D.O.O.R  異界調査報告書

朝倉神社

天使光臨編

プロローグ1

 2LDKのマンションの一室。

 8階建ての3階にある端から三つ目の部屋。タンスやテーブル、テレビといった家具は一切無く入居前の部屋のように見えるが、おかしなことに部屋の中央に扉が一つ立っていた。


 本来ならリビングルームであるはずの8畳ほどのフローリングの中央付近に、深い緑色をしたシンプルな鉄製の団地にありそうな扉が不自然に存在している。扉は開いているが、本来なら部屋の反対側がのぞけるはずが何も見えない。

 その前には様々な電子機器を広げた男が一人胡坐をかいていた。


 中肉中背、二十代中ごろの青年である。

 これといった特徴はないが、若干釣りあがった狐のような目が唯一の特徴だろうか。


 その唯一の特徴である目は、巨大なゴーグルに覆われている。彼の手にはコントローラらしきものが握られ、一見するとVRゲームにでも興じているようであるが、彼が行っているのは目の前の扉の調査である。扉は幅1メートル、高さ2メートル、奥行きは30センチ程度でそれは反対側から見ても同じ。それでも、一歩中に入れば8畳のリビングルームよりも遥かに大きな空間が広がっている。


 彼が見ているゴーグルはドローンのカメラの映像を映し出して下り、コントローラはドローンを操縦するためのツールである。そして、ドローンは謎の扉の中を飛んでいた。


 DOOR(Door Of Other Room)


 いまから23年前に突然現れた謎の扉。それは世界のあちこちに出現をし始めた異空間へと繋がっている。内部は地上のルールの埒外にあって常識が通用しない。その上、一歩間違えれば死ぬような危険もあるため、彼のような調査員が存在している。


 ドローンの操縦に没頭していた睦月は、「ちっ」と舌打するとコントローラを床に置いて立ち上がった。


「先輩。通信限界みたいです。これから内部に入ります」

『おっけー。ドローン画像から解析した内部のマップは、タブレットに送信済みだよ。空気は問題ないと思うけど、軽く電波障害を引き起こす何かがあるみたいだね。睦月君も気付いてたと思うけど、時々映像乱れてたし。それにね、確認できたのは入り口から200メートルちょっと。念のため100メートル毎に中継器を設置した方がいいかも』

「200メートルか…了解」


 睦月の所有しているドローン本来の性能なら、通路が曲がっていたとしても倍以上の距離は飛行できるのだ。最終的には中に入って調査するしかないが、安全マージンはできる限り確保しておきたいのが心情というものだ。


 内部の様子から、目の前のDOORはアーティファクト型と呼ばれるタイプのもので、生き物の存在はいないとされている。それでも、睦月は危険に対処するため拳銃を携帯する。


 マガジンを確認して、太もものホルスターに収納する。

 彼は兵士なんかが着るようなカーゴパンツにミリタリージャケットと、ポケットの多いものを着用している。DOORに入る際には様々なものを持って入るし、いざと言うときにすぐに取り出せるようにという配慮だ。


 バックパックには水や携帯食料にナイフ、それから弾丸や、”先輩”こと睦月の助手を務める浅葱が言っていたような中継器が複数入れてある。DOOR内部の世界は異界や異世界と呼ばれる類のもので、完全に空間が切り離されている。そのため、通信機器を持ち込まなければ完全に隔絶されてしまうのだ。


 DOORの調査時に扉を開けているのは、無線のデバイスを有線で中と外を繋いでいる。そのため、こちら側からドローンの操作も可能になると言うわけである。自宅に設置するような無線ルーターより電波を飛ばせるとはいえ、限界は当然あるのだ。そのため、DOORの内部調査では中継器の存在がもっとも重要ともいえる。


「それじゃあ、侵入します」

『気をつけてね~』


 耳に入れたマイク兼イヤフォンから聞こえてくる緊張感の無い落ち着いた声にほっと息を吐く。遠く離れた事務所から彼をサポートするのは、”先輩”という呼称より分かるとおり、彼の高校生の頃の学校の先輩である。


 DOORの先は何も見えない。不可視の結界のような膜が張られているようで扉の向こう側の世界に対してすりガラスを10枚ほど重ねたように歪んでいる。


 そこにゆっくりと足を一歩踏み入れる。

 膜と言ったが、通り抜ける際には一切の抵抗や、異界に足を踏み入れているという違和感は特に感じない。


「毎度の事ながら緊張するね」


 小さく呟きつつ、内部に体を滑り込ませる。DOOR内部の状態についてはガスクロマトグラフィや温度計、湿度計、ドローンでの調査、その他もろもろの計器で調べているとはいえ、命を落とす可能性は捨てきれない。

 

 ヘッドライトを点してDOORの内部を観察する。

 入り口は幅1メートル、高さ2メートルとすべてのDOORに共通するサイズであったが、中は幅3メートル、高さ4メートルほどの通路のような空間が広がっていた。光の届く20メートル先までは特に何も無い。額のヘッドライトを調整して光量を上げてより遠くまで見えるようにする。少し歩き20メートル先に分岐が見える。


 この辺はドローンでの調査どおりであるし、タブレットに記されているマップに相違は無い。右手に曲がれば50メートルほどの直進通路があり行き止まりがあるはず。それでも、念のために一旦右を選んで行き止まりまで進んでみる。


 壁は無機質な藍色の壁で、コンクリートのような質感である。試しに水をかけて見るが吸収されるわけでもなく、濡れることなく水を弾く。

 ハンマーで叩くと金属を打ち鳴らしたような音が内部に響いた。

 全力で叩いても壁が欠けることは無い。


「壁と床はいつものはあれらしい」

『了解』


 最初に発見されたDOORからずっと変わらない謎物質。TNT爆薬でも傷一つ付かない不思議な空間である。とある学者は空間が遮断されているとかなんとか言っていたが、謎であることには変わりない。


『ところで、睦月君』

「なんですか、先輩。それより仕事中は如月所長でお願いします」

『まあ、良いじゃない。そんなことは。それより、今日は八王子だったよね』

「よくは無いんですが…、一応雇用主は僕なんですから」

『で、八王子だったよね』


 睦月の言葉をさくっと無視して話を進める浅葱に苦笑いを浮かべつつ、睦月は調査を続行する。


 行き止まりから引き返して、最初の分岐を通り過ぎしばらく進んだところで、二つ目の分岐が見えてきた。最初に飛ばしたドローンはここで右の通路を飛行中にロストした。分岐点に無線の中継器を設置して、まずはドローンの回収に向かう。


「…ええ。あきる野市の近くです」

『うん、うん。だよね。というわけでさ。お土産お願いね!」

「…葛城のイチゴ大福ですか?」

『そっ。いやぁ、やっぱり睦月君は良く分かってるね』

「一応、僕は上司なんですが?」

『一応、私は先輩なんだけど?』


 上司の威光など、学生時代の先輩に通じるはずもなく、睦月の言葉は無視される。死と隣り合わせのDOORの調査で余裕ともいえる軽率な行動に見えるが、睦月は彼女の無駄話に救われていた。

 アーティファクト型のDOORでは無機質な空間が広がり、光も音もないため、単独での調査では段々と気がめいってくるのだ。その点、彼女の明るい声には孤独感を払拭する力がある。だから、睦月は周囲への警戒を怠ることなく軽口に答える。


「給料から天引きでいいですか?」

『睦月君。それはパワハラっていうんだよ』

「そんなの、”ザザッ”そっちこそ先輩ハラスメントじゃないですか。センハラですよ」

『センハラなんてそんな言葉ないからね。”ザザッ”、それより、センサーに反応あるみたい』

「”ザザッ”ドローンですか?」


 無駄話をやめて前方に注視する。数パターンの毒ガスセンサー、酸素濃度計、その他もろもろの計器を睦月は装備している。全ての情報は通信機器を通して、事務所のパソコンにデータは送られ、解析される。睦月の持つタブレットにも情報は入ってくるけども、睦月は視覚、聴覚といった自身の五感を駆使して調査に挑んでいる。一々、計器の情報を確認していたら前に進めないため、浅葱のサポートが必要なのだ。


『ごめん。”ザザッ”反応があるんじゃなくて、反応がないみたい』

「どういうことですか”ザザッ”」

『たぶん、通信障害だと思う。”ザザッ”計器の半分の数値が固まってる。”ザザッ”それに、さっきから音声にも”ザザッ”ノイズが入っているし。そっちではどう?』


 タブレットに送られてくる情報を確認するが、各種計器のデータは通常通り取り込めている。つまり、事務所へのデータ送信に異常を来たしているということだろう。


「問題ないみたいですね。”ザザッ”音声通信もノイズはあるけど、無事みたいですが、念のため、ここから可能な範囲”ザザッ”で有線で進んでみます」


 一度、計器が正常に作動していた辺りまで引き返して、中継用の通信機を設置。そこから、有線で装備している機器を接続する。ワイヤーは全長で100メートルほどしかない。それで何も発見できなければ、一旦引き返す必要がある。


『でも、不思議よね。”ザザッ”今回のDOORが通信障害を引き起こすものなら、全て”ザザッ”エリアで通信障害が発生するものじゃない?』

「まあ、先輩の言う”ザザッ”に普通ならそうですけど、DOORに限って言えば”常識”なんて無いんですよ」

『そうね。でも、通信がダメとなる”ザザッ”と本当に気をつけてね。睦月君に何かあったら、イチゴ大福が食べられないじゃない』

「…そっすね。先輩の給料も払えなくなりますし…オッケー。有線の接続完了です。モニターの様子はどうです?」

『うん。問題ない。さっきまでフリーズしてたデータが動き出した。それでも、やっぱり映像はちょっと乱れているね…何かしら…前方に熱源反応?があるみたい』

「熱源ですか?」

『ええ、おそらく30メートルくらい先かしら、中型犬くらいの大きさだと思うけど…』

「了解」


 固い声で返事を返すと、睦月はホルスターからコルトを抜き、引き金を引いて両手で構えた。ヘッドライトの映し出す明かりでは20メートルが限界だ。今の位置からは見えない。通信機の向こう側の彼女が、疑い半分で報告してきた理由は手にとるようにわかる。


 DOORの先にはモンスターと呼ばれる凶暴な化け物が発見されることがある。だが、それはDOORを3種に大別した場合の洞窟型ダンジョン自然型ネイチャーでしか発見されないもので、現在、睦月が潜っているのは人工型アーティファクトと区分されるDOORである。彼の知る限り、人工型アーティファクトでの化け物の発見報告はない。


 だが、先に睦月自身が言ったように、DOORに関しては自分の常識を疑うことが必要なのだ。拳銃を構えたまま、慎重に一歩ずつ進む。あと数歩でライトが対象を映し出すだろうというタイミングで一呼吸を置いてから状況を確認する。


「通信状況は」

『オールクリア。対象に動きは無いわ』

「了解」


 意を決して数歩進んだところで、ヘッドライトの光が床に横たわる影を映し出す。睦月は一瞬、唖然としつつ目の前に見えたものを口に出す。


「子供?」

『……!!』


 通信機の向こう側で浅葱が息を飲むのが分かった。DOOR内部で化け物の類は発見されている。しかし、人に準ずるもの-知的生命体の発見は聞いたことが無かった。だから、目の前の子供も、子供の皮を被った化け物という可能性は排除できなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る