第四話 親子 (07)

 ケイトがそこにいると睦月は確信する。正面から戦えると思うほど睦月は、うぬぼれていない。敵対すると決めた瞬間から、心の底に植え付けられた恐怖心は押さえ込んだはずだった。しかし、本能は意識を凌駕する。睦月の首筋を汗が流れ落ち、猛獣を目の前にしたようなプレッシャーが襲い掛かる。

 手持ちの獲物を確認していると、


「撃たないから入って来なさい」


 ケイトもまた睦月がそこにいると確信を持って呼びかけた。その言葉にうそはないだろうと、ゆっくりとドアを押し開くと、3メートルほど前方に元上官が仁王立ちになっていた。


「RDIの施設に襲撃をかけるなんて、どういうつもりかしら」

「そっちだって、うちの事務所を襲ったんですから、お互い様ですよ」

「火気は使ってなかったと思うけど?」

「でも、僕も不本意だったんですけどね、受付が素直に通してくれないからですよ」


 舌戦に入りつつも、睦月は間断なくケイトの隙を伺っている。身構えていないはずなのに、一分も隙は見出せなかったが。


「人のせい?」

「まあ、何だっていいじゃないですか。それより、メイを返してもらえませんか?」

「メイ?それは何のことかしら?」

「研究所にいますよね。6歳くらいの女の子が」

「いたとしたらどうだというの」

 

 挑発するようなものいいに切れそうになるのをグッとこらえる。感情を爆発させたところでどうにもならないのだ。


「うちの子なので、返してもらえませんか。私物は後で回収するっていう契約でしたよね。まあ、メイを物扱いするのは気が引けますが」

「…子供はいないって言わなかったかしら」

「少々込み入った事情があったんですが、あの子は僕の子供です」


 睦月はきっぱりと言い切った。もはや後戻りする気もない。メイの父親になるのだと、その覚悟は決めてきたのだから。睦月の瞳に宿る光の強さに、ケイトはわずかながら身を引いた。悔しそうに唇をかみ締める。


「…残念だけどあの子はRDIのものよ」


 その瞬間、睦月は何の予備動作もなしに拳銃を振り上げ引き金を引いた。”RDIのもの”という表現が癇に障ったのだ。冷静でなければとの思いを一瞬で振り切るほどそのワードは許されないものだった。メイを私物と口にするのもつらかったのだが、それ以上の衝撃を睦月に与えたのだ。


 だが、銃口から発射された麻酔針は、ケイトにかすりもせずに背後の壁に突き刺さる。そして、それをきっかけに二人の戦闘が開始された。相手が徒手空拳であることなど、お構いなしに睦月は麻酔弾の雨を降らせる。研究所のガラスを砕き、壁に穴をうがち、書類やビーカーや計測機器を破壊しつつ二人は大きなテーブルを間に挟んで一種の硬直状態に入る。

 

 しかし、それはすぐに動き出す。

 相手に銃はないのだから、睦月が影に身を潜める必要はない。一瞬、身を隠したのは仕掛けを施すため。

 テーブルの背後に隠れたケイトをあぶりだすために、睦月は斜め上から銃弾を連続して打ち込む。麻酔針ではない本物の実弾を込めて。


 ケイトが転がり出てくると同時に、机の上にあったであろうシャープペンシルをナイフのように投擲してくる。銃撃しようとしていた睦月はあわてて身をそらす。背後に突き刺さった文房具を見て血の気が引くのを感じながら、がむしゃらに銃弾を叩き込む。だが、狙いを定めない弾が、ケイトを捕らえるはずもなく徒に研究所を散らかすだけだった。


 周囲にあるものを武器に、投擲をするケイトに睦月は後手に回らざるを得なかった。狙っているように見えなくても、ボールペンやはさみの一つ一つが必殺の力を秘めているのは明らかで、拳銃を手にしていても睦月は攻撃をあきらめ逃げ徹する。


 執拗な攻撃に睦月は徐々に壁際に追い詰められ、良サイドのテーブルに囲まれ逃げ場がない。というところで、睦月はにやりと笑みを浮かべた。

 はじめから正面きって戦えるとは思っていなかったのだ。だからこその仕込である。

 睦月は追い詰められたのではなく、ここに誘い込んだのだ。

 格上のケイトを相手によくうまくいったものだと思いながら、必殺の一撃を放つ。


 最初にテーブルの後ろに飛び込んだときに仕掛けた麻酔銃のトリガーを遠隔で引いた。

 背後から聞こえる乾いた炸裂音に、ケイトは気づく。しかし、いくら化け物じみた力があっても所詮は人間である。亜音速で飛来する小さな銃弾をよけられるはずもない。

 背中に衝撃を受けたケイトが、睦月に向かって軽くはじかれる。


 倒れてしまわないようにと、睦月は彼女を抱きとめようと手を広げた。麻酔の効き目は先ほどから何度も目にしている。すぐにケイトの意識を奪うだろうと思っていた。


 だが、ケイトの目からは光は失われず、むしろ強まった。


「バカな!!」


 睦月が驚愕するのもつかの間、ケイトの腕が絡みつきそのまま組み伏せらる。その感触から、ケイトが防弾チョッキを着ていないのは明らかだった。仮に睦月が着ているようなアラミド繊維製であったとしても、銃弾ではなく針なのだ。ナイフは防げても、極細の針なら通ると睦月は考えた。


「まったく。これが私の一番弟子かと思うと泣けれくるわね。策を弄したのなら、決定打が入るまで安心したらだめじゃない?」


 身動き取れない睦月に対して、説教をかます。つまり、笑ったのがいけなかったのかと頭をめぐらせるが、どう見ても背中に銃弾を受けていたのだ。なぜ、無事なのか理解できない。


「つまりこういうことよ」


 ケイトは片手を背中に回すと、薄っぺらいただのICカードだ。小さなくぼみが見えるが、そこでおそらく針を防いだのだろう。


「テーブルから出てきたときから、急に銃が変わっていれば何か仕込んだことくらいわかるわよ。戦いの場を少しずつ移しながら、どこに仕込んだのか確認して、後はあなたがそれを使うタイミングさえわかれば問題ないわ。避けてもよかったのだけどね」


 絶対王者の風格を携えて、ふふっとケイトは薄く微笑む。策を弄したところで勝てなかったということかと、睦月は肩を落とす。


「悪いけど、あの子は渡せない」

「なぜです?」


 睦月は悔し紛れにそう口にする。


「言ったはずよ。睦月がどこであの子を見つけたのかはわからないけど、あの子はDOORの転移機能に巻き込まれただけで、元々RDIで管理していた子なの。コードネーム”ANGEL”それがあの子の名前」


 諦めさせるために真実を告げたつもりだったケイトだが、その答えを聞いた睦月はクツクツと笑い出す。不審に思って眉根を寄せるケイトに睦月ははき捨てる。


「”A”が一つ足りないんじゃないのか?」


 睦月がそう口にした瞬間、ケイトの束縛が緩んだ。

 その隙を突いて体をひねり、転がり出ると拳銃をこめかみに向けて突きつける。

 攻守が逆転した。


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あとがき


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