第二話 鍵の掛かったDOOR(08)

 上総に浅葱と睦月の三人は高校生のときの部活の仲間だ。睦月が一年で、二人は三年生。サッカー部のエースで、キャプテンの上総。そして、マネージャーである浅葱は絵に描いたような恋人同士であった。


 可愛くて、やさしくて、気が利いて、少しだけ意地悪なことを口にする先輩に睦月は淡い恋心を抱いた。年上で、彼氏がいて、初めから失恋していた睦月は告白することなく卒業する二人を見送った。


 再会したのは今から一年ほど前。

 DOORの調査報告をした帰りに、街を歩いていると俯いて歩く見覚えのある女性とすれ違い、少しして浅葱であることに気がついた。睦月が憧れた太陽のように明るい笑顔は鳴りを潜め、誰なのか一瞬気付かなかったのだ。


「先輩。浅葱先輩ですよね。覚えてますか、サッカー部の睦月です」

「…睦月君?一月生まれじゃない睦月君?」

「そうですよ。覚えててくれたんですね。昼間からどうしたんです?あー、懐かしいな。少しお茶でもしませんか?」

「いや、私は…」

「まあまあ、そういわずに、ほら、そこにちょうどカフェありますし、ね」


 睦月はそういって、彼女の腕を取って多少強引であることは自覚しながらも一軒のカフェに足を踏み入れた。季節は冬。暖房の効いた室内に入るだけでもホッと一息つくことが出来た。嫌々するように若干の抵抗を見せる彼女を、無理矢理座らせると彼女の意見も聞かずにココアを二つ注文した。


 気分的にコーヒーの空気ではなかったからだ。

 睦月は暗い雰囲気の浅葱の目を見たときに、”知っている目”だと思ったのだ。一人にするのは不味いと本能的に感じ取り、強引にで一緒にいることにした。


「はあ、本当に久しぶりですね。何年ですかね?先輩達が卒業してからですから、もう9年ですか。その割りに先輩は全然かわらないですよね。あ、そういえば、指輪してますね。結婚したんですか?まさか、キャプテンとですか?って、さすがにそれはないか。高校生のときの恋愛なんて、長続きしませんからね」


 睦月は疑問を呈して、ほんの僅かに浅葱の回答を待つが、返事がないとわかるとすぐに話題を切り替える。


「って、いきなり先輩のことばかり聞くのも失礼ですよね。僕、いまDOORの調査員やっているんです。すごいでしょ。DOORですよDOOR。先輩はDOORに入ったことあります?あれ、本当に不思議な空間で、一体どうゆう原理なんでしょうね。だって、一歩足を踏み入れるだけで別世界なんですよ。


 物理法則を無視していたり、もうなんでもありで、一つとして同じDOORはないんです。って、それは言いすぎか。最近入ったDOORなんて、意味わかんなかったですからね。中に入ると、ゆれているんです。実際にゆれているわけじゃないんですけど、体が揺れているって感じるんです。


 三半規管を狂わされるみたいで、まともに立っていられないし、5分もいれば完全に船酔いの状態です。機械の調査じゃ何も出なかったんで、大丈夫だろうと思って中に入ったら、これですからね。って、あんまり伝わらないですかね。


 えっと、それじゃあ、他のDOORで面白いの何があったかな…そうそう、半年くらい前に入ったDOORだったかな、中に入ると、臭いんですよ。誰かおならしただろって、そんな匂いがどこからともなく漂ってくるんです。もちろん、人体に影響があるような毒ガスじゃないんですけどね、なんていうか、おなら臭いっていうただそれだけのDOORですよ。ほんと、意味分からないですよね。ははっ」

「睦月君」

「どうしたんです」


 睦月は喋りすぎて乾いた喉を水を含んで潤わせて、浅葱の言葉を待った。彼女は相変わらずテーブルの一点をじっと見つめたまま動かない。重い空気が流れ、睦月はごくりと喉を鳴らした。


「帰って良いかな?」

「駄目です」


 即答する。

 それだけは駄目だ。いま目の前の女性をこのまま放置することなど出来るはずもない。彼女の左手薬指にはプラチナの指輪が輝いていた。きっと、家に帰れば誰かがいるのだろう。だけど、だからといって、このまま返すことが正しいことだとは睦月には思えなかった。


 例えばDVの被害に遭っているのなら、自宅が安全とは限らないのだ。どこまで突っ込んで良いのか睦月には分からない。彼女と再会したのは本当に高校以来のことで、”知り合い”という表現が一番近く、色々なことを打ち明けられるような関係にはなかった。だから、何が遭ったのかということは聞かない。聞けない。だから、睦月は、


「先輩、うちで働きませんか?」


 一つの提案をしてみることにした。

 DVの被害にあっているのなら、自宅以外に逃げ場所を作ってあげればいい。まだ、DOORの調査事務所を立ち上げて2ヶ月。売上げだって満足にあるわけではない。自分ひとりの生活基盤をを整えるだけでもやっとの時である。でも、人生に絶望したような目を無視することは出来なかった。




「あの時、睦月君に仕事に誘ってくれて本当に感謝してるの」


 上総に殴られた翌日、浅葱はいつも通りの時間に出勤して、二人分のコーヒーを入れると、そのときのことを話し始めた。


「コト先輩に軽く話は聞きました」

「そっか、琴ちゃんか…」


 睦月の一つ上の先輩で、浅葱の一つ後輩。彼女を雇い入れてから、何度か話題に上った共通の知人だったので昨夜電話を入れていた。大学を卒業した後、浅葱は保育士として働いていた。もとより、子供好きだった彼女にとって、それは天職とも言えた。職場の人との関係も良好で、ストレス一つない職場に満足していたそうだ。


 ある日、不幸はノックもなしに浅葱に元に訪れた。

 彼女が面倒を見ているクラスの女の子が、突然亡くなったのだ。

 原因は不明。


 彼女に非があるわけではない。

 彼女の勤め先は、24人の幼児に対して3人の保育士をつけていた。しかし、自由時間、中と外と走り回る子供達から合計6個の目で一瞬たりとも目を離さないと言うことは物理的に不可能だ。


 しかし、浅葱は自分を責めた。ああしてれば、良かったんじゃないのか。こうすれば、気付くことが出来たんじゃないのか。毎日、毎晩、夢に少女の生前の姿を見るようになり、精神的に変調をきたし始めた彼女は、23週目の自分の子供も失ってしまった。


「あの時は、すごく久しぶりに外を歩いていたの。子供の顔を見ると、亡くなった女の子-モモちゃんの顔が見えて怖くて怖くてずっと家に引きこもってて、スーパーに行くときも子連れがほとんどいなくなる夜遅い閉店間際を選んでた。そんな私を見かねて、少しくらい外に出なきゃってカズ君が何度もいうから…」


「良かったです。そんな時に偶々僕も外を歩いていて。寒い日だったから、あと少しでタクシー捕まえてましたよ」

「ふふ、それは本当に幸運だったかもね。睦月君に仕事誘われて、どうしようかなって思ったけど、カズ君にいわれるまでもなく、私も少しくらい外に出なきゃいけないって思ってた。だから、ここでの仕事は本当に都合が良かったの。人に会うことは全くないでしょ。話をするとしたら睦月君だけ。子供の影なんてどこにもなんだもん」


 働き始めた頃の、浅葱のことを睦月は少し思い出した。声をかけたときと同じで暗い雰囲気を引きずっていた。睦月が何も聞かないので、浅葱も何もいわなかった。それでも、仕事をするのに不都合はなかった。睦月の説明を聞いて、初めは戸惑いながらも、すぐに浅葱はコツを掴んでいった。


 もともと、彼女は視野が広いのだ。マネージャーとしての彼女は部員全員の状態を把握して、必要なときに必要なものを用意することが出来た。

 幼稚園の先生としても、子供の状態を把握する能力には特化していたのだろう。

 睦月のDOOR調査の助手として、モニター上に表示される情報を的確に処理して、完璧なフォローを実現していた。


「何も聞かないでいてくれたのもうれしかった。睦月君、履歴書も求めなかったしね」

「…そういえば、忘れてましたね」

「あの時、ちょっとだけ、幼稚園がニュースにも出てたから、履歴書出してたら気付いたかもしれない。それに、何で辞めたのかとか聞かれたら答えられなかったと思うもの」

「まあ、先輩のことは知ってましたから、別に履歴書とか必要ないかなって」


 本当のことを言えば、初心者経営者の睦月はその発想がなかっただけなのだが、それがうまく働いた。


「ね、やっぱり、私は運が良かったの。DOORの中でメイちゃんを発見したってときね、睦月君が来て欲しいっていったでしょ。ちょっと怖かったんだ。でもね、メイちゃん見た瞬間、もう、何もかも飛んでいっちゃった。だって、あんなに可愛いんだもん。私はやっぱり子供が好きだなって、思い出すことが出来たの。本当にありがとう」


「いえ、そんな風に改まっていわれるとハズイです」

「たまには良いでしょ。昨日は本当にごめんね。カズ君にはちゃんと話したから理解してくれた。カズ君はね、私から子供の姿を遠ざけることしか出来なかったの。もちろん、それが悪いことだとは思わないし、私を守るためにしてくれてたことだったから。でも、きっかけがなかったって言うのも正直なところだったと思う。でも、何も知らない睦月君は、私に子供と触れる機会を与えてくれた。それはカズ君には出来なかったことだから」


「そんなの、偶々じゃないですか。別に”僕が”ってわけじゃなくて」

「そうね。そうかもしれない。でも、それがよかったの。カズ君も謝ってたよ。いきなり殴ろうとしてすまなかったって。お陰でね、私達ももう一度自分達の子供を迎えたいなって思えることが出来たの。だから、昨日は夜は本当に…」

「な、何をいってるんですか!!!そんな話は聞きたくないですよ」


 いきなり聞かされそうになった浅葱と上総の夜の営みについて睦月は顔を真っ赤にしてストップをかける。


「おっと、ごめんごめん。童貞の睦月君にはちょっと早かったか…」

「童貞じゃないですし、朝っぱら、もう!!!」

「むつきくん、どうていなの?」

「っ!!!?メイ、いつの間に!!ああ、何て言葉をメイに言わせているんですか!!!」


 隣の部屋でテレビを見ていたはずのメイが気付くと、睦月たちのいる事務所の中に現れていた。その手にはペットボトルが握られていて、つまり、いつものようにキャップをあけて欲しかったのだろう。いきなり大きな声を上げられて、メイは悲しそうに眉根を下げた。


「ごめん。メイは悪くない。悪くないんだ。諸悪の根源は、折角のシリアスな話を台無しにした先輩だからね。キャップを外して欲しいんだよね。貸してごらん」


 と、ペットボトルのキャップを外してメイに渡す。彼女は「ありがとう」と頭を下げて奥の部屋のほうにトテトテとかけていく。少女の背中を見送り睦月は半眼で浅葱を睨みつける。


「はあ、まあ、とにかく。一件落着ってことで仕事に戻りましょう。なんだか、朝からどっと疲れてしまいましたが。それで、依頼人とはどこで会えばいいんですか?」

「依頼人の自宅らしいけど、ここから結構近いよ」


 浅葱に渡される住所をみれば、なるほど、すぐ近所であることが分かる。荷物がなければ徒歩で行ってもいいくらいである。


「高級住宅街じゃないですか」

「でしょ。お金持ちって本当に”ざます”なんて語尾つけるのね」

「まじっすか!」

「ほんとほんと、でもそれを差し引いてもいいところの人なんだなってしゃべり方だった」

「へえ、そんな大金持ちでも直接依頼してきたんですね。ちょっと楽しみですね。たしか、約束は昼からですよね。この分だとお昼食べてから出かけても十分そうですね。じゃあ、とりあえず昼まで昨日のデータの解析なんかを進めますか」

「おっけー」


 パソコンに向かい仕事に没頭する浅葱を見ながら睦月は頬を緩めた。思えば一年ほど前の浅葱とはまるで別人だと思う。睦月の知る高校生の頃の太陽よりも明るい輝きを放つ浅葱先輩が本当に戻ってきたのだと実感する。彼女に何かをして上げれたと思うほど、睦月は思いあがったりはしない。ただ、彼女の抱える不安や恐怖がこの一年で少しでも軽減できたと言うことが分かりホッと胸をなでおろした。

 強引だと思いながらも浅葱をカフェに引っ張りこみ、仕事に誘ってよかったとそう思った。


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あとがき


読了ありがとうございます。

第二話はここまでです。


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