第三話 郷愁の星空(08)

「パパ!!」

「っ!!?」


 聞こえるはずのない少女の声に、睦月は幻聴でも聞こえてきたかと思いつつ声の方に目を向ける。黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーにも聞こえたようで、同じ方に顔を向けた。


 大きな翼を広げた天使が森に姿を現していた。


 暗闇の中で、羽だけが淡く光っているように見えるのは気のせいだろうかと思う。


 睦月はメイの姿を捉えると、不思議と力がわきあがってくるのを感じていた。否、”娘”の危険に対して火事場の馬鹿力が発揮されたというということだろう。


「メイッ!!!!」


 新たな獲物に目を光らせる黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーは、すでに地面に縫い付けてある睦月を無視してメイを捕らえようと動き出す。何度も蜘蛛糸を焼かれていながら、単純なことに気がつかないのはやはり頭が弱いのだろうか。

 睦月はショットガンを放ちつつ、足を縛る蜘蛛糸を焼ききった。


 炎に炙られるのを無視して、睦月はメイに向かって駆け出した。ショットガンを連続して黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーに向かって放ちつつメイを左腕に抱きかかえる。


「むつきくん?」

「なんで、ここにとか、いろいろ疑問はあるけど、とりあえず掴まってて!!」


 ジャンプを繰り返す黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーに残りの散弾を打ち尽くすと、今度は拳銃での牽制を行う。森から転げ出るように草原地帯に戻るが、DOORの入り口まではまだ遠い。メイを抱えたまま逃げ切れるとは思えない。


「メイ。背中のリュックに手は届く?」

「とどくよ」

「よし、じゃあ、なかから硬いボールみたいなのあるから取り出して」

「わかった!」


 浅葱に見られたら激怒されるだろうと、睦月は思うがそういう問題ではない。なるべく揺らさないように走る中、メイが背中のバックパックから手榴弾を取り出した。それを睦月は受け取ると、口でピンを抜いて後ろに向かって投げつける。


「メイ、耳を塞いで」


 直後、爆音が轟き黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの巨体を跳ね飛ばす。寸前で飛び跳ねたらしく、直撃はしなかったが、爆風と破片がいくらか突き刺さっていた。


「メイ、次!!」

「まかせて!!」


 動きの若干鈍った黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの頭上に向かって投擲する。森の中では蜘蛛糸を巧みに使って攻撃をよけていたが、草原地帯ではそういうわけにはいかない。左に飛んで回避しようとするが、手榴弾の爆破範囲から逃れ切れなかった黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの足が三本吹き飛んだ。


 子供に見せる光景じゃないなと、睦月は反省しつつ、もう一発の手榴弾を取ってもらう。そして、最後の一発で黒王蜘蛛は爆散する。


「ふぅ」


 息を吐き呼吸を整え周囲を確認する。大きな音を立ててしまったので、新手が現れる可能性はあるが、とりあえずは安全そうだ。一旦引き返そうと、メイを抱いたままDOORに向かって歩き出す。ヘビがいるかもしれないので、メイを地面に下ろすつもりはない。


「メイ、助かったよ。もう一つ頼みがあるんだけど、カバンからタブレットとれるかな?」

「おっけー」


 そういってメイが取り出したタブレットのスイッチを入れる。ちょいちょいっと操作して、壊れてしまった通信機の代わりに浅葱に繋げる。


「先輩?聞こえます?」

『睦月君!!!!ああ、良かったーーーー。いきなり音声切れるしカメラもレンズが割れたみたいで何も見えなくなったから心配で、それに大変なことになったの』

「ごめん、ごめん。やばかったけど、どうにかなったみたい」

『本当に良かった。それより、メイちゃんが…』

「飛び出したんだろ。大丈夫。いま一緒にいるから」

『へっ?』


 間抜けな声を上げる浅葱に向かって声を聞かせるように、メイに喋らせる。


「せんぱい。メイだよ~」

『メイちゃん?』

「そういこと。僕を心配して駆けつけてくれたらしい。メイが来なかったらマジでやばかったけどね」

『だ、だ、大丈夫なの?』

「とりあえずは」


 睦月とメイはDOORの前まで戻ってきた。上空に飛ばしているドローンを地上に下ろして華の屋敷へと戻ってくる。するとそこには不安そうな顔をした華が立っていた。


「華さん?」

「あらあら、如月さん?ああ、よかった…って、如月さん、大丈夫なの?ぼろぼろじゃない?」


 服のあちこちが焼け焦げ、煤だらけの上に、水ぶくれや真っ赤になった顔を見て華が軽い悲鳴を上げる。


『えっ、睦月君大丈夫じゃないの?』


 華の言葉に浅葱もビックリしたような声を上げる。


「まあ、何とかね」


 二人に向かって大丈夫と嘯く睦月だが、全身と言うより特に足のやけどは酷いことになっていた。全体的にレベル1のやけどで、足はレベル2-表皮ではなく真皮にまで熱傷が及んでいる。水ぶくれだけでなく焼け爛れている部分もあった。体温が上昇しているのを睦月は感じていた。


「華さん。申し訳ないですけど、お風呂を借りても良いですか?ちょっと水風呂で全身冷やします」

「あらあら、問題ないわよ。服を脱ぐのも大変そうだから、手伝ってあげますわね?」


 いきなりズボンのベルトに手を伸ばし始めた華をやんわりと跳ね除けて、一歩後ろに下がる。


「いやいやいや、自分で出来ます。皮膚に張り付いてないですからね」

「あらあら残念?手伝いが必要ならいつでも言ってね。それじゃあ、私はお医者様を呼んでおきますね」

「そんな、大丈夫ですよ。それより、僕がお風呂を借りている間、この子の面倒を見ててもらっても」

「ええ、大丈夫よ。お嬢ちゃん、こっちでおばあちゃんとお話しましょうかね」

「お願いします。メイ、いい子にしてるんだぞ」

「はーい」


 手を繋いで廊下を歩く姿はまるで実の婆孫のよう。メイも警戒していないようなので問題はないだろう。睦月は声が聞こえなくなるところまで、彼らを見届け浅葱に通信を戻す。


「で、先輩」

『うん、どうした?』

「カラダを冷やしている間に、ネットの情報を探ってもらってていいですか?」

『…メイちゃんね。うん。羽広げて飛び出したから、目撃者はいると思う。本当にごめんなさい。私が慌てたから、メイちゃんもビックリして、止める間もなく…』

「気にしないでください。起きたことはどうしようもないですから」


 タブレットでの音声通信を切断して、水風呂にゆっくりとつかる。燃えるように熱くなっていた身体を冷やしながら、全身の状態を確認する。服に覆われていた部分は赤くなっているが、それでも被害は少ない。アラミド繊維の服は耐火性にも優れているので、火炎からも守ってくれていたらしい。それでも、膨大な熱量までは防ぎきれないため、真っ赤になっている。そして、首や顔は腕で守っていたのである程度は大丈夫だが、直接火に炙られたせいで、水ぶくれも多く出来ている。そして、二度も丸ごと燃やした足の損傷は目も当てられないレベルである。自分の足だがキモチワルイとさえ思う。


 15分ほど水風呂に浸かっていると、ノックする音が聞こえてきた。


「如月さん?お医者さんが来たみたいなの。開けていいかしら」


 断ったつもりでいたけども、彼女は医者を呼んできてくれたらしい。「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べて、浴槽から出ようとすると当たり前のように華が入ってきた。


「華さん!?」

「あらあら、まだ服を着てなかったのね?」


 てっきり着ていたと思ったわと、心にも思っていない様子で睦月の上半身に目を這わせる。まだ、入っていいですよと言った覚えもないのに、油断もすきもあったものじゃないと、反射的に浴槽に体を沈めて下半身を守り抜く。


 華の呼んだ医者は、彼女と同じくらいの年代のすでに引退していてもおかしくなさそうなご夫人だった。済ました顔をしているけども、華さんと同じような視線で睦月の体に目を向ける。


 お仲間ですか?と、睦月は心の中で呟く。彼女は華の茶飲み友達らしくご近所さんなのだそうだ。医者であるなら高級住宅街に住んでいてもなんら不思議ではない。白衣を羽織っているけども、その下の衣類や身に着ける装飾品はいずれも高価なものばかり。


「服を着るので少し時間を」

「私は医者よ。恥ずかしがる必要は無いわ。それに服を着たら火傷の様子が見れないわ」


 男女が逆なら訴えられてもおかしくないような視線で睦月の体を愛撫しながらそう嘯く。AVの中に登場するエロ女医のようだが、残念ながら睦月の守備範囲外である。とはいえ、そんな理由じゃ納得しないだろうことがわかるので、魔法の言葉を用意する。


「メイの情操教育に悪いんですけど?」


 華と女医がいるのだ。当然、メイもその後ろに控えていた。何を言っているのか意味が分からずに不思議そうに大人三人を見上げている。華と女医が顔を見合わせてやれやれと肩を竦めて見せる。


「メイちゃん、ちょっと向こうに行ってましょうか?」

「むつきくんは?」

「彼は大丈夫よ。お医者様に見せるから安心して頂戴」

「うん。むつきくん、またね」

「またねって、ちゃうわ!!!二人とも出ていかんかーい!!」

「私が出て行ったら、誰が治療するのかしら」

「そうですけど、そうですけどねぇ!!パンツくらい履かせてくださいよ!」


 メイと華が浴室から出て行き扉を閉める。その寸前、華と女医がアイコンタクトを交わしたのを睦月は気付いた。なんだそれはと、あとで情報共有でもするつもりなのでしょうかと、睦月はため息をつく。もはや逆らっても無駄なのかと諦めにも似た感情が芽生えてくる。


「じゃあ、始めましょうか?」

「何をですか?」


 なぜか睦月の頬に手を添える女医から顔を逸らしつつ聞き返す。


「わかってるでしょ」


 薄く微笑むその顔はとても妖艶で、いまだ彼女が現役に思えてくる。嘘は主義に反するのか、なぜか”治療”の二文字を口にしない老女医は、自然な流れで白衣を脱ぎ始める。


「な、な、なにしているんですか?白衣は必要でしょ」

「…浴室はなんだか暑くって」

「そんなわけないでしょ。水風呂ですよ。どこに熱源があるっていうんです?」

「君かな?火傷で随分熱そうだし」

「いやいやいや、熱いのは僕であって、先生ではないでしょ」

「医者として患者に寄り添う時間が長かったからかしら、いつのまにか目の前の患者の苦しみを共有してしまうようになったのよ」

「随分と患者想いのお医者様ですね!!」


 睦月はついに音を上げた。自分の周りの女性を見ていると、全員口から生まれてきたのではないかというほどに口が達者すぎて敵わない。意を決して立ち上がると、女医の横を通り抜け脱ぎ散らかしていた服の中からトランクスを引き抜き濡れたまま履いてしまう。睦月のすばやい動きは年老いた彼女には捕らえ切れなかっただろう。


「あら、酷いわね」


 一瞬の出来事に残念そうに眉根を寄せる姿は、酷いのが睦月の”態度”なのか”火傷のようす”なのか確認するまでもなかった。睦月は浴槽の縁に座り、女医に見えるように足首を向ける。


「どうですか?」

「そうね。全身赤くなっているけども、それはたぶん問題ないわ。水ぶくれもすぐに直るでしょう。でも、足のほうは少し傷跡が残るかもしれないわね。毎日氷で30分程度冷やして、処方箋を出すから一日二回、軟膏の塗布と包帯の交換、それから感染症も恐ろしいから抗生物質を出しておくわね。あと、数日は熱も出るかもしれないから解熱剤を出しておくわ」


 と、一旦診察を始めると真面目になる老女医。

 医者らしい知的な光が目に宿ると、そのほうがむしろセクシーだと睦月は感じたが、それを口に出すとどうなるのか想像できたので口を閉じて礼だけを短く述べる。女医が持参してきた軟膏と包帯で治療を受けてから、浴室からでたところで浅葱から通信が入った。

 それによると、メイは予想以上に不味いことになっていた。


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あとがき


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