第5話
そんな家々の隙間、中央広場の方から、子供が一人駆けてきた。蹴鞠用の球を手にしている。
「あっ、ジン兄ちゃん!」
「おう」
僕は片手を挙げ、軽く視線を落とした。
愛想を振りまくのは苦手だ。いや、愛想どころか、微笑みを浮かべることさえ困難である。
と言っても、僕はそれを気にしていない。必要性を感じていない、と言ってもいい。
僕の生きる目的は一つ。『神』を殺すことだ。方法は分からない。分からないが、いつか、必ず殺してみせる。
事実、『神』は僕にだけ語りかけ、この短剣を授けたのだ。挑戦である。何の見込みもない人間に、そんなことをするはずがない。
きっと『神』は油断している。人類を侮っている。いや、僕と言う人間を。それが誤りだったのだと、痛みと共に思い知らせてやる。
「わーい、ジン兄ちゃん!」
「ジン兄ちゃん、お帰り!」
「どうしたのジン兄ちゃん、服が真っ赤だよ?」
「うわ、くっせぇ! 生臭い!」
突然、連続して声をかけられ、僕は一瞬戸惑った。が、すぐにまた不愛想な表情を貼り付ける。こんな僕が、どうして子供たちに構われているのか。理由は単純で、彼らが僕を『怪物殺し』の英雄だと思い込んでいるからだ。
もう一つ理由があるとすれば――。
「あーっ! ジン、何やってんのよ! そんな血生臭い格好で子供たちに構っちゃだめだよ!」
「構ってるんじゃない。絡まれてるんだ」
僕は肩を竦め、子供たちの目線を追った。今、彼らの目は僕の頭上、やや高いところに集中している。
「うわーっ! すっげぇ!」
「これ、ジン兄ちゃんが獲ってきたの?」
「そうよ、皆! ちゃんとジンに感謝しなくちゃ駄目だよ」
くっ、ミカの奴、余計なことを……。こんなことを言うから、子供たちが勝手に懐くんだ。
この血塗れの格好だって、敢えて着替えないでいる。子供たちが僕を嫌ってくれると思ったから。それなのに、ミカの言動によって逆効果になってしまう。
やはり英雄というものは、多少は薄汚れていた方がそれらしく見えるらしい。
僕は無造作に皆から目を逸らし、村内共用の井戸の方へ足を向けた。ずんずんと賑やかな場から歩み去っていく。しかし、背後から突然、小さな気配に襲われた。
「ねえねえジン兄ちゃん! その短剣、俺にも触らせてよ!」
「離せ!」
気配の正体は、何のことはないただの子供だった。だが、突然短剣に触れられたのは想定外だった。
その子供は、しばし目をぱちぱちさせていたが、すぐにその目に涙が溢れ出した。
「うわ、うわあああああん! 怒られた~!」
「ちょ、ちょっとジン! あんた何やってんの!」
すぐにミカが飛んでくる。僕に向かい合い、子供のそばに立って上半身を折る。
「ごめんごめん、今、ジンお兄ちゃんは疲れてるみたいなの。だから思わず大きな声を上げちゃっただけなの。怒ってるわけじゃないのよ、ね?」
その時、僕は思わずドキリとした。ミカの鎖骨が襟元から見えていたのだ。その下のささやかな膨らみも、際どいところまで見えかけている。
僕は慌てて背を向けて、今度こそ引き留められることなく、井戸へと向かった。
※
血塗れになった上着を洗い、これまた共用のワイヤーに引っ掛ける。明日は晴れだという長老のお告げがあったので、すぐに乾くだろう。
僕は上半身は肌着一枚、下半身は肌着と脚絆という格好で、我が家へと戻った。
「只今帰りました、おじさん」
僕の視線の先にいたのは、ミカの父親である。
「おう、ジンか。今日も大手柄だったそうじゃないか。ありがとうよ」
「いえ」
ここでも僕は、会話を短く打ち切る。そんな僕の態度に慣れているのだろう、おじさんは軽く微笑みを浮かべて、料理用の鍋に顔を戻した。
両親を亡くした僕は、あの事件以来、この場所で村が再建されてから、ミカの家で厄介になっている。ゆとりのある平屋建ての木造家屋だ。玄関からすぐの広間が台所兼食堂になっており、その奥にはおじさんの部屋、ミカの部屋が並んでいる。
僕が寝泊まりしているのは、おじさんが管理している隣の共用倉庫だ。
七年前、村と家屋を新しく造る過程で、僕にも部屋が割り当てられる予定だった。おじさんが気を遣ってくれたのだ。
しかし僕は、それを断固固辞した。僕が自室を持ってしまうのが、自分で恐ろしかったのだ。
もしミカの家で三つの個室を設けるとしたら、それはミカ、おじさん、それにおばさんの部屋になっていなくてはおかしい。しかし、おばさんは亡くなっている。
だから僕に部屋を、というのがおじさんの考えではあった。が、僕は未だに思い出すのだ。おばさんの最期の姿、それにメッセージを。
ミカを、お願い――。
そんな頼まれ事をしているのに、自分がこの家族の負担になるわけにはいかない。
今思うに、おばさんは自分よりも僕を生かそうと試みたのではないか。だとしたら、この命はおばさんから受け継いだものである。
言い換えれば、順当におばさんが生きていたら、僕は死んでいたのだ。そんな人間に、どうして自室など与えられようか。
個室など与えられたら、罪悪感に押し潰されてしまう。僕は常々そう思っていた。だから、夜から朝まで、僕は倉庫に引き籠る。番犬役を買って出た節もある。まあ、僕を犬などと表現するのは、僕本人くらいのものだが。
「そうだ、ジン。知っているかい? 今日は飛行船墜落事件の、犠牲者慰霊祭があるそうだ。ちょうど、君が獲って来てくれたアルマジロを皆で食べられる。君も来なさい」
「はい」
また短い返答をする。しかし、今度は肯定の意志表示だ。
慰霊祭というのは、辛いものではある。それこそ、罪悪感という名の悪魔に弄ばれるような、恐怖すら覚える行事だ。
だが、僕は立ち向かわねばならない。弔いができないなんて弱音、亡くなった人たちに聞かせられない。おばさんにも、僕の両親にも。
「おじさん、何か手伝えることはありますか」
「ん? いや、君はゆっくり休んでいてくれ。あんな巨大なアルマジロを狩ってきてくれたんだ。逆に休んでもらわないと申し訳ないよ」
ぐさり、と心の中で音がした。
申し訳ない、という言葉。それは僕がおじさんに伝えるべき言葉だ。僕のせいで、おじさんは人生の伴侶を喪ったのである。その絶望たるや、察するに余りある。
繰り返すが、『僕のせいで』だ。だからこそ、僕はおじさんのことを養父として見ることができない。
いたたまれなくなった僕は、村内を適当にぶらつくことにした。そこで思い出したのは、頬の傷である。
僕は治癒魔法に秀でた知り合いの魔法使いの下へと赴いた。軽い処置をしてもらう。時間はさほどかからなかったはずだが、再び外に出ると一気に日が傾いていた。
橙色に染まる木々。僕にはそれが、まるで返り血を浴びているように見えた。背筋に嫌な汗が流れたように感じる。きっとそれは、気のせいではないだろう。
※
それは、祭りというにはあまりにも静かで、厳かで、それでいて感情的なものだった。
中央広場のさらに中心では大きな火が焚かれ、火の粉が満天の空に彩を加えている。
この祭りのどこが感情的なのか、と問われると、なかなか説明が難しい。しかし、この場にいる人々、七年前の事件の生存者たちは、全員が大切な人を亡くしている。そう、一人残らず全員が、だ。
家族、恋人、友人など、立場は様々だ。それでも、あまりにも多くの人命が喪われたのは紛れもない事実である。
僕もまた、炎を囲む円陣に加わり、両親のことを思い返した。無論、それはそう簡単なことではない。記憶の中の両親が笑っていればいるほど、その笑顔が永久に失われたのだという虚無感、悲壮感が胸に染み込んでくる。
しばしの沈黙の後、長老がゆっくりと、しかししっかりとした足取りで、供物を捧げた。アルマジロの生の肉片である。
僕がアルマジロを仕留めてきたのは、いい意味で予想外だったらしい。こうも適切な時期に、適切な供物を用意できたものだと、皆が褒めそやしてくれた。
だが、僕は前を向いていかなければならない。『神』を殺すには、きっとまだまだ実力不足だ。
僕は音を立てずに、ゆっくりと短剣を革袋から抜いた。
父さん、母さん、見ていてくれ。二人の、いや、亡くなった皆の無念は、僕が晴らしてやる。『神』の首を討ち取って。
たとえ刺し違えても構わない。それで、生存者であるミカやおじさんが平和に暮らしていけるなら。
僕は周囲に気づかれないよう、あぐらをかいた姿勢で地面に短剣を突き立て、刀身に反射する炎の輝きにしばし見入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます