第三話 郷愁の星空(06)

 睦月はカメラを一瞬で片付けると、一目散に逃げ出した。


『そっちは駄目。別のが来てる!!』


 浅葱の警告に、瞬時に方向を転じる。元々、北に複数体いて、西にいた単独の赤爆猿レッドブラストモンキーを写真に取ったのだ。だから、睦月は入り口のある南側に向かって走り出していた。しかし、その方向にも反応があるという。いつの間に回りこまれたのか?だが、考える間もなく、睦月は東に向かって進む。


 赤爆猿レッドブラストモンキーの個体としての強さは、ゴブリンより上だがオーガには劣る。とはいえ、狭い洞窟内と違って広い場所で戦うというのは次元が異なる。赤爆猿レッドブラストモンキーは木々の間を抜ける睦月にたいして、時に地面を四足で走り、時に木々の枝を渡り縦横無尽に動き回る。


 洞窟内での化け物の動きを二次元とするのなら、ここでのそれらの動きは三次元。まともに殺り合っては弾の無駄撃ちである。睦月は、拳銃をしまいこみ、ショットガンに装備を変える。


 ダンジョンでは、オーガとやりあうために威力重視でスラグ弾というものを使っていたが、ショットガンは日本語で言うと散弾銃。拡散する複数の弾を打ち出すことができる。

 腰のポーチから散弾を取り出しショットガンに装填して引き金を引く。


「距離は?」

『背後がおよそ30メートルくらい、少しずつ追いつかれている』


 発見時より半分ほどの距離に詰められている。

 果たしてどうするか?


「先輩、他との距離は?」

『北にいた集団が120、南から来てるのが100ってところ。今のところ動きはないわ』


 睦月は思案する。ショットガンを放てば、背後の一匹は殺れる。だが、周囲の敵に気付かれる可能性のほうが高い。囲まれれば難易度は跳ね上がる。


「ちっ」


 軽く舌打ちをすると、睦月は折角取り出したショットガンをしまいこみ、拳銃を取り出しサプレッサーを取り付ける。命中精度は下がるが、ギリギリまで引きつければ何とかなるだろう。


 が、その思考を遮るかのように背中を何かに強かに殴られ衝撃に前方を転がる。

 背中に当たったのはこぶし大ほどの石。

 走りながら投擲してらしい。衝撃は強かったが、骨に異常はない。


「ぃってぇな、ふざけろよ!」


 悪態をつきつつ仕舞い込んでいたショットガンを手にして、振り向きざまに散弾を放った。激しい音を森に響かせて赤爆猿レッドブラストモンキーが吹き飛んだのを視界の端に捕らえる。殺しきれてはいない。散弾は赤爆猿レッドブラストモンキーの右わき腹から腰、太ももまでの広範囲にわたって損傷を与えている。即死はなくともいずれ死ぬ。


『大丈夫?』

「問題ない。他も気付いたよね」

『ええ、睦月君に向かって動き出してる』

「ですよね」


 睦月は引き金を引いて薬きょうをはじき出すと止めさすことなく南から追ってきていた一匹に向かって身を翻した。判断力の鈍さに辟易とする。RDIを辞めてから、アーティファクト型のDOOR調査が仕事の大半を生め、戦闘に身を置く機会は極端に減っていた。自宅のDOORで探索したばかりとはいえ、勘の鈍りは否めない。

 日々の訓練にかける時間も激減しているし、何より一人では戦闘訓練ははかどらないのだ。

 

 睦月はもうすでに気付かれているのだからと、ヘッドライトを灯した。

 影が徐々に姿を大きくしていく。

 先手必勝とばかりに睦月はショットガンを放ち、一撃で対象を沈める。残すはもともと屯していた赤爆猿レッドブラストモンキーの集団。動き出したことで数が割れたが全部で7体。


 厄介である。

 ドローンの調査ではこの辺にいたのは先ほどの集団だけであったが、巣をもつ性質の獣とはいえ、毎日同じ場所にいるとは限らないのだ。睦月は東に向かっていた足をDOORのほうに傾ける。彼我の距離は100メートルを切っている。だが、このまま駆ければ森は抜けられる。


 囲まれる危険もあるが、遮蔽物がない場所の方が銃の乱射は有効だ。軽機関銃という手もある。相手がさっきのように石礫を使ってくる可能性は否定できないけれども、銃弾の雨に勝るとは思えない。

 

 背後に向かってショットガンを一発。

 距離はあるので、殺すことは出来ないだろう。だが、距離が伸びればその分、銃弾の広がりが大きくなる。つまり、一度に広範囲の敵に攻撃を仕掛けることが可能となるのだ。草原地帯へ逃げ切るまでのほんの僅かな時間稼ぎを目的とした一発。


 睦月が前に向き直ろうとしたその時、大きなネットのようなものが体を受け止めた。


「なっ…!!?」


 浅葱の警告にもなかったそれ。そもそも後ろを振り返ったのは一瞬の話。目の前には何もなかったはずである。だが、何かが睦月の体から自由を奪っていた。


『逃げて!!どんどん近づいてるよ!!』


 焦るような浅葱の声に、睦月も気持ちが急いでくる。首を回せば細い糸のようなものがヘッドライトに照らされてきらめいてた。木々の間に張り巡らされているそれらの先、一匹の巨大な蜘蛛と目が合った。黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーと名づけられたDOOR固有種。森の中に潜み、体の大きさは1メートル前後。


 蜘蛛の巣に獲物が掛かるのをただひたすらに待つ狩人であるが、糸は粘性が高く逃げるのはほぼ不可能。一トン以上の体重を持つサーベルタイガーですら黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの獲物に過ぎない。

 

 直径3ミリほどの粘糸であるが、昼間でも見難く夜では発見するのは困難を極める。ましてや別の獣から逃げている最中に気がつけというのも無理がある。


 ただ、一つだけ幸運だったのは背後を振り返っていたため、蜘蛛の巣からショットガンを握る右腕だけは無事だったことくらい。蜘蛛が近づいてこようとすればショットガンを見舞うのみである。それは後ろの猿どもにも言える。


『睦月君!!!』

「…黒王蜘蛛の巣に捕まってますが、まだ生きてますよ」

『全然大丈夫じゃないじゃない!!ちょっと待ってて』


 まだ大丈夫。睦月は些かも絶望していない。

 ショットガンの装填数は6発、そのうち2発放っているため残弾は4。装填しているのは散弾なので一発で2匹以上対処することも可能なので、完全に詰んでいるとはいえない。


『睦月君。黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの糸なら可燃性だよ』


 データベースで調べてくれたのだろう。浅葱から助言がもたらされる。ただし、ライターはバックパックの中で、動くのは右腕だけ。そして、ショットガンを手放すわけには行かないという状況。


 こちらが動きを止めたことに気付いたか、あるいは蜘蛛の巣を見つけたのか赤爆猿レッドブラストモンキーの動きが緩慢になった。三匹は地上を、四匹は枝から枝に飛び移りながら囲みこむように距離を広げていく。二匹同時と言う可能性を消すような動きに睦月はため息をついた。


 赤爆猿レッドブラストモンキーの動きに辟易としているのは睦月だけではない。折角捕らえた獲物にちょっかいを出そうとする猿共に威嚇するようにブラックキングスパイダーが粘糸を吐き出した。どうせ、睦月は逃げられないとそう思っているのだろう。


 絶望的な状況から一変する。


 猿共も自分に攻撃してこない睦月を無視して黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーを意識する。粘糸を飛ばしてくる蜘蛛にたいして、猿は遠距離から投石で対応する。一匹の蜘蛛に対して、猿は7匹。それでも、戦いはどちらにも有利に働かない。木々を縦横無尽に動けるのは猿だけではない。蜘蛛も粘糸をたくみに使い三次元の動きを実現する。さらに、睦月を補足しているもの以外にも蜘蛛の巣があるらしい。


 いつの間にか、木々を飛び回っていた赤爆猿レッドブラストモンキーが二匹、蜘蛛の巣に掛かっていた。


 自分から離れていく戦いの様子見をやめて、脱出するために懸命に体をねじらせる。ショットガンを諦め、背後のバッグを掴み取る。ライターはサイドポケットに収納している。手が届かないので指の動きだけでバッグを引き上げ手繰り寄せていく。そして、ようやくチャックに手が届く。


「shhhhhhhhhhhh」


 歯の間から空気の抜けるような威嚇の音が耳を劈く。赤爆猿レッドブラストモンキーの三体目が捕らえられていた。残りの4体は勝てないと判断したのか、踵を返して逃げいていく。

 そして黒王蜘蛛ブラックキングスパイダーの視線が戻ってくる。


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あとがき


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