プロローグ2

 数メートルの距離を置いて見えるのは、無邪気な子供の寝姿だ。

 幼稚園の年長から小学校低学年くらいだろうか。少し癖のある明るい色の長い髪。将来は美人になりそうな整った顔立ち、鼻筋が通っていて欧米人のよう。ノースリーブの白いワンピースをきていて、かわいらしい口元からは「すぴーっ、すぴーっ」と寝息が聞こえてきていた。モニター越しにこちらの映像を確認している浅葱から質問が飛んでくる。


『どうするの?』

「どうしよ。どう見てもDOORの化け物には見えないですよね。可能性としては、近所の子供が紛れ込んだって考える方が良さそうですけど…」

『じゃあ、連れてくるの?』

「そう簡単にいかないです。ただの子供なら良いんですけど、DOOR内の化け物をこちらの世界に連れ込んだら、ライセンスの剥奪じゃすまないですし」


 睦月は頭を抱える。一歩間違えれば世界を滅ぼしかねない危険すらある。そういう事例があるのだ。東京の片隅で細々と経営する個人事務所の手には余る話だ。


『そしたら、私も失業か。それはいただけないわね』

「そんな話じゃすまないですけど、先輩はブレないっすね。はぁ、DNAチェッカーがあれば良いけど、うちみたいな貧乏調査事務所には手が届かないんで、とりあえずは分かる範囲で調べてみますか。自分に付けている測定器でバイタル見てみますか。ちなみに熱源反応の方はどうですか?人との違いはあります?」

『んーん。普通だと思う。体温も36度台ってところ』

「了解」


 手首につけていたバイタルチェッカーを少女の手首に装着する。そして、念ため、彼女の指先に針を刺して血液サンプルを入手する。痛みで目を覚ます可能性もあったが、一瞬顔をしかめたもののすぐに夢の住人に戻っていった。彼女が起きて、自分の名前やらを答えてくれればそれで済むのだが。

 少女の姿には無視できない点があるのだ。


『心拍、血圧その他もろもろデータを見る限り普通の女の子みたいね。近所の子供ってことで良いんじゃない』

「DOORの中は快適な温度ですけど、今は冬ですよ」

『あっ!』

「この通路の先に脱ぎ捨ててある可能性は捨て切れませんが…」


『そうだね…ねえ、モニター越しだとちょっと分かりにくいんだけど、ワンピースの下のほうにある染みが見えるんだけど、血じゃないよね』

「あ、ああ、ちょっと待ってください」


 視線をワンピースの裾のほうにずらすと大きなシミがあった。赤い色で、触ってみるとしっとりしている。匂いを嗅いで見ると鉄サビのようなにおいがする。十中八九、血である。

 ごめんね、と小声で呟きシミのあるあたりを捲ってみる。


『ちょっと、変態!!』

「馬鹿なこと言わないでください!!怪我してないか見てるだけですよ!!」


 少女が起きないように小声で抗議しつつ、血の染みの裏側を見てみるが怪我らしきものはどこにも見えなかった。さすがに、少女とはいえ服を脱がすわけにはいかないので確認したのはほんの僅かだが、肩を怪我して太ももに血糊がつく道理もあるまい。


「怪我はないようですね。何ともいえませんが、とりあえず目覚めるまで待ってみますよ」

『大丈夫?目覚めて一発目に見るのが目つきの悪い睦月君だと、誘拐犯に間違われるんじゃない?』

「僕のことなんだと思ってるんですか?」

『冗談よ。冗談』


「…まあ、不本意ですけど、先輩の言うことも一理あるかもしれないですね。悪いけど、こっちに来れませんか。女性がいたほうがいいのは間違いないと思うんで」

『そうね。ところで所長、出張手当はあるのかしら?』

「こういうときだけ、所長と呼ぶんですね!もちろん、手当てくらい出しますよ。今からだと残業にもなるでしょうし」

『おー。太っ腹。じゃあ、準備してすぐに出るわね』

「お願いします」


 通信を遮断し、目の前の子供に改めて向き合う。

 近所の子供だった場合は事だが、念のために少女を拘束した上で入り口付近まで運ぶと、睦月はDOORの外に出る。DOORから出てしまうと、1メートルにも満たない距離でも中の様子は一切分からない。

 そのため、内部に残してきたカメラで少女をモニターし、装着した計器で彼女のバイタルでチェックする。


 見る限りどこにでもいる女の子だ。

 心拍も体温にも異常は見られない。


 DOORは空間を完全に遮断している。

 それは扉の開閉に関わらずである。ある場所で見つかったDOORは海水で満たされていた。しかし、ドアを開けたところで中の海水が溢れてきたということは無い。ほかにも毒ガスで満たされていたり、真空のDOORというものも報告されている。


 23年前に最初の一つが出現してから現在までに、出現しているDOORは全部で6091個。この数値はあくまでも公式の数値であり、実際にはそれ以上のDOORがあるといわれている。何しろ、DOORの有益性は計り知れず、秘匿する所有者も多いからだ。


 国際法でDOORは出現した国に権利があると定められているが、その先は各国の法にゆだねられている。日本の場合、その土地の所有者のものとされており、今回睦月が調査に訪れたのはとある賃貸マンションの一室である。賃貸の場合、当然のことながらオーナーにDOORの所有権があり、もともとの借主はオーナーから数十万、或いは百万円程度の立ち退き料を貰って部屋を空けたはずだ。


 オーナーがそんな大金を支払うのには、もちろん大きな理由がある。

 DOORはただの空間ではない。有名な事例を挙げるなら、無重力の宇宙空間と同様の環境が出現しており、これまで宇宙ステーションでしか出来なかった数々の実験が地上にいながら行えるというもので国際的な製薬会社が数億で購入したという。


 他にも地球上には存在しない新たな鉱物を産出するDOORがあったり、リビアの砂漠に出現したDOORには北海道ほどの広大な大森林が展開していた。


 また、奇跡の万能薬エリクシールを生み出すDOORや、物質が一定期間後に消失するDOORというものもある。もっとも、最後の一例はネットの噂で、裏組織の人間が死体の処理に使っているとかいないとか。そういう怪しげなものもあるが、DOORの可能性は無限大である。


 調査員への支払いも相当高額となるため、調査費の払えないオーナーは、未調査のまま転売することがある。それでも、500万はくだらない金額で取引されるという。ある種の博打的要素はあるものの、買い取ったDOORを調査した結果、数億円で転売できたという話はネットの掲示板に五万と転がっている。


 モニターすること凡そ二時間、少女は時々寝返りをうちながら気持ち良さそうに眠っている。必要なこととはいえ、少女の寝姿をただチェックし続けるというは、中々に骨の折れる仕事である。いい加減、浅葱は来ないものかと思っていると、玄関をノックする音と同時に扉が開かれた。


 入ってきたのは長い髪をアップにした二十代後半のおっとりとした雰囲気の女性である。年齢より若く見えるため、”先輩”と呼ぶ睦月よりも年下に見える。かわいらしく胸が大きい。コートを羽織っていてもはっきりと分かるほどに。


「お疲れ~」

「お疲れさまです、随分遅かったですけど、渋滞してたんですか?」

「ううん。ちょっと寄り道してた」


 と、彼女がかかげて見せるのは、”葛城”の紙袋。探索中に話題に出てきたイチゴ大福を買って来たらしい。


「葛城まで行ってきたんですか?」

「だって、帰りが何時になるか分からないじゃない?」

「そういう問題ですか。こっちは急いでるんですが?」

「目覚めたの?」

「いえ」

「じゃあ、良いじゃない。それに睦月君の分もちゃんと買ってきたから、ね」

「そういう問題でもないんですけど…まあ、ありがとうございます。じゃあ、お茶入れますか?でも、さすがにこの場に緑茶は無いですよ」

「ふふっ、睦月君、そういうところこだわるよね」

「和菓子には緑茶でしょ」

「まあ、そういうと思って、緑茶も買ってきたよ」


 もう一つの袋からすっと、ペットボトルの緑茶を取り出す。相変わらず準備がいい。彼女は必要なときに必要なものを出してくる。理想的で完璧な助手だと睦月は思う。


「それで、女の子は」

「見ての通り」


 お茶をするスペースを確保しながら、モニターを指し示す。モニターの向こうの縛られた少女を見て、浅葱は一言。


「…外道」

「え?」

「ちょっと、ちょっと。何しているの睦月君?こんなところでいたいけな少女を拉致監禁?」

「ちょっ!語弊のある言い方はやめてください。仕方ないでしょ。僕だって不本意なんですから」

「不本意?幼い少女をロープできつく縛り上げた上に、誰も手を出せない場所に転がし、モニター越しに私が来るまでウォッチング。これを外道と呼ばずなんと呼ぶのでしょう」

「いやいやいや、言葉だけで聞くと、ロリ属性の変態誘拐犯ですけど、分かるでしょう!!」

「とりあえずモニター前にいるところ一枚スマホでとって良いかしら?もちろん、モニター越しに少女が映るように」

「先輩。マジで勘弁してください。それSNSで上げたらだめな奴ですからね」

「ふふふ、冗談よ。冗談。準備も出来たみたいだし、食べましょうか」



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読了ありがとうございます。


区切りが悪いですが今日はここまでです。

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