プロローグ4
「さてと、記憶喪失か…。さすがにそれは想定外だわ。でも、そうか。記憶が無いから、DOORの危険性も分からずに入ってきちゃったのかな」
普通、子供が小さいうちにDOORの危険性については親から子へ教育されるものなのだ。それでも、たまにその手の事故は起きる。子供の危険に対する認識の低さや、好奇心の旺盛さというのは親の思うようにはいかないものなのだ。
睦月がオーナーに案内されて部屋に入ったとき、施錠されていたはずなのでどこからか侵入したというのは考えにくいと思った。しかし、もっと前から子供が侵入していた可能性も否定は出来ない。時間の流れが違うDOORというのも発見されているからだ。調査中の感覚としてそれはなかったが、時間軸にずれがあるのなら、通信障害にもある程度説明はつく。
「とりあえず警察?それとも病院になるのかな?でも、DOOR内で発見したっていうのは不味いですよね。せめて、この部屋に忍び込んできたってことにしておきますか」
少女を何も無い床に座らせて今後の方針について考えながら口を動かして浅葱に聞かせる。
「警察で良いと思うけど、その前にちょっとこれどうにかしようよ」
浅葱が少女の髪の毛を指差した。睦月は全く気がつかなかったが、血糊はワンピースだけでなく髪の毛にも付着していた。頭部に怪我をしている様子もないので、”誰か”もしくは”何か”によるものだろうかと眉根を寄せる。それはつまり、他にも何かがDOOR内にいるということだろうか。
「ねえ、ここってシャワーは使えるの?」
「オーナーには話を通してあるから大丈夫ですよ」
「ちょっと、見てくるね」
ダンジョン型やネイチャー型の場合は衣類が汚れることもあるので、可能の限り部屋の設備は使えるようにしてもらっているのだ。水やトイレが使えるだけでもかなりありがたい。DOORの調査は長時間に及ぶこともあるので、寝泊りすることもある。
「うん。お湯出るみたい」
シャワーを確認してきた浅葱が戻ってくると、少女を連れてシャワールームへと消えていった。
「覗いちゃだめよ」
「覗くわけないでしょ。子供のシャワーなんか」
「じゃあ、私のシャワーなら覗くんだ」
「…覗きませんよ」
「私ってそんなに魅力ない?」
「…そんなことは無いです」
「じゃあ、覗くんだ」
「…もう、なんて言えばいいんですか。覗きますよ。ええ、覗きますとも。先輩がシャワー浴びるなら喜んで覗きますとも」
「変態」
「…」
辟易とした表情を顔を貼り付けて、睦月は押し黙る。どちらを答えたところで、正解の無い二択。高校生の頃から一切変わることの無い先輩との掛け合い。それが楽しくて懐かしかった。高校一年生の頃の睦月は高校三年生の”先輩”に恋をしていた。もちろん、それは思春期の淡い恋心、或いは憧れのようなもので、いまでも引きずっているわけではない。
「先輩、着替えはどうするんです。替えの服、買って来ましょうか?確か近くにウニクロありましたよね?」
「…」
「先輩?」
返事が返ってこなかったことを不審に思い風呂場のほうに足を運ぶ。
「どうかしました?」
嫌な予感がする。
DOORから出ることの出来た少女が、モンスターであるはずは無い。だが、DOORに絶対はない。
”常識を疑え”
”法則を疑え”
”絶対を疑え”
独立する前に入っていた調査会社で一番初めに教わったDOORを調査する上の三原則。それを頭の中で反芻する。まさか、あの愛らしい少女は羊の皮を被った狼だったのか。リビングからシャワールームへと続くたった数歩の距離が無限のように遠くに思える。
「先輩!!」
一際大きな声を上げ、ドアノブに手をかける。
「入ります」
念のために一言添えて、ドアを開けようとして、
「ダメ!!」
先輩の声がそれを遮った。拒絶するような言葉であるが、声が聞こえたことにホッと胸をなでおろす。
「よかった。どうしたんです。返事が無いから心配したんですよ。何かあったんですか?」
「ごめんごめん。うん。何かあったというのなら、羽があった」
「えっと…ごめんなさい。どういう意味ですか。それは」
「だから、羽があったのよ!」
「先輩。全く持って意味が分かりません。羽? 羽って何の羽です?」
「だから、羽よ。翼よ、ウイングよ。つまり、この子は天使だったの」
「…………えーと。その、つまり、女の子の背中から羽が生えていると?」
「だから、そう言ってるでしょ」
馬鹿な!
ありえない!
こちらの人でなければ、DOORは抜けられない。
背中から羽の生えた人間などいるはずもない。
睦月の知る常識が結びつかない。いくらDOORに”絶対”を求めることが愚かだとしても、それだけはありえない。あってはならないのだ。DOOR内部のものをこちら側に持ってくることは可能だ。空気を調べるためにもそうしているし、未知の鉱物を発見してこちらの世界で有効活用もされている。むしろ持ってくることの出来ないものすらある。奇跡の
だが、中の物質が、人間を介在せずに移動することは出来ない。
すべてが虚構のようなDOORでも、その事実だけは正しくなければならない。
疑ってはいけないのだ。
それを疑ったらすべての前提が崩れてしまう。
いままで安全を謳って解放していたDOORが、その安全性が疑われてしまう。
DOORに無価値なものはないのだ。何もないただの空間ですら、人は使い道を見つけている。例えば、完全に隔絶された空間であることを利用して、放射性物質のゴミ捨て場として。
だが、絶対に洩れないはずの放射能がDOORから洩れてきたら?
毒ガスが溢れてきたら?
突然大量の海水が流れ込んできたら?
それが起こらないからこそ、安全で有益なものとしてDOORを見ていたすべての目が一変する。
23年前に世界が一変したように。
もう一度、世界に混乱が起きるかもしれない。
「先輩。ドアを開けても良いですか」
睦月は静かなトーンで、扉の向こう側の浅葱に声をかけた。見るのが怖かった。自分がこれから見るものが世界を混沌に陥れる爆弾のようなものかもしれない。そう考えると、底知れぬ不安が押し寄せてくる。
「…いいわよ」
ドアを開けて中に入る。
世界を変えてしまうかもしれない爆弾はとてもかわいらしい少女の姿をしていた。腰にはタオルを巻いて、長い髪の毛はまとめて前の方に流した小さな背中には、白い翼が付いていた。空を飛ぶには小さすぎる掌ほどの大きさしかないが、それは紛れもなく羽だった。
「もう良いかしら?女の子なんだから、そんなにまじまじ見ないでよ」
「ご、ごめん」
浅葱のその言葉に、睦月は慌ててシャワールームの扉を閉める。
「で、ウニクロだっけ。睦月君のセンスがすごーく心配だけど、買ってきてくれる?」
「って、シャワー浴びるんですか?」
「当たり前じゃない。このままにしとくの可愛そうでしょ」
「…そうですけど、いや、分かりました。行ってきます」
冷静になる時間が必要だった。
危険は無いだろう。
たぶん。
もはや、何を信じて良いか分からない。
常識の通用しないDOORの調査を始めて4年。去年独立するまでは、世界一の調査会社でDOOR調査のイロハを学んできた。直接、内部に侵入したDOORの数はかなりのものだ。
決して経験豊富と嘯くつもりは無いけども、それでも数多の経験をしてきた自負は睦月の中に確かなものとして芽生えている。それらすべてが覆されたのだ。
睦月は滲み出る脂汗を感じながら部屋を後にした。
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あとがき
読了ありがとうございます。
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