第四話 親子 (02)

 事務所に戻ってきたとき、睦月が見つけたのは荒らされた室内に頭から血を流して横たわる浅葱の姿だった。すぐに救急車を呼んで病院へと運ぶ。

 ここまでの事態は想定していなかった。


 DOORを調査する会社や研究機関は無数あるが、少なくとも非合法な組織ではないのだ。睦月も含め特殊な訓練を受けているものも多く所属しているが、こういった暴力沙汰は専門外である。

 事情を聞きに誰かが来ることは想定していたが、力ずくで家捜しするなどとは考えていなかった。それを思うと、念のためにメイを隠せたのは僥倖だった。


 治療と検査を終えた浅葱が眠ったまま病室へと運ばれてくる。

 すやすやと穏やかな表情で眠っているようだが、彼女の頭には包帯が巻かれ、腕から伸びる点滴の管を見ると居たたまれない気持ちになった。


 ”僕のせいだ。”


 睦月は自分を責める。

 DOORでメイを見つけたときに、引き取る選択をしたことを。あのとき、浅葱を巻き込むかもしれないと脳裏に浮かんでいたのに、睦月は彼女を共犯者にしてしまった。

 それでも、もっと上手く立ち回れば、回避できたかもしれない。


「浅葱!!」


 病室のドアを勢い良く開けて、浅葱の旦那が飛び込んでくる。

 

「上総さん。すみません。こんなことになって…」

 

 頭を下げる睦月を無視して、上総は浅葱の頬にそっと手を添える。


「浅葱は?」

「頭を打って血を流していました。4針縫ったそうですが、検査も先ほど終わって、脳に異常は無いそうです。少ししたら目を覚ますそうですが、念のために一晩はこのまま入院するようにと言われました」

「そうか」


 穏やかな寝息を立てている彼女を見つめながら、説明を聞いてほっと胸をなでおろす。そして、睦月に視線を合わせると、有無を言わさずいきなり拳を振りかぶった。顔面を強かに殴られ、睦月は壁に叩きつけられる。そのまま崩れ落ちそうに成るのを、上総は許さず胸倉を掴み上げる。

 先日と違って素直に殴られたのは、睦月は責任を感じていたから。それで済むとは思わないが、殴られるだけのことをしたという自覚があるのだ。


「なんで、こんなことになる?浅葱はただのサポートだろ?パソコンを操作するだけの仕事じゃないのかよ」

「すみません。すみません。本当にすみません。こんなことになるとは思わなくて」

「思わなくてって、そういうことじゃないだろが…もういいから。お前は帰れ。俺が見てるから」


 胸倉を掴む手が緩み、睦月は解放される。

 小さく「すみません」と頭を下げて、一瞬浅葱に目を向ける。そして、もう一度頭を下げた。

 病室を出ようとしたところで、上総から声をかけられる。


「浅葱は仕事やめるから。子供のことは乗り越えたんだ。別にお前のところで働く理由なんてないだろ。浅葱は保育士の仕事が好きなんだ」

「…わかりました」


 何も言えなかった。

 どこで間違えたのだろうかと考える。だけど、あの時、ああしていれば、こうしていれば、IFはいくら考えても意味がないのだ。DOORの調査と同じだ。目の前の現象を分析して、解析して、答を導く。正しいか、間違っているか、そんなことは考えない。考えれば判断が遅れてしまうから。


 浅葱に起きてしまったことは、どうしようもない。

 怪我が大したことがなかったのが不幸中の幸いだろう。


 問題はこれからだ。

 メイの存在はすでに気付かれている。

 ここまで直接的に力ずくでことを仕掛けてくる相手に、一介の個人で対応しきれるだろうかと不安になる。でも、出来ることはないのだ。

 散らばった思考を整理するためにも、荒らされた事務所を片づけようと一旦戻った。


 慌てていて出てきたから半開きになっていた扉。

 立て付けが悪く、さびている扉はキィキィと不快な音を立てて開かれる。

 書類が乱れ、テーブルが傾き、ソファがあらぬ方向を向いている。

 浅葱が倒れていたところには小さな血溜まりが残っていた。


「先輩」


 小さく呟いて浅葱が普段座っているワーキングチェアを起こしたとき、メイのために作った居住スペースに立つ人影に気がついた。メイが描いた落書きを手にしたRDIのトップ調査員。


「ケイト!」

「子供なんていたの?」

「…親戚の子供をちょっと預かってただけです」


 どこかの誰かですら気付いたのだ。RDIがメイのことを知っていてもおかしくないと思いながら睦月は嘘を付く。


「ごめんなさい。こんなつもりじゃなかったのよ」


  ケイトのらしくないしおらしい言葉と、丁寧なお辞儀。この惨状の元凶が理解でき怒りが湧き起こる。殴りかかりたい衝動に襲われるが、留まったのは彼女を恐れたからではない。


「うちの人間が先走ったことは謝るわ。私の到着を待つように言ったのだけど、支社の連中が先走ってしまったの。彼らには相応の処分を与えるし、RDIとして正式に謝罪するわ」

「…そうですか。壊されたものの請求書は後で送りますから、もう帰ってもらって良いですよ。先輩あさぎには僕から伝えておきますから」

「そうね。彼女には本当に悪かったと思うわ。でも、私がここに来たのは謝罪だけじゃないわ」

「そうですか?まあ、そちらとお話しすることはありませんので、お引取りください。片付けの必要がありますので」


 睦月は我関せずという感じで、散らかされた書類を集めだす。

 ケイトは出て行こうともせずに、彼の様子をじっと見ていた。


「取引がしたい」

「まだいたんですか?」


 睦月の態度は酷く冷たい。だが、意に反さずケイトは勝手に話し続ける。


「分かっていると思うけど、ここには探し物に来たのよ」

「でしょうね。RDIがこんな小さな事務所に嫌がらせをしに来たとは思ってませんよ。でも、探し物はなかったんでしょ。これで話は終わりです」

「いえ、探し物は見つかったわ」


 その言葉に睦月は作業を中断させられる。中腰で拾い集めていた書類をテーブルの上に置きケイトに向き直る。


「RDIの経営母体は知っているでしょう?」

「…何がいいたいんです?」

「街中の監視カメラはほとんどRDIのサーバーに接続しているわ」


 軍事会社にして警備会社である。会社のセキュリティだけでなく、通りに仕掛けられた監視カメラまでも親会社の手が回っている。そして本来は監視カメラの契約主にしかアクセス権はないのだが、バックドアをRDIの親会社は作っているのだろう。それらの情報を元に、メイが外出したときのルートを特定したのだ。そこから導き出されたのが、如月調査事務所から石動華の屋敷までの道のり。


「それって合法じゃないですよね?」

「RDIのサーバーに繋がっていることは合法よ」

「持ち主の許可なく映像を見ることは違うはずですが。まあ、それはどうでもいいや。結局何が言いたいんです?探し物は見つかったのでしょ。よかったですね。じゃあ、今度こそお引取りください」

「睦月の家のDOORを買い取らせて欲しい」

「…無理です」


 いきなりの本題に、一瞬言葉を詰まらせるが睦月は即答する。ここまでは想定内だ。だから、まだ余裕をもって対処できる。

 なぜDOORの存在を知っているのか?などとは聞かない。それは当然のことながら想定していたことだ。事務所にメイがいなかった時点で、睦月の家にも踏み込んだのだろうから。或いは初めから2チームで行動していたのかもしれないが。


 RDIはDOORの中に匿われているだろうメイを含めての買取を提案してきた。口にせずとも、それくらいは睦月にも分かる。それは二重の意味でありえないことなのだ。メイを渡すわけにもいかないし、DOORは睦月にとって希望なのだから。しかし、ケイトは睦月の懸念を先回りする。


「RDIは1億ドル提示するわ」

「っ!!!!?」


 睦月の表情から余裕は消え去り、今度こそ絶句する。

 ありえない金額設定。

 日本円にして100億円オーバー。


 調査済みの価値の分かっているDOORであっても、この金額は破格である。それ以上の価値を生み出しているDOORはいくらかある。あるのだが、一切の情報を確認することなくその金額を出すことは異常である。それほどまでにメイの存在に価値があるということだろう。


「ご冗談を!」


 ようやく驚愕から回復した睦月が言えたのはせいぜいがそれだけだった。だが、ケイトは面白がる風でもなく真面目な顔つきのまま、睦月を否定する。


「すでに支払いの準備と契約書は用意してあるわ」


 どこに持っていたのか契約書類を机の上に取り出した。さらっと目を通すと、確かに1億ドルとの表記があるし、契約書類はRDI時代に見慣れたものでトップのサインまで入っている。本物だというのは疑う余地もない。


「あのDOORがどんなものかもわからずに、そんな大金を本気で支払うと?」

「”鍵付き”それだけで十二分に価値があるわ」


 ゆるぎない自身を秘めた一言に睦月は言葉を失った。メイのことを抜きにしてもあのDOORはそれだけの価値を秘めている。睦月自身そう思っているが、RDIも同じ考えということだろう。つまり睦月がそこにメイを匿っていなくても損はないと考えているのかもしれない。

 

 だからどうした?

 と突っぱねられないだけの理由が睦月にはある。


「1億ドルの理由を伺っても?」

「奇跡の万能薬エリクシール

「……」


 やはり、彼らは知っているのかと睦月は肩を落とした。エリクシールはどんな怪我でも病気でもたちどころに回復することが出来る奇跡の万能薬である。命の値段として高いのか安いのか、1億ドルという法外な値段にも関わらず、不治の病に冒された大金持ちがこぞってリストに名前を載せている。

 1億ドルさえあれば、睦月もそのリストに名前を載せることが出来るのだ。

 たった一人の肉親である妹の名前を。


 親子に似た絆の生まれ始めたメイと、血の繋がった妹。


 ケイトはどちらを助けたいのかと、睦月に問うているのだ。

 

 一年半前、RDIの調査員として世界中のDOORを渡り歩いていた睦月にもたらされた凶報。

 彼の両親と妹を乗せた車が酔っ払い運転の車に追突され、両親は死亡し妹は首から下が麻痺してしまった。完全介護の必要になった妹のために睦月はRDIを退職し帰国した。


 両親の残した遺産と、保険会社から支払われたお金で妹の入院費や介護費といった直接的な金銭問題はなかったものの、現代医学では彼女を治療する術はなかった。しばらく妹に付きっ切りの生活を行っていたある日、家の居間に鍵つきのDOORが出現した。


 睦月は驚愕すると同時に好機だととらえた。

 鍵つきのDOORである。DOORの調査員だった睦月には、その価値はすぐに分かった。妹を治療できる唯一の手段であるエリクシールに手が届きうるものが目の前に現れたのだ。


 初めはRDIに調査依頼を出すことも検討した。しかし、内部を見たときにダンジョン型であったときにその道は途絶えた。ダンジョン型の場合、調査費用がどうしても莫大になってしまうため、両親の遺産を食い潰す危険があったのだ。食いつぶした結果、何も見つからなかったでは意味がない。

 治療費のことを考えると、遺産にだってそれほど余裕があるわけではない。RDIの所有するダンジョン型DOOR”無限回廊”も黒字に転じたのは32階層の鉱物を発見してからである。それまでは、多少の貴金属で若干の収益しか上げれてなかったのだ。


 睦月は個人事務所を立ち上げて、調査費用を稼ぐことにしたのだ。

 なにも巨万の富を生み出す必要は無い。

 DOORの価値さえ証明できれば、それで十分だと考えたのだ。


 前回の調査で何かがあるらしいことは分かっているが、いまだに利益は生み出せていなかった。それどころかこれ以上調査を続けるには一人では限界があると思い始めていた。

 

 そのDOORに買い手がついたのだ。


 必要な金額でいまなら売れる。


 妹を助けることが出来るのだ。


 妹の病状は比較的安定している。しかし、首から下が動かせないというだけの話ではないのだ。自律神経障害などもあり、いつでも死の危険は付きまとっている。それに、10年後、20年後でも助かるならそれでいいという問題でもないだろう。睦月の妹は現在19歳。失う1年の価値は計り知れない。


 出来ることなら成人式にも出席して欲しいと思うし、大学へ行ったり、同年代の友人と一緒に旅行に行ったり遊んだりして欲しいと思う。


 そんな風に考え事をしている睦月の脳裏に「むつきくん」と呼ぶ舌足らずな幼い少女の笑顔が思い浮かんだ。窓のない、自由に外に出ることも出来ない、現実と隔絶された空間に何の疑いも見せずに入ってくれた少女。睦月への信頼だけを寄せて「またね」といって手を振って睦月を見送ってくれた少女。


 答えの出ない問いに頭を悩ませる睦月をケイトは更に追い詰める。


「このオファーはこの瞬間だけのもの。契約を交わした場合、睦月の持っている鍵はこの場で貰うわ」


 契約をしておいてから、メイを移動させることは許さないと暗に匂わせる。

 完全に追い詰められた睦月に出口のない迷路を彷徨い続けることになった。


あとがき


読了ありがとうございます。


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