第30話
「……」
僕は黙したまま、真っ暗な視界の中で、何かが起こるのを待った。
ミカは一体、何をするつもりだ? この緊張感は何だ? 僕は一体、どうなってしまうんだ?
そんな沈黙は、明るい笑い声で払拭されてしまった。無論、笑ったのはミカである。
「ちょっ、な、何のつもりだよ? なんでか知らないけど、僕はすごく緊張したんだからな!」
「ごめんごめん、ジンのこと、からかってみたくなって」
「は、はあ?」
「あたしの快気祝いと思って、許して?」
上半身を引き、両手を合わせるミカ。その茶目っ気のある挙動に、僕は自分の怒りがさあっ、と引いていくのを感じた。しかし、心にわだかまりは残っている。
ヴィンクの言う通り、僕がミカに素直に好意を伝えたら、何かが変わるのだろうか。
そんなことを考えていると、ノックもなしに扉が開かれた。
「ミカ、ちゃんと食べておるか? ……って、ジンがおるではないか! すまない、邪魔をした!」
「うわあっ! 待って! 違うんだよ、サント!」
「そ、そうだ、僕とミカは別に、気持ちを伝えるような雰囲気になってたわけじゃなくて――」
「へ?」
再び扉を開けながら、サントは言った。
「ほほう? ジン、お主も少しは女子に見せるだけの男気はあるようじゃな?」
さっきのヴィンクと同じ、ニヤニヤ顔。
「と、とにかく! 僕はミカに対して現在までの状況説明をするように、カッチュウから指示を受けてるんだ! これも立派な任務なんだよ!」
「ほほーう? それではますます我輩の出番はなくなるのう」
「そ、そうだ、だから気にするな!」
立ち上がって弁明する僕。そんな僕を半眼で、上目遣いに見ながら、サントはやれやれと小振りの剣を取り出した。僕が今まで使ってきた短剣よりも、ずっと短い。
「まあ座れ。お主らのために、直々に我輩が林檎の皮を剥いてやろう」
「船の操縦補佐はいいのか?」
「うむ。この風向きなら調整するまでもないわ」
「そ、そうか」
結局この日は、三人仲良く林檎にありつき、他愛無い話をしながら解散となった。
自分とカッチュウに割り当てられた部屋に入ると、微かに甘い香りがする。
一瞬、『文明の里』で罠に嵌められたことを思い出したが、あんな奇抜で人工的な香りではない。自然そのものといった、純粋な香りである。
「カッチュウ、眠れないの?」
「……」
無言で香りの発生源――余った桜の枝を見つめながら、心ここにあらずのカッチュウ。
奥さんや娘さんのことを思い出しているのだろうか。僕には分からない感覚だ。
僕がカッチュウの前で首を捻っていると、まるで僕の心理を読んだかのように、カッチュウはこう言った。
「いずれ分かるさ、ジン。お前もミカのことを、もっともっと大切にできればな」
「へ?」
突然の話題転換に、僕は狼狽えた。どうして家族のことが、ミカと繋がる? 確かに僕は、この七年間、僕はミカの兄弟分ではあったけれど。
「仲間でも友人でも同僚でもない。たった一つの輝き、それもお前にしか見えない輝きを、ミカは秘めている。大切にしてやることだな」
そう語る間にも、カッチュウはずっと桜の枝を見つめていた。
返事をする時機を逸した僕は、すぐに床にごろんと横になった。
※
休める時に休んでおけ。これはカッチュウが、以前僕とミカに教えてくれた生存戦略の一つだ。だから、遂に『ベテルギウスの弓』のある島へ到達した時、僕はすっかり眠りこけていた。
朝霧が漂い、ひんやりとした空気が船室にも滑り込んでくる。
その冷たさに反応し、僕は目を覚ました。飛行船が不時着したのは、その直後のことだ。
どん、と下から衝撃が伝わってくる。前回の不時着ではなかったことだ。
この島には、衝撃を吸収してくれる土や草といった自然物がなかった、ということか。
ということは、この島は全体が岩場でできているのか? いや、だとしたら逆に不時着はできなくなるはずだ。船底が損傷する恐れがある。
特に誰からも警告を受けなかったので、僕は扉を開けて船室の外に出た。そして、
「何だ、これ……」
目の前の光景に唖然とした。
見渡す限り、地面は完全に平らだったのだ。草木や岩石、水源や土くれといった、自然物は全く目に入らない。
振り返ると、こちらはこちらで平然と凪いだ海面が、静かに波音を奏でている。
再び前方に目を戻し、この異様な島を見渡す。すると、霧の向こうに直立する構造物が見えた。具体的な形はまだよく分からない。だが、人工物であることに間違いはない。
『神』の定めた制限時間までまだ余裕がある。ここはいろいろと調査してみる価値がありそうだ。それに、具体的にどうやって『神』と戦うのか、という根本的な問題すら解決していない。あの構造物の中に、手がかりがある可能性は十分だ。
僕はタラップを降り、ゆっくりと足の裏を地面に着けてみた。固い、やはり人工的な感触。
「これはギガフロートじゃな」
いつの間にか降りてきていたサントが言う。
「ぎ、ぎが……?」
「ギガフロート。人間が建造した、海に浮かぶ島のことじゃ」
「人間が、造った?」
「左様。驚くのも無理はないがな」
その時だった。ミカが僕の肩を叩き、後ろから囁いた。
「誰か歩いてくる。敵意があるかどうかは微妙だけど」
「何?」
僕たち以外に人間が? 俄かに信じ難いことではあるが。
すると、カッチュウが前に出て、さっと腕を翳した。僕たちが下手に進むことがないように。
「カ、カッチュウ?」
「待ってくれ。これは俺の、身内の問題かもしれないからな」
「身内って……」
そこまで言った時、僕、サント、ヴィンクもまた、同時に気配を捕捉した。霧の向こうから、誰かが歩いてくる。
警戒して、僕とヴィンクは背中に手を回し、ケリーは獅子化し、ミカは結界を張った。
霧の中で、その気配は静止した。何かを頭から外している。まるで、カッチュウが兜を外す時のように。いや、『ように』ではない。全く同じ所作だ。
ふわり、と海風が吹きつけてきて、しばし霧が晴れる。そこに立っていたのは、まさにカッチュウだった。しかし、顔が違う。カッチュウと同じ装備を纏った別人だ。
そんな彼に向かい、カッチュウも一歩踏み出して兜を外す。
すると、ふっと笑みを浮かべるような気配が向こうから感じられた。
「久しぶりだな、ササキ・タケオ二尉?」
「あ、あんたは……」
と言いかけて、カッチュウ――佐々木武夫二尉は膝を着いた。
「どうした、頭痛か? よくないな、一千年前とは違って、薬局に頭痛薬を買いに行くわけにはいかんぞ?」
「黙れッ! あんたが……あんたが、俺と家族の仲を引き裂いたんだろう、ハセガワ・ユウジ一佐……!」
「私が?」
僕は改めて、相手のカッチュウの姿を見た。長谷川優司一佐。タケオと同じくらいの体躯。顔つきもタケオ同様、精悍としたものだ。だが、タケオにはないものがある。こちらを見下すような傲岸さだ。
二人の関係性を知りたかったが、タケオは頭を抱えて呻いている。サントの方を振り返ると、こちらに眼球を向けて語り出した。
「ユウジはタケオの上官であるようじゃな。話している言語からして、彼らは日本という国の武人であるようじゃ。確か――」
「陸上自衛隊特殊作戦群第六課、通称『甲冑部隊』隊長の長谷川優司一佐だ。三日前、ハイパースリープより目覚めた。今は西暦で言えば三〇二九年であるはずだが……って、この時代に暦など残ってはいまいな」
ユウジはひょいと肩を竦めた。そして、改めて僕たちを真っ直ぐに見つめた。
「おおっと、勘違いしないでくれ。私は君らの敵じゃない。少年、君が背負っているのは『神殺し』の魔剣だろう? 私も『神』を抹殺する時機を見計らって、一千年の眠りから覚めたんだ。あの憎むべき『神』の息の根を止めるためにな」
協力者がまた現れた、ということか? しかし、僕は単純には喜べなかった。ユウジという男が、胸中に歪んだ感情を有しているように思われたのだ。
彼に『神殺し』を任せたら、何か酷いことが起きる。そんな気がする。
「一つ教えてください、ユウジさん」
ミカが、しっかりとした声で尋ねた。
「あなたは本当に、カッチュウさんの――タケオさんの家族を離れ離れにしたのですか?」
「その認識は、あながち間違ってはいない」
「なっ!」
驚きに息を詰まらせる気配。ヴィンクだ。
「てめえ、人様の家庭を滅茶苦茶にしておいて、随分とデカい態度を取ってくれたな?」
ヴィンクは肩を震わせていたが、ユウジはこう繰り返した。
「だから勘違いするなと言っただろう。家族と別れ、ハイパースリープに入る決心をしたのは、佐々木武夫二尉の判断だ」
「上官なら引き留められたんじゃねえのかよ!」
そう叫びながら、ヴィンクはサーベルを引き抜き、投擲した。目にも留まらぬ早業だ。しかし、サーベルはユウジに届かず、無様に二人の間に落っこちた。ユウジは大型の拳銃を手にしている。サーベルは、銃の弾丸に弾かれたらしい。
こいつはかなりの手練れだと、僕は直感した。
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