ。嫌いとは言ったけどしゃべれないとは言わなかったわ。旦那様と世界中を旅行したりもしたし、英語くらいできないと」
「…」
これだから女は!!
睦月は思った瞬間、頭をぐわしっとつかまれた。
犯人は考えるまでもなく破壊神その人だ。
「ぐぎぎぎぎっ、ちょ、たんま、死ぬ…」
睦月の頭蓋骨がきしみを上げる中、鬼の形相でケイトが目を合わせてくる。
「(どういうことかしら)」
「(いやいやいや、文句があるなら、そんなあだ名をつけた元旦那を糾弾してください。僕は何も悪くないですよ)」
睦月が死にそうになりながら、周りに助けを求める。
だが、華も浅葱もケイト相手にどうにかなるわけがない。と、そこに、一人の少女が助けに入った
「(パパをいじめるな)」
メイがケイトをポカポカとたたいたのだ。
「(パパだあ?)」
ケイトの顔が般若のごとくゆがみを見せる。だが、そうはいっても、メイの前でこれ以上の暴挙は働けないと彼女の中の冷静な部分が諭してくれたのだろう。
睦月の頭蓋は砕けることなく解放される。
「メイ、ありがとうな」
「えへへ。パパをいじめる人はメイがやっつけるの!!!」
至福の時である。
背後に能面のような魔物が突っ立っていても、睦月の心は幸せでいっぱいだった。
「(そんなわけですから、この子に嫌われないうちにとっとと帰ってください。出口はあちらです)」
「(ちっ、まあ、いいわ。また来るわね)」
そういって、嵐は過ぎ去っていく。
睦月は改めてメイに向き直り、少女の頭を撫でた。
ケイトの話を信じれば、戸籍を改ざんする必要はなかったのかもしれない。でも、睦月はこれでよかったのだと思う。父親をやることに不安はあるけども、ケイトとメイの間にはまだシコリがあるのだ。
母親だからとすぐに渡すことはできない。いずれケイトが母親として引き取る日が来るかもしれないけども、それまでメイの保護者は必要なのだから。
睦月はもう一度メイをその腕に抱きしめた。
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あとがき
読了ありがとうございます。
って誰も読んでないですけどね(泣)
これで最終回です。
良かったらフォロー宜しくお願いします。
コメントなど返事しますのでお気軽どうぞ。
D.O.O.R 異界調査報告書 朝倉神社 @asakura-jinja
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