第4話【第一章】

【第一章】


「グルルルルル……」

「……」


 目の前にいるのは、アルマジロだ。幸いにも、僕の村には文献がたくさんあり、また、魔力で封じられていた過去の記録もあったので、調査には事欠かなかった。相手が何者なのかは理解している。

 問題は、そいつがやたらとデカい、ということだ。眼前にいるアルマジロと思しき動物は、体高が僕の背丈と同じくらい、体長はその三倍はあるだろうか。


「ミカ、周囲に他の敵性動物の気配は?」

「ないよ。大丈夫」

「分かった」


 僕たちは、飛行船墜落事件から七回目の夏を迎えていた。僕もミカも十五歳で、二人で狩りをしているところだ。村に近い、森林の一角である。

 目的は二つ。貴重なタンパク源である動物の肉を確保することと、僕の短剣使いとしての腕を上げることだ。


 アルマジロは、分厚い金属板のような背中を盛り上げ、荒々しい息を漏らしてこちらを威嚇している。真正面から斬りかかって勝てる相手ではないだろう。

 こういう時は。


「さあ来い、怪物め」


 僕は手首をぐるり、と反転させ、右手に握らせた短剣を弄んだ。すると、剣先から青白い光が生まれる。それは僕の意志に従い、チカチカと妖し気に輝いた。

 僕は魔法使いではないから、短剣に魔力が籠められていたと考えるのが自然だろう。


 こうして相手を挑発しながら、ミカから離れていく。彼女は他の危険な動物が寄って来ないかどうか、微かな魔力で周囲を探っている。無防備だ。実際の戦いでは、僕が一人で怪物の相手をすることになる。


 しばしの沈黙を以て、アルマジロは僕に突進を仕掛けてきた。


「グルオオオオオッ!」

「ふっ!」


 僕は側転し、これを回避。ドン、と鈍い音を立てて、アルマジロは頭から大木に突っ込む。すると続けて、ミシリ、と異音が響いた。


「ッ!」


 僕は慌てて飛び退いた。直後、大木は呆気なく折れて、根本から倒れ込んでいった。

 ざざん、と下草が鳴り、平たく潰される。大木の枝葉がざわざわと打ち鳴らされる。

 こりゃあ、一撃でも喰らったらマズいな。僕は唇を湿らせた。


 今のうちに仕掛けてやる。僕はタンッ、と地面を蹴り、跳躍した。勢いよく高度と飛距離を稼ぐ。助走なしでここまで跳べるとは、我ながら上出来だ。

 アルマジロはぶるぶるとかぶりを振っている。少し目を回したようだ。好機の見込みは当たっていたらしい。


「はあああああああっ!」


 僕は叫びながら、勢いよく相手の頭上に舞い降りた。短剣を両手で握りしめ、一気に首筋に根元まで刺し込むつもりだ。

 しかし、読みが甘かった。アルマジロは何を勘違いしたのか、僕が立っていたところに頭突きを繰り返している。結果、僕は相手の、丸く盛り上がった背中に降り立ってしまった。


「うわ!」


 姿勢を戻そうとして、失敗する。地面に転がり落ちる僕。

 短剣を手離さなかったのは幸いだった。強固なワイヤーで、柄を右の手首に結び付けておいたのは正解だったといえる。


「ジン、危ない!」


 そう叫ぶミカ。はっとして顔を上げると、ゆっくりとアルマジロがこちらに頭部を向けるところだった。

 やや足元をもつれさせながらも、こちらに向かってくるアルマジロ。この距離では、突進よりも踏みつけで僕を仕留めた方がいいと判断したのだろう。だが。


「グルッ⁉」


 相手は首を巡らせた。それに従って見遣ると、ミカが片手を掲げ、光球を作り出そうとしている。


「よせ、ミカっ!」


 ミカが作っているのは、攻撃用の魔球だ。ミカは魔法使いとして決して筋は悪くない。だが、攻撃魔法となると、お世辞にも戦力になるとは言えなかった。


「グルルッ、グアアアッ!」


 アルマジロは僕への興味をなくし、勢いよくミカの方へと駆け出した。

 はっと息を飲むミカ。避けろ、逃げろと叫びたかったが、口が思うように動かない。自分の反応が遅いのだ。


 何とか引き留めなければ。僕は立ち上がり、アルマジロを追ってダッシュ。ここから確実に狙えるのは――尻尾か。

 僕は右腕に、短剣がしっかりと結び付けられているのを確かめてから、それを投擲した。


「ギャオオオッ⁉」


 尻尾は、アルマジロにとっても思わぬ弱点だったらしい。走行を止め、前足を上げてのけ反る。


「ぐあっ!」


 勢いよく右腕を引かれ、地面に叩きつけられる僕。そのまま引きずられる。頬が地面に擦られ、痛みが走った。だが、そんなことに構ってはいられない。

 僕は、アルマジロが急停止した反動を活かして一気に跳躍。ずん、と前足を下ろした相手の首筋に、今度こそ短剣を突き刺した。


 ゴオオオッ、と嵐のような唸り声を上げて、アルマジロは短剣を振り払おうとした。しかし、僕も今短剣を手離すわけにはいかない。ミカが目の前にいるのだ。ここで仕留めなければ、ミカが殺される。


 僕は相手の首の付け根に跨り、自分の身体を固定していた。気づけば、既に自分の身体は真っ赤に染まっている。返り血だ。

 勢いよく噴出する鮮血。それに負けじと、僕は短剣をぐいっと捻る。鮮血はさらに高く噴き上がり、アルマジロも奇声を上げる。きっと、気道に血液が入り込み、肺にまで流入しておかしくなったのだろう。


 アルマジロの動きが、だんだん緩慢になっていくのを感じる。僕は短剣に何度目かの捻りを加え、とどめと思ってより深く刺し込んだ。

 しばしの静寂の後、真っ赤に染まった下草の上に、アルマジロの巨体が横たわった。ずずん、と地鳴りが響く。

 先に声を発したのは、ミカだった。


「ちょっとジン、大丈夫? ほっぺた、血が出てるよ?」


 僕は無言。頬の傷はアルマジロに引きずられたからだが、一体僕をこんな目に遭わせたのは誰だと、ミカは思っているのだろう?

 僕は苛立ちをぶつけたいのは山々だったが、ミカが心配そうに覗き込んでくるので、その機会を失った。


 母親に似た、大きな瞳。黒目に淡いブルーの輝きがある。控え目ながらも形の整った鼻と口。髪は後頭部で一つに括られ、短い房状になっている。


 僕はぐいっと自分の顔を腕で拭った。


「いてっ」

「ほら、やっぱり痛いんでしょ? 治癒魔法かけてあげるから、少し待って。……ってああ、ジン! 置いてかないでよ!」


 治癒魔法なら、村に戻ってからちゃんとした魔法使いにかけてもらう。中途半端にやられたのでは、治りが遅くなると聞いたこともあるし。


 慌てて駆けてきたミカに、僕はじとっとした一瞥をくれる。だが、ミカは怯まない。幼馴染だから、だろうか。


「そんな血塗れの格好で歩いてたら、他の動物が寄ってきちゃうよ? あたしが移動式の結界をかけるから」

「……ん」


 この提案は、受け入れざるを得なかった。ミカは防御魔法、とりわけ結界術にかけては優秀なのだ。大人に勝るとも劣らない。やはり、母親のことがあるからだろうか。


 気づいた時には、視界がぼんやりと薄紫色に染まっていた。


「ちょっと待ってて。あのアルマジロ、運ぶから」


 自らにも結界をかけたミカは、振り返って二つの魔法を行使した。一つは僕たちと同じ、血の臭いを遮断する結界魔術。もう一つは、重い物体を浮かせて運ぶ物理魔術だ。


「さ、帰るよ、ジン! 今晩はご馳走ね!」


 鼻歌を奏でながら、颯爽と歩いていくミカ。やれやれだ。


         ※


 僕たちの新しい村は、周囲を森林に囲まれた円形状の草原にある。危険な動物の侵入を防ぐため、ここにも結界が張られており、ミカも時々手伝いで、寝ずの番に就くこともあるとか。

 先を歩くミカがさっと手を翳すと、泡が弾けるような軽い音と共に、結界に穴が空いた。


「さあジン、入って。あたしは獲物を運ぶから」


 先ほどから、僕に冷たくあしらわれているにも関わらず、ミカは元気である。自分の善意を受け入れられなかったことは、そんなに苦ではないのだろうか?

 いやそもそも、どうして僕は、こんなにもミカの心境に注意を払っているのか?


「そりゃあ、幼馴染だもんな」

「ん? ジン、どうかしたの?」

「いや、何でもない」


 ぼそっと呟いて、僕は村へと歩み入った。

 村の構造は単純だ。まず、中央に広場がある。これは、子供たちの遊び場として普段は使われているが、祭りの会場や祈りを捧げる場にもなる。


 そこから同心円状に、木造家屋が並ぶ。いわゆる高床式というやつで、雨が降る時、特に今のような夏期に、家が水浸しにならないようにとの工夫だ。材質は主に木材で、屋根は雨漏りのないようしっかり造り込まれている。


 結界とて万能ではなく、雨風を結界だけで防ぐのは大変な労力を術者に強いる。そのため、魔法に頼らない、物理的な構造をしっかりさせておく必要があるのだ。

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