第一話 下請け(01)
テレビや漫画の世界の探偵が毎日のように死体を発見して犯人探しに明け暮れていようとも、現実の探偵は浮気している旦那を尾行するのが関の山だ。それと同じように、DOORという異界の調査員の日常もとてつもなく地味なものである。
トレーダーのようにモニターが四つもある事務机に向かって作業をしている浅葱の横で、睦月はひたすら印刷したばかりのチラシを折りたたんでいた。パソコンで作成したA4サイズの事務所の宣伝チラシである。自作しているのは端的に言ってお金がないからだ。ポスティングの際にはA4サイズでは入らないので、ちまちまと半分に折り曲げているところだ。
「むつきくん、これ」
作業している睦月に、6歳くらいの女の子がペットボトルを突き出してきた。キャップを開けてくれということだろうと、ペットボトルを受け取って開けて返す。すると満面の笑みを浮かべてトテトテと駆け足でソファに飛び込んでいく。
子供というのはいつでも全力である。
メイと名づけられた少女はすぐに言葉を覚えていき、睦月や浅葱に馴染んでいった。浅葱が睦月を”睦月君”と呼ぶので、彼は少女から先ほどのように呼ばれている。メイはとても利発で、すぐにいろいろなことを吸収していった。
少女を発見したDOORについては、あの後の内部調査により全貌を解明した。メイ以外の生き物は発見されず、幾つかの分岐のある通路の先にバスケットコートほどの空間が広がっていた。内部で起きていた通信障害に関しても、あの空間全体に微量の金属片が漂っていることが判明し、金属片で電波が乱反射しているのが原因だと分かった。
奥に行くほど通信障害が酷くなるというわけではなく、入り口から最後まで通信障害は起きていたのだ。ただ、通信障害のレベルが低く、距離が無ければ何も起こらなかったというだけのことである。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
分かってしまえば大したことではなかったのである。
空気中に常に金属片が漂っているという環境がどう影響するのか、はたまた通信障害がどのように有効活用されるのか。そこから先は調査員である睦月の知るところではない。
彼はあくまでも調査員であり、DOORの利用価値を決めるのは他の誰かだ。オーナー自ら使い道をプレゼンすることもあるが、基本的には睦月の提出した報告書を元にDOORはオークションにかけられる。
「はい、お電話ありがとうございます。こちら如月調査事務所です」
電話のベルが鳴り浅葱が電話を取った。彼女がしゃべっているのを横目にしながら、目の前の作業の続きに戻る。DOORは毎年毎年増加傾向にあるが、発見されるDOORの大半がRDIを筆頭とした大手の調査会社に持っていかれるため、睦月のところに調査依頼が来るのは数えるほどしかない。
大手に頼むほどの金銭的余裕がないオーナーがほとんどで、睦月がやっているのはそういうオーナーへの地道な営業活動である。つまりは、家主や地主にたいしてダイレクトメールを送ったりポスティングをしたりというアルバイトでも出来るような作業である。
「睦月君、睦月君。助けて!!」
焦った顔で、浅葱がコードレスフォンを睦月の方へと差し出した。まるでメイがペットボトルを持って来た時と同じように。
「どうしたんですか?」
「わかんないの。英語で女の人が捲くし立てて、何言っているのかさっぱり。超優秀な私だけどフランス語はともかく英語は駄目なのよ。と、とにかく。”睦月”って連呼してるから代わって」
「はいはい」
英語は出来ないのにフランス語は喋れるのかと突っ込みを入れたいところだが、お客を待たせるわけにもいかないので、彼女から電話機を受け取り、睦月は英語で電話口に出た。もともと国際的なDOOR調査会社に所属していた睦月は当然のことながら英語に堪能である。
「(もしもし、睦月です。どなたですか?)」
『(あー、睦月。ひさしぶり!さっきのは誰よ。英語も全然しゃべれないなんて!もっとマシな秘書を雇いなさい)』
耳に聞こえる懐かしい響きに、睦月は睦月はぴしゃりと背筋を伸ばした。懐かしさに相貌を崩すのではなく、姿勢を正してしまうところに先方のとの関係性が現れている。
「(少佐。ご無沙汰しています。無茶言わないでください。うちはただの個人事務所ですよ。英語の必要な場面なんかあるわけ無いでしょ。ちなみに浅葱さんは秘書じゃなくて助手です)」
『(そうなの。まあ、そんなことはどうでもいいわ。それより、あなたの事務所どこにあるのよ。日本の住所分かりにくすぎるわ。なんで1丁目の横に6丁目があるの。2丁目はどこにいったの?意味が分からないわ!!)』
「(はは、それ外国の人、皆言いますね。それより、うちの事務所に用事なんですか?それなら、僕が出て行きますよ。うちは来客用のスペースなんて無いですから。近くに何が見えます?)」
現在地を確認して、彼女を迎えに行くことにする。
「すみません。先輩。ちょっと出てきますんで、メイのこと、お願いします」
「おっけー。英語ぺらぺらとか、一瞬睦月君がかっこよく見えたわ。昔の知り合い?」
「RDIのときの上司です。近くまで来てるらしいので、ちょっと出てきます」
来客用のスペースがないなんていうのは嘘だ。立派な応接室があるとはいえないけども、最低限の客人を迎える用意はしてある。ただ、いまはメイのことがあるため、特にDOORに関係する人間を事務所に入れるわけにはいかないのだ。
睦月も心のどこかでRDI(Richardson DOOR Investigate Inc.-リチャードソン ドア 調査会社)の手を借りたい部分はある。メイから取った血液検査の結果は白血球の数値などに多少の異常が見られたが普通の範囲内だったし、遺伝子研究所に親子鑑定という名目で遺伝子検査をしたところ「日本人ですらないわ。バーカ」という怒りのような返事が返ってきた。
つまり、人間であることが確認されているわけだ。
できれば背中の翼のレントゲン写真などを撮りたいところであるが、睦月のような個人事務所にそれほどの設備はない。ガスクロマトグラフィ(空気の成分の調査が可能)などの機器は両親の遺産を使って無理して手に入れた高額機器である。
「こういうときに裏で協力してくれる人脈とかないの?」
と、浅葱に言われたが、そもそも開業して一年足らずの睦月にそんな便利な裏のつながりなどというものがあるはずも無く。調べられる範囲ではすでに調べつくしている。探偵が闇医者なんかとつながりがあるのはテレビや漫画の世界に限られる。
事務所を出てからすぐにケイトは見つかった。
迷っていたようだったが、目と鼻の先まできていたらしい。172センチある睦月とほとんど変わらない長身の上にヒールを履いているのでとても目立つ。ブロンドの長い髪の毛はクルクルとまとめられ、大き目のドロップ型のサングラスをしている手足の細長い彼女はまるでモデルのよう。
街行く人が通り過ぎるたびに振り返っているが、彼女の中身を知れば目も合わせずに通り過ぎるだろうと睦月は内心考える。
「すみません。お待たせしました」
「ええ、本当に待ったわ。こんなに寒い中、待たせないでよね」
「すみません。この先にカフェがあるので、そこに入りましょう」
彼女を誘導して、近所のコーヒーショップに入ると、定員を捕まえてブレンドを二杯注文する。彼女がコートを置いて、サングラスを外すと青色の瞳を携えた切れ長の相貌が現れた。退職して一年経つというのに、いまだにこの目を見ると緊張する。
「それで少佐。どうしたんですか?」
「日本人は本当にせかせかしてるわね。久しぶりに会ったのにいきなり本題なの?それに、私はもうあなたの上官じゃないのよ。階級で呼ぶ必要は無いわ」
「それじゃあ、ミセス-」
「ケイトでいいわ。それに、今はミセスじゃないの」
ミセスは結婚している女性に対して使う敬称である。つまり、現在は独り身ということである。睦月がRDIで働いていたとき、彼女には旦那と子供が一人いたと記憶している。
「それじゃあ、調きょ…じゃなくて旦那さんは?」
「いまなんて?」
「す、すみません。英語喋るのも久しぶりなんで、単語が…」
冷や汗を一滴垂らして必死に言葉を繕う。うっかり彼女の旦那につけていた愛称を呼ぶところだったのだ。下手をすれば文字通り首が飛ぶ。
「そ、その、離婚されたんですか?たしかインド人の旦那さんでしたよね?」
「彼はアメリカ人よ。インド系アメリカ人の養子だっただけで」
「そうでしたっけ、それじゃあ、お子さんは旦那さんが?」
「…なんでそう思うの?私が引きとったわ」
「なのに、こんなアジアの端っこまで?」
「ええ。そうよ」
店員が運んできたコーヒーに口につけて話の続き待った。雑みが多くてはっきり言って不味い。食べ物にこだわる浅葱の入れるコーヒーの方が何倍も美味しいと、睦月は二口目をつけるのを躊躇った。
「仕事を頼みたいの」
「仕事?それはどういう…?」
「どういうって、DOORの調査に決まっているでしょ。RDIが何の会社だと思ってるの?」
「知ってますよ。だから、逆に聞いているんです。世界一のDOOR調査会社が、極東のしがない個人事務所に何を頼むって言うんですか?」
「ちょっと、大型の案件で手が離せないのよ」
「調査員だけでも100人はいるでしょう」
「それでも、人手が足りてないのよ」
「目の前に遊んでいる人がいるからじゃないですか?」
睦月がもっともな疑問を投げかける。RDIが誇る最優秀の調査員がわざわざ睦月に仕事の依頼をしにくるなど、忙しいのであれば本末転倒である。日本支部の営業マンの一人でも寄越せばそれで済む話なのだ。何か裏があるのか?と睦月は警戒の色を濃くする。
「…私はもう調査からは身を引いてるの」
「まさか?どうかしたんですか?」
「半年前にちょっとね…」
ケイトは顔を伏せて左腕を擦る。それだけで、察しがついた。
この仕事は危険と隣り合わせだ。命を落とすことなど珍しくもない。いくら優秀な調査員でも、ずっと最前線で活躍しつづけられるような仕事ではないのだろう。睦月は驚愕すると同時に不安がこみ上げる。無敵としか思えなかった上官にすら起こり得ることなのだ。彼女に格段に劣る自分は大丈夫なのだろうかと。
「大丈夫なんですか?」
「ええ、日常生活には支障ないわ」
「そうですか…」
あっけらかんとしているケイトだが、内心は複雑だろうと睦月は思う。彼女にとってDOORの調査員は天職だっただろうから。もしかしたら、離婚もそれが原因なのだろうかと。
「私のことは良いから仕事の話をしましょう」
「はい」
「とにかく、今は人手が足りていないのよ。でも、RDIとしては引き受けた仕事はこなさなければならない。かといって、生半可な調査会社に頼むわけにも行かないわ。でも、睦月なら、元RDI社員のあなたなら問題ないわ。あなたに調査の手ほどきをしたのは一流の調査員だったしね」
「自分で一流とか言いますか。否定はしませんけど」
ケイトに鍛えられた地獄の日々を思い出すと吐き気を催してくる。彼女が一流であることを否定しない。むしろ超がつくほどの凄腕だ。RDIの母体企業は傭兵をたくさん抱える軍事及び警備会社だったため、調査員への教育もまた軍隊式で強烈だった。そこでケイトは睦月たち新人の調査員に破壊神というあだ名を付けられていた。鬼軍曹などというかわいらしいものではない。
「急ぎの案件が無いなら頼めないかしら」
「まあ、そうですね。うちも個人事務所とはいっても、それなりに贔屓にしてくれるオーナーさんもいるんですよね。RDIの元社員っていう肩書きもあるんで、けっこう引く手数多なんですよ」
ポスティングチラシをひたすら折っていただけの睦月に急ぎの仕事などあるはずも無いが、毎日暇していますなんていえるはずも無い。
「5万ドルでどうかしー」
「やります。もちろん、やりますよ。やらせてください。僕を育ててくれた恩人の頼みを断るはずないじゃないですか。はははっ」
喰い気味に言葉をかぶせてケイトの手を握る。
5万ドル。日本円にして約500万円。
DOORの調査は危険を伴う仕事だ。いくら個人事務所で大手に比べれば調査費用は安いとはいえ、普通のサラリーマンの収入を睦月は上回っている。それでも一回の調査で500万という金額には程遠い。
彼女は睦月の返事を聞いて笑顔を見せた。
「そう。よかったわ。それを聞いて安心したわ」
「ちなみに手付かずですか?」
「いえ、フェーズ3まで完了してる。内部の空気については問題なし。タイプは人工型《アーティファクト》。特別な装備無く侵入はできるけど、ドローンの調査では部屋を跨いだところで操縦不能になってクラッシュしたらしい。調査員の報告によるとずっと動きが悪かったみたい。詳細はデータを送るから、それで確認して」
「ドローンの動きが悪いですか…了解です。ちなみに場所は?」
「なんて言ったかしら、よく覚えてないけど、日本なんて小さな島国なんだしどこでもすぐでしょ」
大雑把な表現に思わず苦笑する。
世界第二位の面積を誇る国からすればそうだろうが、日本でも北海道から沖縄まで飛行機でも3時間半の距離があるのだ。早速とばかりにその場で契約を済ませてしまうと、雑談もそこそこにすぐにケイトは席を立った。
本当に忙しいらしい。
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あとがき
ちょっと長くなってしまいましたが、
読了ありがとうございます。
良かったらフォロー宜しくお願いします。
コメントなど返事しますのでお気軽どうぞ。
引き続き宜しくお願いします。
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