第三話 郷愁の星空(04)
美味しい昼食と会話を楽しみながら、小一時間休憩をして睦月は作業場へと戻ってきた。部屋に戻る前に、一度車に戻って必要な道具を抱えていた。
「先輩。そろそろ戻りますよ」
『いいなあ。華さんの手料理食べたんだ』
「!!!?なんで知ってるんですか!!」
一瞬、監視されているのかと周囲をキョロキョロと首を動かす。が、そんなわけもなく浅葱が種明かしをする。
『睦月君、マイクのスイッチ切り忘れてるし、むしろわざとだったとか。華さんとのイチャイチャトークを私に聞かせるために!!』
「どこがイチャイチャですか!?」
『えー、華さん。絶対睦月君に気があるわよ。よっ、モテ男!!』
「何言ってるんですか?相手は70過ぎですよ!!」
『恋に年の差なんて関係ないない』
茶化してくる浅葱であるが、睦月もそういう気配はひしひしと感じていた。やたらとボディタッチが多く、常に距離が近いのだ。それも耳が遠いからと言われては無下にはできないのだから始末が悪い。
それほど嫌な感じはしないので、放っておいたのだが、第三者から見てもそういう雰囲気なのかと思った。
『それで、美味しかった?』
「ちょー上手かったです」
睦月は適当に相槌を打ちながら、準備してきた道具を広げる。簡単に言うとワンタッチで開くテントのようなものである。それをDOORの向こう側に投げ込み糸を引いた。向こう側の様子は見えないが、予定通りに進んでいると仮定する。
『いいなぁ。私もお昼にお呼ばれしようかな』
「いやいやいや、なに言ってるんですか?助手がパソコンから離れたら駄目じゃないですか。それに、僕と違って先輩は料理するでしょう」
『するよ。するけど、洋食のほうが得意っていうか、フランス料理専門なんだけど』
「フランス語といい、そんなにフランスが好きなんですか?」
浅葱が幼稚園の保育士であることを知った後、確認したのだが浅葱は大学で保育を専門としていて、幼児心理学のようなものを学んでいたらしい。つまり子供の専門家らしのだが、じゃあ、フランス語はどこで勉強したのかという疑問が当然のように生まれていた。
『好きだよ。フランス映画が好きなんだよね。それで勉強しようと思ってフランス語で教えてくれるフランス料理教室に通ってたの。語学と料理の両方を同時に勉強できると言うまさに一石二鳥』
「普通の語学学校より面白そうですけど、難易度も高そうですね」
『うん。結構、厳しかった。ただね。先生がちょーイケメンだったんだよね』
「先輩って高校生のときから上総さんと付き合ってましたよね?」
『それはそれ。これはこれだよ。睦月君だって、おちょぼ口に助手より、私みたいに可愛い助手の方がいいでしょ』
「そりゃあ、一緒に働くのは可愛い方がいいですけど、先輩の対極がおちょぼ口なんですか?」
『うすうす気付いていたけど、やっぱり私って顔採用だったのね!』
「違いますからね!!誤解招く言い方止めて下さい。大体かわいくないとか言ったら言ったでなんか言うでしょうが!」
『じゃあ、おっぱい?』
「ちゃうわ!!」
『足?』
「いやいや、なんでそうなるの?え、どういう順番ですか。先輩の自信のある部位ランキングですか?足に自信あったんですか?」
『駄目だった?』
「駄目じゃないです。ああ、いや、そういうことじゃなくて、って何の話ですか、これは!!ああ、もう、こっちは準備できたんで、入りますよ!」
『了解。こっちはどうしたら良いの?ドローンの調査もするんだよね』
「ですね。ドローンのマッピングはパソコン任せで良いです。なので、今日のところは僕のカメラをモニタ願います」
『おっけー。気をつけてね』
カメラのスイッチを入れて、浅葱の見ているモニターに映像が表示されていることを確認して、睦月は中への侵入を開始する。
DOORを抜けると気温が一気に上がる。
数字の上では確認していたものが体で感じられる。華の屋敷は全体にセントラルヒーティングシステムが導入されているようで、冬といえかなり温かい。それでも長袖で作業をしていた。しかし、DOORの向こう側は半そで十分という感じである。とはいえ、防弾、防刃効果のあるアラミド繊維で編まれたミリタリージャケットを脱ぐつもりはない。
しかし、湿度がないためさらっとしていて過ごしやすい。
『壁?』
「壁じゃないです。簡易テントです」
『DOORの前に?』
「アーティファクト型やダンジョン型と違って、ネイチャー型は小さな虫なんかにも注意が必要なんです」
『虫?そうだよね。自然だったらそういうのもいるよね』
「ええ、目に見えているモンスターはともかく、小さな虫までは気付きませんからね。服にくっついて気付かないうちに、DOOR内の生物をこっち側に持ってくるわけにはいかないんです。入り口に張ったテントで戻る前に殺菌するようにしてるんです。まあ、うちの財力では簡易的なものですけど、やらないよりはマシですから」
DOOR内部のものが、人の手を介さずにこちらに来ることはできない。しかし、内部の鉱物を取り出すことは出来るように、人と一緒であれば異界原産の何かは外に出ることは出来るのだ。意図して行うならいいのだが、小さな虫が服にくっついてくるような意図しない仲介を許すわけにはいかない。
いまから7年前にネイチャー型DOORから飛来した虫が大災害を引き起こし、全世界で20万人が命を落とす未曾有のパンデミックがあったのだ。
『ダンジョン型では大丈夫なの?』
「大丈夫だと言われています。まあ、それでも、出入りする際は最低限の注意はしてますよ」
『へぇ』
「じゃあ、テントを潜りますね」
『おっけー。気をつけて』
浅葱の目には見えていなかったようであるが、睦月には半透明な膜の向こう側も見えていた。DOOR内部が夜という状況のため、カメラ越しの映像では暗闇にしか感じられなかっただけである。睦月は、簡易テントの開けて外に出る。
先ほどまでいた部屋の明かりとDOOR内部の明暗のギャップに完全なる暗黒の世界に睦月には思えた。だからこそ、前方の山の稜線の上、空との境界に気がつき、天空を支配する無数の星々に目を奪われた。
『睦月君?』
「……」
沈黙で答える睦月に、事務所でモニタしている浅葱は何事かあったのかと声に焦燥を含ませる。
『睦月君?どうかしたの?』
「…少し、静かにしてください」
自分でも冷たい言い方だと感じながらも、睦月は助手を邪険に扱うと天上の芸術作品に没頭した。東京では見ることのできない満点の星空。否、こと現代においては空気が薄汚れ、たとえ地方の山に登ったところで容易に鑑賞することの叶わないファンタジックな世界。
『睦月君?』
「……」
彼とてこれが一種の人工的なものだというのは心のどこかで理解している。ネイチャー型のDOORにおいて、太陽や月のようなものも確認されているが、それらに実体はないのだ。
ここには天井があるのだから。
いま睦月の心を奪うものがプラネタリウムのようなものだと言う認識はあった。
それでも、睦月は動くことが出来なかった。
無数に散らばる光の渦。
濃いところと薄いところ。
天の川のように星の密集しているところや、写真で見る銀河や星雲のような煌々たる星々の生命の輝き。
睦月は調査中であるということを忘れ、周囲にいるかもしれないモンスターという危険への対処を放棄して、ただただ圧倒されていた。
「……すごいです」
『すごい?』
「ええ、語彙がなくて申し訳ないです。正直調査員としてルール違反ですけど、先輩をここに呼びたいです。メイと一緒にこれを見て欲しいです」
『ねえ、これってなによ?こっちのモニタには何も映ってないよ』
浅葱の非難するような声がイヤフォンを通して聞こえてくるが、睦月にはどうすることも出来なかった。カメラの性能限界である。作り物にしろ、本物にしろ星の光量は儚いのだ。仮にそれができたとして、この感動が得られるのかと言うと疑問であるが。
「…ああ、どういえばいいんでしょうね。星空です。僕が見ているのはただの星空なんです。でも、はあ、本当になんと言えばいいんですかね」
『…そんなにすごいんだ』
「ええ、というわけで、あと1時間ください」
『おーい!仕事しなさい!』
「先輩、これも調査ですよ」
『くぅぅう。見事ないいわけだが、あたしゃ認めないよ!!』
「ふっ、助手は黙ってな」
首が疲れるのも構わずに上を見上げる。
風が体を通り抜けそよそよと足元の草が靡いている。風があるということはこのネイチャー型のDOORの規模を示していた。ネイチャー型には様々あるが、小さい箱庭程度の世界では風は起きない。大きな空間があって始めて、気流が生まれ風が駆け抜ける。
気温が高いからこそ、そよ風が気持ちよかった。
星空を見るのにちょうどいい空気感。
遠い昔、夏休みに家族で出かけたキャンプ場。昼間は強烈な太陽の光と、日本特有の不快指数マックスの湿度に翻弄されながらも、夜は気温がぐっと下がり涼しい風が頬を撫でくれた。そのとき見上げた空の数十倍の光景であるけども、睦月の心に芽生えたのは感動よりも郷愁だった。
睦月は思う。
今日はすばらしい日だと。
両親を失って二度と味わえないと思っていた温かい食卓に、家族の思い出が鮮明によみがえったのだから。
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あとがき
読了ありがとうございます。
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