第一話 下請け(05)

 早朝の鹿児島市を抜けて、曲がりくねった山道に入る。

 ホテルからDOORまで距離があるのが難点ではあるが、それでも東京とは違ってほとんどノンストップで車を走らせられることはストレスフリーだった。神社の境内に車を止めて、テントのほうに向かうと昨日のRDI社員がすでに警備として立っていた。


「おはようございます」

「おはようございます。早いですね」

「ええ、まあ。昨日あまり調査できませんでしたから。それで、昨日お願いした件はどうなりました?」

「はい。本社に問い合わせをしまして調達中です。うちでもさすがに常備しているものではなかったので、すぐにとはいきませんでしたが、取り扱い業者に打診はしていますので、情報入り次第連絡します」

「ありがとうございます。それじゃあ、早速調査に入りますね」


 幕を潜り抜けてDOORの前へ。

 昨日広げていた機器はそのままにしているので、特に準備というものはない。バックパックや武器を装備して通信機器の電源を入れる。


「先輩。聞こえますか?」

『おはよう。聞こえるよ』

「現場到着しました。すいません。いつもより早い時間になりますが、早速内部調査に入りたいと思います」

『おっけー。こっちは問題ないよ。それより睦月君、身体は問題ない?』

「ええ、昨夜は良く眠れましたし、問題ないです。やっぱり、DOOR内部の重力の影響がこっち側には及ばないんじゃないかと思います。もしくは、思ったより重力も酷くないのかもしれないです。今日はそこらへんも調べるための道具も調達してきたので、まずは地上の何倍の重力が掛かっているのか調べようと思います」

『うん。慎重にね』

「はい。ところでメイは?」

『メイちゃんは元気だよ。さっき一緒に朝ごはん食べて、いまは教育テレビでイカの着ぐるみのお兄さんがやってる実験番組観てるよ』

「あー、イカのお兄さんね」

『いつも観てるの?』

「うん。気に入ってるみたい。番組の最後に実験が成功したら”俺ってイカすだろ~”って決め台詞があるんですけど、気に入ってて番組終わると連呼するんで覚悟しておいてください」

『うふふっ、それはちょっと楽しみ』

「いいなあ。先輩は。やっぱり、急いで仕事を片付けないといけませんね。ちょっと気合が入りました」

『焦って失敗しないようにね』

「分かってますよ。それじゃあ、中に入ります」

『うん。気をつけて』


 浅葱の”気をつけて”を聞いて睦月はDOORを開ける。

 異界へと通じる不思議な境界が目の前に現れる。内部の床や壁、天井と同じような藍色の水面のような空気の揺らぎが見える。意を決して睦月は装備を手に内部へと体を滑らせる。


「っ!!?」


 直後、睦月の体は”右”に落ちた。床を踏んだはずの足は、壁を蹴り右ひじを中心に落下する。瞬間的に体を縮めて衝撃に備える。地面への激突までの数瞬で、記憶にある空間を思い浮かべる。DOORの入り口から見れば、床から6メートルに天井があり、奥行きも6メートル、入り口は中央にあったため、右に3メートル。つまり、部屋の構造が変わっていなければ3メートルで落下する。


「がはっ!」


 予想以上の衝撃が体を突きぬけ、苦悶の声を洩らす。

 3メートルという高さは2階に近い高さである。頭から落ちれば死ぬことすらある高さ。それでも、軍隊式の訓練を経た睦月は”この程度の高さ”であれば問題なく着地できる。だが、それはあくまでも地上での話。

 激突したのは衝撃を殺すための受身を取ろうと体を捻ったときだった。

 重力の違うこの場所では、落下の速度も速くなる。

 3メートルはここにおいて3メートルではない。通常でも2階近い高さからの落下に相当するが、重力が地上の数倍あるここでは衝撃は重力の分早くなる。地上の2倍と仮定しても、地面への激突は0.2秒の誤差が生じる。


 痛みと衝撃で数秒の時間、睦月の意識は飛んでいた。

 目が覚めて上を仰げば、3メートルの位置に横向きの入り口が見えた。そこに、本来は無線装置が有線で外と繋がっているはずなのに、何も無かった。床を見てみると地面に激突して破損した外側にあるはずの通信機器が転がっていた。落下する時に体の一部に引っかかり一緒に落としてしまったらしい。ケースは破損しているし、電源が入っていることを示すランプも消えている。それでも、ダメ元でもと睦月は通信機器をDOORの外に向かって投げつけた。上手いこと半分だけを外に出すことに成功したのを見て通信を試みる。


「先輩聞こえますか?」

『……』


 返答は無く、睦月の声が空しく異界に消えていく。

 やはり落下の衝撃で故障したらしい。つまり、事務所との通信が断たれたと言う事だ。

 本来なら大した問題ではない。

 入り口から出ればそれで済む話なのだ。

 だが、入り口が遠い。

 たったの3メートル。通常ならジャンプすればギリギリ手を引っ掛けることくらい出来る高さだ。だが、感触的に肋骨にヒビの一つでも入っていそうな鈍痛がある。加えて右腕も骨折はしていないもののダメージは甚大である。こちらもヒビの可能性は捨てきれない。ジャンプしたところで、地上の数倍の重力の中、同じだけのジャンプ力を発揮できるはずも無いのだ。


 睦月は痛む体に鞭打って態勢を変えると、バックパックを開いて中身を確認する。通信用の中継器、ナイフ、ロープ、ボール、体重計、レーザー、水、カロリービスケット、メディカルキット、弾薬、バッテリーなどなど。

 まずはメディカルキットから、痛み止めを取り出して一錠口に入れると、包帯で三角巾を作って右腕をつるした。ロープはあるが、外の世界と繋ぐ方法が無い。


「くそっ、駄目だな。頭が働いてない」


 痛みに意識が持っていかれて、思考が拡散する。

 そこで、睦月は出来ることからやろうと、元々調査する予定だった、重力レベルについて調査をする。体重計をとりだし、乗ってみる。表示される体重は195キロ。通常時の体重が65キロなので地上の三倍だと分かる。念のために、ボールを1メートルの距離から落下させて、地面に到達する時間を測定する。計算どおりの結果となるが、それが分かったところで意味は無い。


 睦月は借り物の猟銃に手を伸ばした。

 撃てば弾丸は外に飛び出る。さすがに外のRDIの職員が異変に気付くだろう。だが、問題は彼がどこにいるのか?である。基本的にテントの外にいるのは間違いないが、一箇所でじっとしているとは限らない。更に言えば、こちらから撃った銃弾はどういう軌道を描くのかという疑問が残る。

 多少重力に引っ張られたとしても、ある程度コントロールする自身は睦月にはあった。RDIの訓練で一通りの重火器の扱いは学んだし、RDIの所有するダンジョン系DOORでの実戦経験もあるのだ。だが、軌道が想像できなければ撃てるはずもない。

 こちらから入り口に向かって撃つということは、弾丸は上に向かう。入り口を通り抜けた弾丸も上に向かうのならRDI職員に当たる心配はない。だが、現状、”下”が90度ずれた世界にいるのだ。

 どこまで予想通りに動く?


「くそ!!」


 DOORには絶対は無い。

 そもそも、絶対があるのなら、昨日は地上と内部も重力の向きは同じだったのだ。

 ほかに何がある。どうすれば出られる。


「先輩…。先輩なら絶対に気付く。僕との通信が途絶えたことに気がつけば何か手を打ってくれる。けど…」


 助けが来るのがいつになるかは分からない。

 睦月は自分の状態を改めて確認する。骨折はあるだろうが、内臓の損傷はたぶん無い。一分一秒を争うということは無いと睦月は見ている。しかし、所詮は素人判断だ。

 床に広げたアイテムに視線を戻して、自力での脱出に思考を戻す。


 ロープはあるのだ。

 ロープをDOORの外側に引っ掛けることさえ出来れば、DOORの前に幾つか物を置いているが、それらに引っ掛けられないかと考える。右腕はまともに動かないが、10メートルを上ろうというわけではない。たったの3メートル。多少の無茶でクリアできる障壁である。

 ロープに何かを括り付けられないだろうかと考える。

 ボール、ナイフ、体重計…と、DOORはどういうわけか見た目の色や素材が違っていても入り口の大きさだけは変わらなかった。幅1メートル、高さ2メートル。ドアの下に10センチ程度の段差というか枠があるので、引っ掛けることは出来るだろう。

 

 体重計にロープを結びつけ、それを思い切り投げつけた。

 3倍の重力が負担となるが、高々3メートル。余裕で入り口外に投げつける。ロープを引っ張ると上手い具合に段差に引っかかったことが分かる。あとは上るだけである。

 しかし、体重の全てをかけた瞬間に、地面にしりもちをつき頭上から体重計が落ちてくる。慌てて回避するが、一歩間違えば大怪我をしていたことに冷や汗が滲み出る。


「くそっ!」


 もっと端っこの方、ドア枠の角に引っ掛けることが出来ればと考えて再挑戦してみるが、やはり体重計では大きすぎて引っかからないのだ。

 やはり猟銃で撃ってみるか?

 思考が堂々巡りを始めたところで、睦月はふとRDI訓練生時代の言葉を思い出した。


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あとがき


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