第三話 郷愁の星空(05)
華の家のDOORの調査を始めて4日目である。
ドローンで調査の完了したエリアはDOORを中心に二キロに及ぶ。それでもまだ調査は終わらない。
現在判明している内部は、DOORを中心に半径500メートルほどは多少の起伏はあるもののおおよそ平原と呼べる土地であり、足首が埋まる程度の芝生地帯となっていた。
西側(便宜上DOORの入り口、正面を北としているがこの世界に北は存在していない)には南東に向かって幅10メートルほどの川が流れている。北には森が広がっていて、北東には岩石地帯が、南には山脈があるように見えていた。
マッピング用のドローンと平行して、この世界の規模についても調査を行っていた。睦月の所有するドローンは一基ではない。上空に関しては、300メートルという飛行限界を迎えたので、北に向かって飛ばしたところ5キロ地点で限界を迎えた。ネイチャー型DOORの場合、円形しか存在していないためこの世界は半径5キロと仮定している。睦月が単独で調査できる限界値である。
さらに、DOOR内部の土や植物にもついても調査は行っていた。
初日に採取してきたサンプルについて調べたところ、草については、コウライシバと遺伝子的に近しいものらしいが、DOORの外では生息は不可能だった。そして、土に関しても特筆すべき点はなかった。
土中に虫や菌の類は見られなかったが、草原地帯にはアオダイショウと遺伝子的に近いヘビが生息していた。RDIが発行している図鑑によれば、うろこの模様がスペード型ということで、スペードスネークとつけられている。特に毒もないので危険はない。
そして、この世界の最大の特徴は明けない夜というところであろうか。
植物があるので、太陽が昇るはずだという睦月の予想は外れたわけである
ただし、星空は流れ、緑色に怪しく輝く月が一つ20時間周期で巡ることは判明している。星明りのお陰で、ライトなしでも歩ける程度の明るさは感じられたが、心もとないのでいつも通りヘッドライトは使用している。
ダンジョン型と違って、空間が開けているため暗視スコープを使用したほうがいいのだが、睦月は苦手なのだ。暗視スコープの緑色の世界が。
そんなわけで、ヘッドライトの頼りない明りをもとに睦月は森の調査に向けて草原を進んでいる。
『今日はヘビに噛まれないようにね』
「はは、何言ってるんですか。僕は優秀な調査員ですよ」
『睦月君。調査中のデータはすべて記録されているのに、言い逃れが通用するとでも?』
「もう一度言いますが、何を言っているんですか?」
ニヤニヤした雰囲気の浅葱に、すっとぼけた声で睦月は答える。
調査中の音、映像、バイタルデータなどの様々な情報がすべて睦月の持ち歩く計器を経由して、事務所のパソコンに記録されている。それらは雇用主への報告書として提出するのだ。もちろん、データは膨大に成るため、提出するデータは編集済みである。しかし、後から求められたときのためにも、未編集データも残すようにしている。
だが、不名誉なデータを削除するくらいのことはする。
睦月もただの人間である。
『あれ?あれれ?』
データが削除されたことに気がついたのか、浅葱が慌てふためいてパソコンをカチャカチャと操作しているのが想像できて、睦月はほくそ笑む。
「どうかしたんですか?」
いつもしてやられているだけに、睦月は鬼の首を取ったように厭らしい声で挑発する。
事実、睦月は昨日ヘビに噛まれているのだ。流星群に気を取られて足元がおろそかになった結果で、決して”優秀な調査員”とは言いがたい間抜けな顛末。ただ、調査中の睦月の服はアラミド繊維を編みこんであり、体長50センチもないような蛇の牙でどうこうはならない。
「ヘビになんか、噛まれるわけないでしょ。はは、しがない個人事務所ですが、これでも一流の調査員ですからね。赤外線で感知しにくといっていっても動いていれば気がつきますよ。たががヘビごと……」
”ギャーーーーーー死ぬーーーーーーへ、へ、へ、へび、へびが僕の足にーーーー、たすっ、たすけてーーーーおかあさーーーん”
睦月の喋りに上書きするような悲鳴がイヤフォンの先から聞こえてくる。驚くほど睦月の声にそっくりである。というより、睦月の声だ。
消したはずの音声データがなぜに?という疑問が睦月の中に生まれる。調査を終えて事務所に戻り、確かに自分の手でパソコンからデータを削除したはずである。もちろん、ゴミ箱からの削除も徹底して行っている。そこらへん睦月に抜かりはない。
はずだった。
「あの、これ、なんですか?」
『着信音。ちょっと、待ってて、電話に出るから。はい、もしもし…』
「いやいやいや、何が着信音ですか?絶対嘘でしょ」
『…あ、いえ、違います。間違い電話だったみたい』
「えっ、その設定続けるんですか。嘘ですよね」
『新しい着信音、昨日ダウンロードしたの。なんか悲壮感がよく出ていていいのよね。知り合いの声によく似ているし』
「…ごめんなさい」
『何を謝ってるのかしら?』
「……」
勝てないケンカを仕掛けたことを睦月は後悔する。ヘビが苦手なのだ。子供の頃に噛まれたことがトラウマとなってオーバーリアクションしてしまうのだ。
事前にヘビを発見していれば、睦月も冷静に処理できていた。しかし、不意打ちだったゆえに悲鳴を上げてしまったのだが、それを浅葱に聞かれたのは失敗であった。
浅葱は睦月の行動を予測し、件の音声を消される前にコピーを済ませていた。ただそれだけのことである。睦月の一歩も二歩も先を行くのが”助手”である彼女の役目。負けを認め、睦月にできるのは謝罪するのみ。
電話先で頭を下げるがごとく、睦月は誰もいない平原で深々と腰を折った。
「ごめんなさい。ヘビに噛まれました」
『ふふっ、素直でよろしい。全く嘘はよくないよ。嘘は』
息を吸うように嘘を付く人間が何を言っているんだと言い返したいが、睦月はぐっとこらえて謝罪する。
「はい。心から反省しています。なので、さきほどの音声は…」
『うん。安心して、MeTubeにアップしておいたから!!』
「っ!!!?」
『はは、冗談よ。冗談。まだ《《》》、アカウント持ってないから安心して』
「まだって何ですか?そんなアカウント必要ないですからね。そもそも、調査データをネットにアップするのは違法ですよ。情報漏えいは不味いですからね」
『へぇ~、データを不正に削除するのは問題ないのかしら?』
「…すみません」
浅葱に口で勝てるわけがない。分かっていても、睦月は諦めない。そして、追加のダメージを貰うのだ。そういう関係を続けて丸一年。進歩の兆しはまるでなかった。
睦月は気を取り直して、前方の森に注視する。
「先輩。ぼちぼち、草原地帯終了です。方向はあってますか?」
『えっとね、うん。そのまま真っ直ぐ。若干、右よりかな?』
睦月の質問に浅葱も態度を切り替えてさくっと答える。方向というのは、調査対象である生物の生息域である。ドローンの調査で、幾つかの生物の存在が確認されている。すでに、草原でヘビに遭遇していたが、それ以外にもヌーのような草食動物が横断する場面も確認している。
ダンジョン型のDOORと違って、すべての生物が人を襲うわけではない。地球上の動物と同じく肉食動物、草食動物といて、性格もまちまちである。そして、睦月の仕事はあくまでも調査であって、殺戮の必要は無い。ダンジョン型では、通路を塞ぐ形で化け物と遭遇するため、戦うことも仕事の内であるが、ネイチャー型においては写真を取ることさえできればそれで十分なのだ。
すでに、ネイチャー型のDOORも複数確認されており、そこで発見された動物の図鑑も一通り出来ている。それらと比較して同じであれば、それ以上の調査は必要ない。もしも、新種が見つかれば当然のことながら捕獲してからの調査も必要になるが、睦月は新種発見の報告以上に手を出すつもりはない。
草原地帯の終わりは森の始まりを意味する。
生き物に気付かれないように、睦月はライトを切った。星明りだけを頼りに睦月は森の中に静かに侵入する。浅葱の誘導があるため、獣が動けばすぐにわかる。
睦月は自分の感覚だけで周囲の気配を油断なく感じ取り、足音を極力消し去る。大地を踏む音や、草を掻き分ける音、風を切る音、服の擦れる音、様々なデバイスの駆動音など、それら全てをゼロにすることは出来ない。
睦月はかなり大きめの望遠レンズを持ってきているため100メートル以上離れたところからでも、撮影を可能としている。問題は、森の木々が邪魔しない位置取りが出来るかということくらい。
『正面100メートルくらい』
浅葱の声を聞いて、睦月は暗視用スコープで前方を確認する。
肉眼では見えなかったエリアに、うごめく影が映し出される。密集していると輪郭が分かりにくいが、動いている姿から人型あるいはサルのような生き物だと睦月は考える。
『それに、左の方にも何かいるよ』
「……」
イヤフォン越しに警告が聞こえるが、睦月は無言で返す。耳の中のイヤフォンの音は外にはほとんど洩れないが、睦月が声を出せば、気取られる危険があるからだ。睦月は左に視線をずらすと、確かにそのほうにもうごめく塊が一つ見えた。前方と左方と、どちらも現在の位置から同じくらいである。
浅葱が睦月の前後ではなく、左側の生き物の存在に気付けたのは、追尾型のドローンを上空に飛ばしているからである。マッピング用のドローンとは別に、睦月をストーキングする形で上空50メートルの位置から地上を監視させている。視界は睦月を中心に半径150メートルほどあるので、接近するものがあればいち早く気付くことが出来る。
睦月は拳銃をいつでも撃てるように構え、左手の”何か”に向かって歩き出す。接触するなら単数の方が良いのは当然の選択である。浅葱の誘導を耳にしながら、真っ直ぐではなく回り込むように森の中を進む。
森は白樺のような白い幹をした睦月の腰周りと同じくらいの木がまばらに立っている。地面は北西に向かって坂道になっていて、足元は草原地帯と同じような短めの草が生えていた。歩きにくさは特にないし、太い木々が睦月の姿を隠すのに一役を買っている。
周囲に気を張りながら、対象と60メートルほど離れたところで、間に木を挟まない絶好のロケーションを得た。肉眼でもうっすら影を視認できている。睦月はバックパックから望遠レンズのついたデジタル一眼レフカメラを取り出し、対象に向かってカメラを向ける。撮影は可能だが光が足りない。もちろん、フラッシュを焚く訳にも行かないため、三脚を広げてその上にカメラを設置する。感度調整と、露光時間の延長を行いシャッターを一枚切った。
その瞬間、二つの目がレンズ越しに睦月を捉えた。
デジタルカメラにシャッター音はないはずなのに、それは気付いたらしい。
赤い毛が爆風で広がったようなぼさぼさヘアが特徴の
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あとがき
読了ありがとうございます。
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