第四話 親子 (04)
浅葱が事務所に入ると、泥棒が入ったのではないかというほどにぐちゃぐちゃになっていた。まあ、それはある意味正しいのだろう。押し込み強盗が入り、何も取らずに出て行った。
一部の書類が適当に重ねられているのを見て浅葱は苦笑する。
「もう、どうせならちゃんと片付けなさいよね」
睦月が片付けようとしてそのままになったというのが分かったからだ。相変わらず散らばっている書類を仕分けしながら拾い集めてくる。浅葱が頭をぶつけて流した血でべっとりと、床に張り付いている書類もあったが、内容を確認すると、必要なものだったので仕方なしに、それは別ジャンルとして仕分けする。
浅葱が気絶したあとも、男達はこの部屋を荒らしていったのだろう。想像以上に散らかっている。事務所エリアだけでなく、メイと睦月が寝泊りしている居住スペースまでもぐちゃぐちゃである。
「そんなところにメイちゃんが隠れているわけないじゃない」
あけ放たれた小さな食器棚である。ぶつぶつと文句を言いながら片づけを少しずつ進めていると、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。事務所は三階で、同じフロアや上の階にも入居者はいるけども音だけで浅葱は自分の上司だと分かった。部屋も片付けずに一体どこをほっつき歩いていたのだろうと、玄関前で仁王立ちになって待ち構える。
「こら!少しくらい片付けなさいよ」
「…先輩?」
いると思わなかったのだろう。睦月は目を白黒させると、包帯が巻かれている頭部に視線を移す。
「で、何してたの?昨日帰ってきたんでしょ。このまま寝たの?」
「あ、ああ。その、ごめんなさい」
「よし、じゃあ、片付けよう」
「って、そうじゃなくて、なんでいるんですか?上総さんが辞めさせるって」
「ああ、それ?気にしなくて良いよ。カズ君には私から言っておいたから。まったく、何様だっていうのよね。私がどこで働くかは私が決めるっての」
いつもは旦那至上主義かというほどに絶賛して止まない浅葱だが、まるで自分のもののように扱われたことに関しては納得いってなかった。もちろん、それが浅葱への愛情ゆえの行動だというのは理解しているけども。
「そ、そうなんですか。じゃあ、このまま助手を?」
「もちろん。なんだかんだで、私ここの仕事好きだよ。それに、メイちゃんもいるからね。保育士に戻らなくても、子供の面倒も見れるし、ある意味すごくいい職場だと思うわ。怪我したことだって気にしてないわよ。メイちゃんのことは二人で決めたことじゃない?正直、怖かったけどね、睦月くんのせいでこうなったとか思ってないから」
「すみません」
「ううん。本当に気にしないで、それより私の方こそ謝らないとだね。DOOR内に閉じ込めるなんて酷いって、睦月くんのこと責めたけど、結果的には正解だったんだもん」
安心したように浅葱はそういったが、睦月はそれに対して視線をそらせた。浅葱は怪訝に思いながらも話を続ける。
「メイちゃんの様子どうだった?様子を見に行ってたんだよね。寂しがってなかった?」
浅葱が事務所に来た時、睦月はいなかった。でも、そのことに対して不思議だとは思わなかった。理由は一つしかないないと思ったから。今日は平日である。普通なら睦月は9時には仕事を開始する。
動きを止めて居住スペースの方に視線を向ける睦月に、浅葱は嫌な予感を覚えた。
「ねえ、どうだったの?」
言葉を重ねながら、彼の肩をつかむ。
無理矢理振り向かせると、泣きそうな目をしていた。
何があったのか?
聞くまでもないことなのだ。だけど、それは同時にありえないはずだった。睦月の家にあるDOORは鍵が掛かっていて、彼が持つこの世で唯一の鍵が無ければ開ける事ができないのだから。
だからこそ、睦月はメイをその場所に隠したのだ。
「睦月君」
浅葱はやさしい声で呼びかけ、睦月の手を引いてソファに座らせた。「コーヒー入れるね」とうなだれた睦月を置いて、キッチンに向かった。電気ポットにスイッチを入れて、お湯が沸く間にコーヒーを豆から挽く。挽き終えた豆をフィルターに入れると、ちょうどお湯が沸いた。
事務所にコーヒーの芳醇な香りが充満した。
浅葱は睦月の前にカップを置き、自分の分は手に取ったまま向かいの椅子に座った。コーヒーを一口含んでも、味が感じられなかった。
彼女は知っている。
睦月の目。
それは、彼と再会した頃の自分と同じ目だから。
失意のどん底にいたときの暗く濁った瞳。
「僕はどうすればよかったんですか?」
ポツリと睦月が呟いた。
「僕に何が出来たんですか?僕はただの、どこにいでもいる、普通の男ですよ。そりゃあ、DOOR調査員なんて変わった仕事についてますけど、だから何だって言うんですか?」
「落ち着こう。別に私は何も言ってないわよ」
「目が言ってますよ。先輩も僕のことを責めているんでしょ。メイを守るとか言っておきながら、所詮口だけだって」
「そんなこと…」
「いいんです。だけど、後悔はしてませんから!」
顔をガバっと開けて大きな声を出す。
後悔がないといいながら、その言葉が嘘であることは自明だった。罪悪感を感じているらしい睦月に、浅葱もかける言葉を失った。もしも、彼が本心からそんなことばを口にしているのなら、罵倒することも出来たけど彼は心底悔いているのだ。
何があったか分からない。
でも、浅葱も昨日は恐怖を感じた。
事務所に押し入った男達は、いきなり声を上げ浅葱を脅しつけてきた。普通の人は大きな声を上げられるだけですくみ上がってしまうものだ。ましてや男と女である。抵抗することも出来ず、それでも部屋を荒らすのを止め様とした挙句、突き飛ばされ頭に怪我をしたのだ。
いくらカギのかかったDOORの中にいるといっても睦月から無理やりカギを奪うことは可能なのだ。
思い出すだけで恐怖にとらわれて身がすくむ思いだった。
睦月も同じような目にあったのかもしれない。
そう思うと、どうして彼を責めることが出来るだろうか。
「違うんですよ」
浅葱の同情するような目を見て、睦月は居たたまれなくなって視線をそらせた。
「……僕は脅されたわけじゃないです。僕は……僕は、メイを売ったんです」
「…!!」
予想外の言葉に浅葱は絶句する。メイを売った?意味が分からなかった。浅葱の知る睦月は、心の優しい青年だ。少女が実験動物になるのを恐れ、迷うことなくメイを引き取ることを決めた。26歳の男が、少女を引き取るということがどれほど大変なことか、考えるよりも先に決断した。他人の、その上、人かどうかも不明な子供を。
子供好きな浅葱でも、同じことができるかといわれたら二の足を踏むかもしれなかった。大人になってしまうといろいろと考えてしまうものだ。
メイの性質上、警察などに相談できなかったという事情はあるものの睦月の決断は尊敬に値した。その後も、メイを守るために手を尽くそうとしていたのだから。
睦月は半笑いになりながら、昨日の出来事を説明する。
1億ドル。その金額の意味するところは浅葱もよく知っている。
「いいですよ。責めてくださいよ。いつもみたいに僕のことをいいたい放題ディスれば良いじゃないですか!」
「…文月ちゃんのためなんでしょ?」
「だからなんだって言うんですか?妹のために、メイを犠牲にしたんですよ」
ああ、そうか。と浅葱は思う。
園児を亡くした時、罪悪感に押しつぶされそうになる浅葱を責めるものは誰もいなかった。同僚はもちろん、旦那も友人も浅葱のせいじゃないと、仕方が無かったといってくれた。その言葉は優しいけれども、浅葱の心は救われなかった。園児の両親の「何があったんですか!?なんでちゃんと見ててくれなかったんですか」という悲痛の訴えの方が、皮肉にも浅葱の心を少しだけ軽くした。
責められた方がいいなんていうのは、ただの自己満足だ。
それで罪悪感が無くなるわけではないけども、少しだけ楽になるのだ。
だけど、浅葱は何も言わなかった。
慰める言葉も、責める言葉もどちらも。
睦月が感じている想いは、彼自身が消化しなければならないことだから。
浅葱は園児と自分の子供の両方を失った。
でも、仮に園児の死を見逃せば、子供が助かる状況があったとしたら?そんなIFを考えたところで仕方がない。でも、他人の子供と自分の子供、比較すること自体が間違っているけども、事実その場面に遭遇すれば、ほとんどの人が自分の子供を選択するだろう。
妹と拾った子供。
どちらにも愛情はある。
それは睦月を傍で見ていた浅葱には分かっている。
だから、彼の選択がどれほどつらいものだったのか、想像に難くない。
浅葱は立ち上がると睦月の隣に腰を下ろし彼の頭を抱えるように抱きしめた。一瞬、彼女を押しのけようとした睦月だったが、受け入れるようにして頭を預けた。
静かな室内に、鼻をすする音が聞こえてきた。
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あとがき
読了ありがとうございます。
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