第33話

 いや、叩きつけられたのではない。思いっきり引き寄せられたのだ。まるで、強力な磁石に引きつけられるように。

 しかし、衝撃音はしなかった。サントがぶつかったように見えた壁面は、ちょうど彼女の背中を受け止めていたのだ。まるで十字架のように、両腕を肩の高さにまで上げた姿勢で、サントは壁に固定された。


「サント、大丈夫か!」


 僕が叫ぶと、サントの声がした。しかし、返答ではない。また、彼女の口から発せられたものでもない。サントと同じ声をした『何か』が発する音声だ。


《『ベテルギウス・コア』、接続完了。『ベテルギウスの弓』、発進シークエンスを開始する》

「誰だ? どこにいる?」


 長剣を抜いて、あたりを見回す。しかし、何者かの声はあちこちから響いて来て、その正体は掴めない。

 サントを見遣ると、その目はカッと見開かれ、澄んだ水色の光を発していた。直後、同じく水色の光が、彼女の背後の壁に走った。ブロックを縦横に接着させて建築された構造物のようだ。その隙間を縫うように、走っていく閃光。


「ねえサント、どうしちゃったの?」


 ミカがサントに歩み寄ろうとした、その時。

 突如、どこからともなく暴風が生まれ、ミカを突き飛ばした。


「ミカっ!」


 どうにか彼女の背中を受け止める。するとタケオが、僕たちを突き飛ばすようにして押し倒した。ヴィンクはヴィンクで、既に伏せている。


「タケオ、分かるのか? 今何が起こっているのか」

「ああ、取り敢えず、しばらく頭を上げるな!」


 すると、暴風は発生した時同様、すぐに収まった。


「ベテルギウス・コア……。俺たちがサントと呼んでいたAIから説明がある。それに従って動くんだ」

「な、何なの、その『エー・アイ』って?」

「見てれば分かるよ、ミカ」


 そういって立ち上がるタケオ。


「ジン、ミカ、それにヴィンク! 少し頭痛がするだろうが、耐えてくれ! 今から皆の頭に入ってくるのが『神』の正体だ!」


 すると、サントが片腕を壁から離した。そしてその腕を、さっと水平に振りかざす。

 その直後、凄まじい頭痛が僕たちを襲った。


 自分がどんな声を上げていたのか、よく分からないほどの激痛。だが、その中で様々な言葉や概念が、自分の脳裏に刻まれていくのを感じる。


 端的にまとめると、『神』の正体は、一千年前に建造された地上攻撃型人工衛星というものらしい。

 それに搭載されていた人工知能、AIが暴走し、人類に対し様々な攻撃を仕掛けてきた。核ミサイルの雨だったり、果てなく続く地割れだったり、ビルディングを飲み込むほどの大津波だったり。


 そして、『ベテルギウスの弓』というのは、その『神』、もとい人工衛星へと向かうためのスペースプレーンという乗り物のこと。それを使って、宇宙に浮かぶ人工衛星に到達してから、人工衛星を破壊する。人工衛星の破壊には、どうしてもこの長剣、『ベテルギウスの矢』が必要というわけだ。


「皆、大丈夫か?」

「ああ、僕は大丈夫……。ミカ、ヴィンク、無事かい?」

「う、うん」

「ったく何だってんだ、今のは? なあタケオ、今のが一千年前の、文明社会で起こったことなのか?」

「そうだ」


 タケオは腕を組み、神妙な面持ちでそう答えた。


「つまり、この長剣だったらその人工衛星を破壊できるんだね?」

「いや待て、ジン。事はそう簡単じゃない。今の頭痛で、この地球という星の仕組みは分かっただろう?」


 僕はおずおずと頷いた。何か問題があるのだろうか? 


「地球の地面から離れたところに、人工衛星は浮いている。それは跳躍して届く距離じゃないし、まともに呼吸ができる場所でもない。真空の宇宙空間なんだ」

「じゃあ、あたしたちが向かっても、スペースプレーンの外には出られない、ってこと?」

「その通りだ、ミカ」


 今度は僕も腕を組んだ。人工衛星には、本体であるAIを搭載したユニットとは別に、太陽光パネルが付いている。恐らく、それが邪魔になって、本体との接触は難しいだろう。スペースプレーンに乗ったままであれば、だが。


 タケオは顎に手を遣り、説明を続けた。


「俺の記憶が正しければ、このモデルのスペースプレーンには船外活動用の機器は装備されていない。となると、取りうる手段は一つ。それは――」

「僕が長剣を使い、衛星に近づく。そして、船と衛星との間をミカの結界魔法で守ってもらう」


 僕がタケオの言葉を引き取ると、ミカが目を見開いた。


「あ、あたしが、いえ、あたしの魔法でジンを真空から守る、ってこと?」

「そういうことだな」


 タケオは僕とミカを交互に見ながら言った。

 しかし、ミカは不安げにそわそわしている。


「でも、もしあたしが失敗したら――」

「そう気張るんじゃねえよ、お嬢さん」


 やれやれとかぶりを振りながら、ヴィンクがミカの肩を叩いた。

 

「惚れた男のために、そのくらいできなくてどうするんだ?」

「なっ!」

「ぶふっ!」


 息を飲んだのがミカ。噴き出したのが僕。


「大体ジン、てめえだって悪いんだぞ? 想いは伝えておけって言ったのに」

「そ、それは……」


 飛行船で、ヴィンクと朝日を眺めていた時のことを思い出す。ヴィンクは僕がミカに好意を抱いているとあからさまに公言するのを聞いて、狼狽えていた。

 しかし、今度はそのミカ本人がそばにいるのだ。流石に僕だって慌ててしまう。

 何も、人の恋路を暴露することはないだろうに。


「まあ、サントがここの管制システムに取り掛かっている以上、魔法を使えるのはあんただけだ、ミカ。好きでも嫌いでも構わねえが、ジンを助けてやってくれねえか。この男は、あたいの想い人の仇を討ってくれた恩人なんだ。頼む」


 すると、思いがけないことが起こった。ヴィンクがミカに、頭を下げたのだ。


「ちょっ、ヴィンク、さん?」


 あたふたするミカを前に、ヴィンクは顔を上げ、真剣な眼差しをくれた。


「お前になら、いや、二人にならできるさ。タケオ、あたいらはどうする?」

「スペースプレーンの発進は、サントと接続したスーパーコンピュータがやってくれる。俺たちは見守るしかない」

「だよなあ」


 そう言って、ヴィンクはつまらなそうに腰を下ろし、あぐらをかいて掌に顎を載せた。

 ちょうどその時、再びサントの機械音声が響いた。


《『ベテルギウスの弓』、発進シークエンス進行中、フェーズ2へ移行。搭乗員は、二十分以内に着席を完了してください》


「ほら、お呼びだぞ、お二人さん」


 タケオに背を押され、僕とミカは建物の深部へと歩み入った。


         ※


 そこから長くて幅の広い廊下を闊歩し、いくつもの壁にぶつかった。しかし、それは壁に『見えただけ』で、実際は左右に分かれて人が通れるだけの隙間を造る仕組みだった。いわゆる、スライドドアというやつか。


 道順に従って歩いていくと、唐突に夕日が目に差し込んできた。構造物の外に出たのだ。


「んっ……」


 どちらからともなく、僕たちは短い呻き声を漏らす。手で日を遮って目の前を見ると、そこには巨大な鯨のような影が、じっと横たわっていた。


「これが、『ベテルギウスの弓』……」


 ミカの呟きに頷き、僕はゆっくりと、逆光に照らされたスペースプレーンに近づいた。


《発進五分前。搭乗員は、総員着席し、身体を座席に固定してください》


 その声に応じるように、スペースプレーンの脇腹が展開した。スライドドアになっている。レールに載せられたスペースプレーンからは、ご丁寧にタラップが降りてきた。


「乗るしかなさそうだな、ミカ」


 無言でスライドドアを見つめるミカ。


「怖いか?」

「う、うん、少しだけ」


 いや、嘘だ。ミカは相当びびっている。

 敵性動物の狩りで僕を援護してきた経験があるのだから、確かに心はタフかもしれない。

 だが、今目の前にあるのは、見たことのない金属の塊である。加えて、それが宇宙にまで届く乗り物だというのだ。怖がらない方がどうかしている。


「行くぞ、ミカ」


 僕はそっと、ミカの手を取った。お互い掌が汗ばんでしまっている。が、その方が自然というものだろう。僕たちは機械とは違い、感情の発露と身体の反応を無意識に行ってしまうのだから。


 タラップを上り終えると、再びサントの声が響いた。この先が、発進時の乗員室だという。

 スライドドアを抜けると、狭い空間に四つの座席が用意されていた。


《搭乗二分前。乗員はただちに着席し、身体を固定してください》


 これがシートベルトか。そう納得しながら、右肩から左脇腹を固定する。軽く締めつけられる感じだ。


「ねえ、ジン」

「どうした?」

「あの……。手、繋いでくれないかな」


 ミカの突然の申し出に、僕は一瞬、驚きで目を見開いた。しかし、返答は決まっている。


「いいよ。宇宙に着くまで、離すんじゃないぞ」


 ミカは顔を赤らめ、大きく頷いた。

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