第34話
※
ずずん、とゆっくり揺れたのは、エンジン点火の衝撃だったらしい。衝撃と言っても、特に緊張を強いられるほどではない。
このスペースプレーンは、乗り心地に関して相当配慮されているようだ。シートの背部は、打ち上げに伴う衝撃を見事に吸収した。僕たちに圧迫感はなく、僅かな閉塞感を覚えるだけ。
そのまま成層圏を抜けた僕たちは、真っ暗な空間に投げ出された。
「ミカ、大丈夫?」
「う、うん。でも、電気が消えちゃったのは……」
しかし、ミカの危惧はすぐに解決した。穏やかな温かい光が、スペースプレーンを丸ごと包み込んだのだ。
「太陽だ……」
僕は呟く。遮光性能のある丸窓越しにでも、この星に生命をもたらした光と熱は感じられた。しかし逆に、それはこの宇宙に、僕とミカしかいなくなってしまったと錯覚させるものでもあった。不思議な矛盾だけれど。
僕はミカと同じ方向を見つめながら、ぎゅっとその手を握りしめた。
その時、逆光に影を作る物体が目に入った。
「あれが『神』、か」
浮遊魔法で浮かばされているかのように、巨大なシャボン玉に包まれている胎児。黒いシルエットになって、視界の中央にある。しかしそれは、偽りの姿だった。
ヴン、という衝撃波と共に、胎児の姿が霞んだ。ブレた、といってもいい。ジリジリという音と共に、その身体は端から消え去っていく。
間もなく、胎児は完全に視界から消え去った。しかし、代わりにシャボン玉の中央に残ったものがある。立方体に、一対の四角い羽が生えた形の人工物。
羽は恐らく、太陽光パネルだろう。
《『ベテルギウスの弓』、衛星軌道上に到達。目標との接触まで、残り六百秒》
その音声が聞こえた直後、『神』もとい人工衛星を覆っていたシャボン玉が消えた。
《船外活動準備よし。ハッチ開放まで三十秒》
「ミカ、僕に結界魔法を」
「う、うん」
慌てて手を離すミカ。僕を送り出す覚悟はできているらしい。それでも、僅かに彼女の瞳が滲むのを、僕は見逃さなかった。
「すぐに戻るよ」
そう言って、すっとミカの頬に触れた。しかし、それも一瞬のこと。ミカは僕のその手を取って、自分の両手で握り込んだ。
「必ずだよ?」
「ああ」
「それじゃ……」
今度は僕が、泡状の結界に包まれた。『EXIT』の文字が書かれたスライドドアに向かう。その向こうにはもう一枚のドアがある。きっと、このドアの間の空間が、気圧調整に使われるのだろう。
僕はすーっ、と息を吸い込み、外壁にあたるドアを睨みつけた。
ぷかぷかと、身体が浮かぶ。船内には人工重力が発生していたので、無重力を経験するのはこれが初めてだ。しかし無重力とはいえ、何の力も働かなかったわけではない。
「引き寄せられているな……」
人工衛星に、僕は近づいていく。これから『神』とご対面だ。
何故そう察せられたかといえば、頭の中の感覚が似ていたからだ。七年前、短剣を授けられた時と。
あの時、僕は確かに『神』の声を聞いた。その正体がAIであれ何であれ、僕に挑戦権を与えた者の気配は、そうそう忘れられるものではない。
もしかしたら、僕の気持ちや考えも読まれてしまっているのではないだろうか? いや、待てよ。その『気持ちや考え』とは一体何だ? 『神』を前にして、僕は何をしようとしている?
気づいた時には、僕の身体は人工衛星のハッチに密着していた。
(こちらは準備完了だよ。この七年間、僕は君を待っていた)
唐突に脳内に響いた声。しかし、僕には特に驚きはなかった。
「そうか。七年振り、というわけだな?」
(そう。君が予想していた通り、僕こそが、君たちが『神』と呼んでいた存在だ)
『久しぶりだね』――その言葉と共に、ハッチが開いた。
※
ハッチが開いた瞬間、僕の身体はするり、と引っ張り込まれた。しかしそこに暴力的な気配はない。どうやら僕は、『神』に丁重に招かれているらしい。
真っ暗な視界の中、ふと、足の裏が何かに触れた。ひんやりとした床面だ。ここにも人工重力が発生している様子。僕は足の裏を滑らせるようにして、ゆっくりと移動した。
「おい、どこにいるんだ? こっちからは何も見えないが」
(ああ、すまない。今そちらに行くよ)
すると、目の前にぼんやりとした白い光が現れた。それはしばらく、球形になったり、凹凸を作ったりしていた。それも落ち着き、段々と人間らしき姿になっていく。
やがてそこに現れたのは、かつてタケオが所属していた自衛隊という組織の制服姿の少年だった。
(こんな格好でどうかな? 僕が監視していた人間たちは、大抵こんな格好をしていたんだ)
「にしては、お前自身が若すぎるんじゃないか?」
(それは言いっこなしだよ、ジン。君だって、十五歳だとは信じられない。あれだけの試練を乗り越えてきたんだからね)
「お褒めに預かり光栄だ。でも、まだ僕の使命は終わっていない。『神』、いや、AI、僕はあんたを止めなきゃならない。それもできるだけ平和的な方法で、だ」
(ほう?)
AIが両眉を上げた。整った顔立ちにおいて、その表情は実に滑稽だ。これが人工知能? 生身の人間と大差ないではないか?
(これは意外だね。君の口から『平和的』という言葉が出てくるとは)
「ああ。僕には自覚があるんだ。僕は、あまりにも血を浴び過ぎた。AI、一つ訊く。あんたはずっと、僕たちを監視していたのか?」
(君たちご一行だけではないけれど、まあね)
「だったら分かるはずだ。最後の……タケオの上官だったユウジとの戦いがどんなものであったか」
(そうだね。あの戦いは僕も観戦していた。あの戦いで、僕に伝えたいことがあったのかい?)
僕はふっと息をつき、『戦い始める前だよ』と言って語り出した。
「僕は、ようやく気づいたんだ。人間にお前を倒すことはできない。でも、和睦を申し出ることはできる。それに必要なのは、ユウジの胸中にあった『憎しみ』では駄目なんだ」
(では、一体何が心にあればいいと言うんだい?)
「誰かを大切に想う気持ちだ」
AIは、今度は両目を見開いた。
「愛情とか存在意義とか、そんな難しいこと、僕には分からない。でも、僕は幼馴染の――ミカの存在に支えられて、今日まで生きてきたし、戦ってこられた。そこから学んだんだよ。温かい気持ちは憎しみを超えて、人を助けることができる、ってね」
(でもさ、ジン。そうしたら、『神』を殺す、すなわち僕を破壊するという目的と矛盾してしまうんじゃないかい?)
「いや、そうはならない」
僕は毅然と、相手の目を見返した。
「僕は、あんたを壊さない」
(そ、そんな!)
AI、否、AIと僕を繋ぐホログラムの少年は、ずいっと一歩、僕に歩み寄った。
(それじゃあ、君の亡くなったご両親は浮かばれないぞ?)
「いや。僕はあんたに、悔しい思いをさせることができたんだ、これで」
(何を言っているんだ?)
「AI、お前は人間の憎しみというものに興味があったんだろう? だから七年前、僕の頭に声を響かせ、短剣を授けた。僕が負の感情に囚われて、どんな冒険を繰り広げるか。そしてお前を前にしてどんな言動を取るのか。気になって仕方がなかったんだろう?」
今度は、AIはゆっくりと後退した。足の裏を滑らせ、じりじりと。
「だが皮肉にも、僕は気づいた。他人への想いは、憎しみを超えると。だからこうして、今僕はお前と話をしている。こんな僕がお前の期待に沿えなかったというのなら、ここで僕を煮るなり焼くなり、好きにすればいい」
僕の心は、信じられないほど凪いでいた。七年前からは、いや、この旅に出る前からは、想像できなかったほどに。
一気呵成に話してしまったが、脳内では、実に静かに言葉が紡がれていた。何を話すべきか、考えてもいなかったのに、これだけの言葉が出てくる。我ながら驚きだ。
しかし、僕以上に驚いていたのは、何と言ってもAIだ。ホログラムが霞み、歪むほどの衝撃を受けている。
しばしの沈黙の後、AIが口を開いた。
(まさか、人間がここまでの心理的境地に至ることができるとはね……)
「不満か?」
(いや、とにかく驚いている。そう、だな……。君になら、僕を破壊せずとも、機能停止に陥らせる権利はあるようだ)
「機能停止?」
どういう意味だ?
(こちらに来てくれ)
僕はゆっくりと、AIと並んで立った。そこには、大きな鍵穴のようなものがある。
「これは……」
僕が呟くと、背中でカタカタと音がした。長剣が、何らかの力に反応しているのだ。
(剣を抜いてみるといい)
促されるままに、僕は長剣を抜き、正眼に構えた。すると、剣が真っ赤に輝き、そして思いがけないことが起こった。
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