第32話

「くそっ! このおんぼろヘルメットめ……」


 悪態をつきながら、ユウジは兜を脱ぎ捨てた。かつてタケオが、兜に搭載された双眼鏡のような器具を使っていたことを思い出す。そうか。自動小銃の爆発で、兜を司る部分が損傷したのだ。


 その隙を逃すほど、僕はお人よしじゃない。今最も無防備なのは、何と言ってもユウジの頭部だ。僕は彼の首を刎ね飛ばす軌道を視界で描きながら、思いっきり地面を蹴った。

 しかし、次に響いたのは、骨肉の切断される音ではなかった。重い衝撃音だ。


「ふん、これで互いに飛び道具はなしか。いいだろう」

「くっ……」


 ユウジもまた、長剣を装備していた。しかしそれは、僕やタケオのものとは大きく異なる。

 幅があって反りのない、武骨な金属の塊だ。それでも、その刀身には鋭利な光が宿り、凄まじい殺傷力を秘めてることを物語っている。


「でやっ!」

「ふん!」


 力勝負では、必ず負ける。そう思った僕は、相手の剣を弾いて後退を試みた。

 だが、踏み込みが甘かった。相手はすぐさま剣を翻し、僕の足が直前まであったところに大きな裂傷を造ってみせた。間一髪の回避だった。


「少年、お前の剣の俊敏さと、私の剣の頑強さ、どちらが上かな」


 剣を正眼に構えるユウジ。これでは勝てない。

 幸い、僕の長剣の方は刃こぼれ一つ起こしていないが、鍔迫り合いでは絶対に不利だ。


「では、こちらから行くぞ」


 静かながら覇気に満ちた声で、ユウジは言った。広い歩幅で、ぐんぐん距離を詰めてくる。

 僕は自分に、冷静になるよう呼びかけた。相手は身体の右側に剣を引きつけ、突進中。このまま何もしなければ、僕の身体は左下から右上にかけて、ばっさりと斬り捨てられるだろう。だったら……!


 僕はわざと転ぶような挙動で、自分の身体を相手の左側に丸め込んだ。振り上げられる剣を何とかしのぎ、振り返る。そこには、今の戦闘で装甲板の剥がれた場所がある。


「ふっ!」


 僕は肘打ちの要領で、相手の無防備な脇腹に長剣の柄を叩き込んだ。ぐっ、という短い呻き声。僅かに傾くユウジの身体。こちらに傾いた左側頭部を、再び柄を使って殴打する。さらに体勢を崩し、向こう側に横倒しになるユウジ。


「覚悟ッ!」


 僕は今度こそ踏み込んで、斜め下方向に長剣を振るった。

 しかし、気づいた時には長剣は回避されていた。ユウジは僕と同じように、わざと抵抗なく倒れ込んだのだ。

 僕の斬撃は、彼の首を刎ねるには一瞬遅かった。


 そして、その意外な展開が僕を油断へと導いた。

 ユウジは剣を地面に突き立て、そこを支えにして軽く跳躍。身体を真横にして、蹴りを繰り出した。装甲板にくるまれた爪先が、僕の腹部にめり込む。


「がはっ!」


 留めるまでもなく、胃液が口から溢れ出た。続けざまに繰り出された回し蹴りは、見事に僕の左頬を直撃し、勢いよく僕をふっ飛ばした。


 カツン、と澄んだ音がする。コンクリートの地面に長剣が当たって、仰向けに倒れ伏した僕の手の届かないところまで滑っていく。


 敵から目を逸らすな。そう念じながら、僕は首を上げる。すると、凄まじい速度でユウジが跳躍し、距離を詰めてきた。その手には、超重量級の剣が、真下に向けて握りしめられている。


 ああ、ここまでか。僕はあの剣で胴体を二分され、間もなく息絶えるだろう。

 しかし、この目は逸らすまい。僕にも、死ぬなら死ぬで守りたいプライドがある。意地と言ってもいい。


 躱しきれないと悟りながらも、身体を回転させる。

 その時だった。まさか、ここで『これ』を手にすることになるとは。今度は胸の中で『覚悟!』と叫びながら、僕は手にした『それ』を突き出した。


 短剣だ。先ほど外しておいた長剣の鞘。そこから咄嗟に引っ張り抜き、がむしゃらに眼前に突き立てたのである。

 相手が剣を腰だめにしていたために、僕の短剣が到達する方が僅かに早かった。


 それは、相手の左胸に深々と突き刺さった。こんな重装甲を纏いながら、あんなに素早く動き回ったのだ。装甲板に隙間ができてもおかしくはない。


 ユウジは目を見開き、短剣が刺されたままの状態で横転。肺を損傷したらしく、苦し気に咳き込み出した。吐血し出すまでに、そう長い時間はかからなかった。


「ぐほっ! がはっ! が、ぐふっ……」


 僕はよろよろと立ち上がり、ユウジに近づいた。あの短剣の一撃が、彼から一切の戦闘力とその意欲を奪ってしまったのは明らかだ。

 近づいたはいいものの、どうすべきか迷った。馬鹿みたいだが、本当にどうしたらいいか、いや、どうしてやったらユウジの苦痛を軽減してやれるか、それを考えていたのだ。


 介錯してやればいいのか? いや、今の僕にはそれを行う余力がない。だったら。


「サント、ユウジが死にかけてる。助けてやってくれないか」


 その言葉に、タケオとヴィンクは唖然とし、ミカは痛々し気に目を細めた。しかし肝心のサントはと言えば、


「無理じゃな」


 と僕の提案を一蹴。ユウジの傷が、あまりに致命的過ぎたということだ。確かに、ミカの身体に毒が回った時も、サントは治癒させることができなかった。

 今の僕には、遺言を聞いてやるくらいしかできないようだ。


「……少年」

「はい」

「あの長剣で私を殺さず、咄嗟に短剣を持ち出した発想、見事だ」


 僕は言うべき言葉が見つからず、ふるふるとかぶりを振った。


「だが……けほっ、『神』を止めるには、必ずあの長剣が必要になる。だから」


 そこまで言って、ユウジは一際酷く吐血した。


「だから……肌身離さず……。わ、私は、君に未来をたく……託す……。一千年前には、創れなかった、平和な世界、を、後世に……」


 そこまで言ったところで、ユウジの目からゆっくりと生気が失われていった。


         ※


「はあっ!」


 大きく息をついた。

 ユウジの最期を看取った直後、僕は一気に全身の力が抜けた。今度はうつ伏せに、コンクリートの地面に横たわる。


「ジン! ジンっ!」


 ミカが駆け寄ってくる。


「ねえジン、大丈夫なの?」

「あ、ああ、掠り傷だよ……いてっ!」


 蹴りつけられた左頬をミカに触れられ、僕は思わずびくりとした。だいぶ腫れているようだ。


「うむ、確かに掠り傷じゃな。これなら我輩の治癒魔法で何とかできよう」

「あっ、そ、その前に」


 僕は両腕をついて膝立ちになり、顔をユウジの亡骸に向けた。


「どうやって埋葬してやったらいいかな、こいつ」

「はあ? てめえ、何抜かしてるんだ?」


 ヴィンクがずけずけと近づいてくる。


「こいつぁお前を殺そうとしてたんだぞ! そんな奴を弔う義理はねえ!」


 タケオに目を遣ると、苦虫を噛み潰したような顔でユウジを見ていた。


「長谷川一佐は――ユウジは、陸自の所属だったが海が好きだったんだ。非番の時は、よく釣りに連れられていった。よかったら、海に沈めてやってくれないか」

「おいおいカッチュウ、いや、タケオ、お前まで何言ってんだよ? あんなの、殺人機械みてぇなもんじゃねえか! 同じ甲冑姿でも、おめえとは違う。自分の言ったことを忘れたのかよ?」


 確かにタケオは言った。『ユウジはオルコウ以上の化け物だ』と。だが、それは彼と僕らが出会った時の話だ。あの安らかな死に顔を見るに、僕には彼を怪物呼ばわりすることはできなかった。


「ヴィンク、ここは戦った僕に免じて、ユウジを許してやってくれないか。水葬で弔ってやるんだ。彼だって、『神』を倒したいという願いは一緒だったんだから」


 ヴィンクはかぶりを振りながら、ふっと背を向けた。


「けっ、勝手にしやがれ、馬鹿共」


 僕はふう、と息をついて、ミカ、タケオ、サントの三人の顔を見回した。


「甲冑はかなりの重量があるはずだ。埠頭まで運ぶのを手伝ってほしい」

「では、我輩が魔法で運ぼう。行くぞ、皆」

「あ、ちょっと待って」


 ミカがサントを止めた。小走りでユウジに近づく。

 するとミカは、ゆっくりとそこにしゃがみ込み、彼の瞼を閉じてやった。それから、そっと手の指を組み合わせてやる。


「いいよ、サント。あたしたちができることは、精々このくらいだから」


 こうして、僕たち四人は人工の浜辺へと歩んでいった。ユウジの遺体は、泡状の結界で浮かび上がっている。そんな一団の後を、ヴィンクが渋々ついて来る。獅子化を解いたケリーが、彼女の足元にまとわりつくように、のそのそと歩いていた。


         ※


「いてっ」

「弱音を吐くでない、ジン! お主も男子じゃろう!」

「あ、ああ、もう痛くないよ」


 別に弱音ではないと思うのだが、僕は素直に頷いた。

 サントの治癒魔法で、僕の全身にできた小さな裂傷や打撲の痕は、綺麗になくなった。ミカがやたらと心配そうな顔をしていたので、これで彼女を安心させられたのは、素直によかったと思う。


 僕たちは、ユウジの遺体を海に流し、島の深部にある構造物の下へと辿り着いていた。屋内は真っ暗である。

 サントが掌に小さな、明るい光球を浮かべ、先頭を歩いていく。

 その時だった。見えない力で、彼女が壁に叩きつけられたのは。

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