第三話 郷愁の星空(07)

「やばい、やばい、やばい」


 内心の焦りが声に出る。チャックを開けようとするが、片手では簡単にはいかない。反対の手で押さえることも出来ず、手繰り寄せたバックパックはぐちゃぐちゃにつぶれているためチャックをまっすぐ引くことが出来ないのだ。


 睦月がもがいている間にも、蜘蛛は少しずつ近づいてくる。

 逃げようとしているのは見えていても、逃げられるとは思っていないのだろう。だからこその余裕。それが睦月を救う。どうにか開いたサイドポケットからジッポを取り出すとすぐに火をつけた。


 ゴォオオオオオオオオ


 粘糸には相当な油分が含まれているために炎は一気に燃え広がる。それはもちろん、睦月の体をも包む。


「あちちちちちっ」


 自由になった体で地面の上を転がって燃え移ってきた炎を消すと、すぐにその場から離れようとするが、黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーが獲物の逃走を許すはずもない。八本の足をバネのようにして数メートルを飛び上がり、睦月の前方に着地する。炎に巻き込まれた三匹の赤爆猿レッドブラストモンキーはすでに逃走しており、黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの狙いは睦月に絞られていた。


 睦月は反転して、赤爆猿レッドブラストモンキーが逃げたのと同じ方向に駆け出した。しかし、その動きを遮るように蜘蛛糸が睦月の足に絡みつく。


「あっ」


 声を上げて転倒した拍子に耳のイヤフォンが転げ落ち、気付いたときには自分の手で押しつぶしていた。眼前に迫ってくる黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーに向かって睦月は拳銃を抜き放った。


 パンパンパン


 乾いた音を響かせて銃弾が発射される。しかし、蜘蛛は俊敏な動作で銃弾の軌道から大きく飛びのいた。構わず銃弾を弾きながら、先ほど取り落としたショットガンに向かって飛び込んだ。掴むと同時に体を反転させて黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーを狙撃する。


 だが、正面から放たれた蜘蛛糸によって無効化されてしまう。

 対峙する蜘蛛と睦月。

 背中を見せれば再び蜘蛛糸に絡め取られるだろう。正面から殺るしかない。と睦月は気合を入れる。銃撃にすら対処してしまう反応鋭い化け物であるが、通信が途絶えたことで浅葱が心配してるんじゃないかと思う程度の余裕は残していた。


 睦月は左手に拳銃を右手にショットガンを構えると、黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの周囲を回りながら左手で連続して銃弾を叩き込む。蜘蛛は大きく飛び上がり、銃弾を躱す。よけられることは想定内だ。空中で身動きが取れなくなったところで、ショットガンの一撃を叩き込む。

 だが、蜘蛛糸を吐き出し、一気に巻き取ることで黒王蜘蛛は空中を泳ぐ。


「虫にしてはやるな」


 蜘蛛は虫ではないのだが、睦月は気せず吐き捨てる。ショットガンに散弾の再装填を行い。拳銃のマガジンも交換する。睦月の攻撃が止むと、黒王蜘蛛もまた動きを止めた。

 そのままにらみ合いが続く。


 しばらくそうしていたかと思うと黒王蜘蛛は木々を飛び回り出した。

 睦月のヘッドライトがキラキラと反射する糸を浮かび上がらせる。

 トラップを仕掛けるのが黒王蜘蛛の戦い方なのだろう。

 細い糸を出しながら睦月の周囲を回ることで、巣を張っているのだ。暗闇の中では糸を目視するのは難しい。ライトで反射するといってもすべてではない。下手に動けばまた絡め取られてしまう。


 黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーは睦月から7メートルから8メートルの距離をとって動いているので、動ける範囲はそれほど大きくはない。拳銃をホルスターに戻し、ライターに持ち替える。直接的に蜘蛛糸が飛んでくれば、焼ききればいい。そして、本体が接近してくるのならショットガンをお見舞いする。


 徐々に包囲網を縮めながら、蜘蛛は動き続ける。対照的に睦月は攻撃のタイミングを見計らい決して自分からは動かない。ジリジリと間合いが狭まっていくのを感じながら、徐々に高まる緊張に睦月はそのときを待った。常に銃口は標的へとポイントされている。


 と、蜘蛛が大きく飛びのいた。


「な?」


 疑問を呈するより早く、周囲に展開していた蜘蛛糸が一気に迫り来る。空間をあけて張っていた糸は引っ張ることで収縮するように成っていたのだろう。気付いたときにはすでに手遅れ。枝や小石を巻き込みながら、睦月の体をミイラのようにぐるぐる巻きにする。


 一瞬早く睦月は左手のジッポライターを点火する。ただのライターでは無理だったかもしれないが、ジッポだからこそ着火を可能としていた。睦月のカラダはミイラから全身火達磨に進化する。


 蜘蛛糸は燃広がるのは早いが、燃焼時間は短い。それゆえ、皮膚の表面を微かに焦がした程度で、服に燃え移ることはなかった。だが、それでもむき出しの顔は皮膚は熱傷で赤くなり、酷いところは水ぶくれもできていた。


 熱と無酸素に襲われ、それでも九死に一生を得て転がり出た睦月は安心する間もなく巨大な足に抑え込まれた。


 やけどの痛みに加えて、腹部は強烈な力で押さえつけられている。

 眼前に黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの顔が迫る。上あごに二本、下あごに二本の鋭い牙が見えている。右手のショットガンをすばやくポイントしようとするが、その腕も別の足によって押さえつけられる。


 おいおい、マジか…。


 睦月の顔から余裕が消えうせる。

 腹を抑える力も、腕を抑える力も、睦月の力を遥かに超える。身動きが取れなかった。左手が静かにコルトに伸びる。タイミングを間違えれば、右腕と同じ末路を辿るだろう。


 チャンスがあるとすれば食われる寸前。

 ただひたすら耐えるだけとはいえ、実行するには相当の胆力が必要である。

 黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーは完全にチェックメイトに見える状態でも、油断するつもりがないのか、腹部の糸いぼと言う器官から粘糸を吐き出した。

 睦月の足が地面に固定される。トリモチを付けられたようにびくともしない足に睦月の額に脂汗が浮かび上がる。


 さすがにこれは…。


 死を覚悟する。

 危険はつき物の仕事だ。

 いつかこういう日がくることもあるだろうと頭の中では考えていた。死んだ場合のことも想定して手は打ってある。心残りがないといえばウソになるが。

 それに、メイのことは何一つ解決していない。


 睦月は思う。

 自分に懐いてくれている天使のような少女のことを。

 あの子が何物か分からない。

 DOORに巣くう魔物と同じとは思えない、羽さえなければただの少女なのだ。

 どうにかしてやりたいと思っていた。

 自らの力不足に虫酸が走る。

 何をしても中途半端。

 メイのことだけではない。

 妹のこともある。

 こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。


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あとがき


読了ありがとうございます。


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