第26話


         ※


 ゴーレムを倒したのには、きちんと意味があった。ヴィンクに復讐を遂げさせる以外にも。

 ヴィンクの有する飛行船、パール・クラフトは、ゴーレムの出現場所からほど近い、もう一つの空き地にあった。もし不用意に離陸していたら、ゴーレムに気づかれて襲われていたかもしれない。

 しかし、僕たちが到着した時にはまだバルーンが萎んでいて、とても出航準備が整っているようには見えなかった。


「なあサント、あんたを高名な魔女と見込んでの話だけどよ」

「ヘリウムガスを注入してやればいいんじゃろ? 造作もないわ」


 ヴィンクは誰の目も憚らずにガッツポーズを取った。

 実際に、ガスの注入はものの数十秒で完了。タラップを上った僕たちは、狭い船室にぎゅう詰めになりながら、サントが離陸の手助けをする様子を見つめていた。

 狭いと言っても、ミカ一人のために別な部屋を設けてくれたのは、ヴィンクなりの気配りなのだろう。


 壁に背を当ててしゃがみ込み、自動小銃を抱えながら寝息を立てるカッチュウ。サントは『風の流れを調整して、飛行船の速度を上げる』と言って、少し前に出て行った。

 ちょっとは手足を伸ばせるくらいのスペースが確保できたわけだ。


 だが、それも長くは続かなかった。僕が背伸びと屈伸運動で身体の凝りをほぐしていると、唐突に光が差し込んできたのだ。朝日だ。それも、久々に目にする見事な朝焼けである。


「んっ……」


 ふと、外の空気を吸いたくなって、僕は客室を出た。すると、


「あ、坊やじゃん」

「ヴィンク……」


 思いがけず鉢合わせした。


「眠れないのかい?」

「いや、うん、そうかも」

「あたいもだよ」


 そう言って、ヴィンクは手摺に身体をもたせかけた。僕も手摺を両手で掴み、朝焼けに見入る。少しだけ気を遣って、僕は彼女の左側に回った。ヴィンクは右目を失っているのだから、両目の見える僕が配慮するのは当然に思えた。


 僕はわざと気づかれないようにそうしたつもりだったのだけれど、ヴィンクにはお見通しだったらしい。


「優しいんだねえ、坊や」


 何が、と確認する前に、これははっきり言っておかねば。


「僕はジン。『坊や』なんて名前じゃない」

「こいつぁ失敬」


 左目を動かし、楽し気な色を浮かべるヴィンク。


「ジン、お前はよっぽどあの子に――ミカに熱を上げてるみたいだな」

「熱?」


 何を言ってるんだ? ミカは高熱を出しているのではなく、低体温症のような症状に見舞われているはずだが。


「あれ? 違うのか? てっきりあたいは、あんたがミカのことを好きなんだと思ってたんだけど?」

「うん、好きだよ。誰よりも」


 即答、及び首肯した僕の隣で、ヴィンクは盛大に噴き出した。


「ちょ、ちょっと待てよ、ジン! そういうもんは、もっと慎ましく、恥ずかしそうに言うもんだろう?」

「え?」


 こちらに身体を向けたヴィンクが、盛大にため息をつく。


「お前って変わってんなあ、ジン……」

「そうかな」


 橙色の光が、飛行船を包み込む。海上を飛行中とあって、邪魔なものが一切目に入らない、見事な絶景だった。まだ薬草の植生地帯に着くには時間がかかるようだけれど。


「悪いね、あんたたちに一つ、あたいは嘘をついてる」

「嘘?」


 オウム返しに訊き返すと、ヴィンクは軽く肩を竦めてこう言った。


「ゴーレムに殺されたのは、あたいの恋人なんかじゃない」

「えっ?」

「あたいは、その……。気持ちを伝える勇気がなくてな。結局は、彼はあたいを『狩りの仲間』としてしか見てくれなかった。向こうから言い寄られたこともないし、あたいは恋人でも何でもない。とんだ片思い、完全な空回りさ」


 再び朝日の方に身体を向け、そう語るヴィンク。

 僕は思いついたことを口にした。


「もしヴィンクがその人に思いを伝えていたら、運命は変わったと思う? その男性は亡くならずに済んだ、って?」

「ふ、ははっ」


 ヴィンクは乾いた声で笑った。


「知るかよ、そんなこと。でも、伝えておきたかった、って気持ちはあるな。それで何が変わるか、知ったこっちゃねえけど」

「ふうん……」


 それからしばらく、僕とヴィンクは朝焼けが朝日になり、眼下の海面が光の絨毯になっていくのを、黙って見つめていた。


         ※


 ヴィンクが、島が見えてきたと伝えに来た時、僕はミカの寝かされた部屋にいた。視線の先には、ミカの青白い顔がある。


「おーいジン、いるんだろ? 着陸したら、すぐに薬草を取って出発するぞ」


 最終目的地は、ヴィンクにも伝えてある。『ベテルギウスの弓』のある、小さな島だ。いや、もしかしたらそれは、その『弓』を配置するために造られた人工島なのかもしれない。科学文明の凄まじさは、『文明の里』で体験済みだ。昔の人類が何を造っていても不思議はない。


 しかし、と僕は考える。薬草が手に入ったところで、ミカにすぐ投与してやれるだろうか。制限時間は、サントの読みが正しければ今日の夕方まで。それまでに解毒効果が全身に行き渡らなければ、それだけでミカは命を落とす危険がある。


 その時、僕の心にするり、と冷たいものが滑り込んできた。

 ここまで最善と思われる策を尽くしてきて、もしミカを救うことができなかったとしたら。オルコウのような化け物に、心臓を鷲掴みにされたような気持ちになる。

 しかし、溢れてきた感情は、冷たいものではなかった。灼熱のマグマのようだった。


 冷たい現実と、熱い感情。その板挟みで、頭がおかしくなりそうだ。


「ミカ……」


 それ以上は言葉にならず、僕はそっと、ミカの肩に手を回し、その整った顔を抱き締めた。

 今、君を死の淵から救ってみせる。そのためなら何だってやる。だからあと少しだけ、頑張ってくれ。


 僕は涙をそっと拭って、ミカの寝室をあとにした。


         ※


 扉を開けてタラップの手前まで歩み出た時、僕は一瞬だけ、胸中の不安を忘れた、

 眼下には、七色に輝く光の帯が漂っていたのだ。これも古文書で得た知識だが、『オーロラ』というものに似ている。

 だが、オーロラはもっと北の方で見られる現象だということも知っている。もちろんそれが、地面ではなく空に浮かぶものである、ということも。


「こいつは……凄い眺めだな」


 気づくと、起き出したカッチュウが、兜を取ってそう呟いていた。


「サント、この七色の霧は有害なものなのか?」

「いや、そうではあるまい」


 サントも合流し、物珍し気に、しかし冷静に光の帯を見つめた。


「恐らくは、花粉の一種じゃろう。それが折り重なり、太陽光を乱反射させることで、七色に見えるんじゃ」


 なるほど、と合点しつつ、僕はヴィンクの姿を探した。ああ、そうか。今彼女は、操舵室で着陸地点を探しているのだ。船長としての責務ということか。


 僕はふと、不思議な感覚に囚われた。ミカと手を繋いで、この虹色の絨毯の上を歩きたい。そんな思いだ。今まで血生臭い戦いに、僕と一緒に臨んでくれたミカ。彼女に、もっと美しく、平和な景色を見せてあげたい。


 自覚がある。僕に、これほど誰かのことを大切に想った経験はない。もしかしたら、僕がこの冒険を始め、ここまでやって来られたのは、あらゆる場面で彼女の力添えがあったからかもしれない。

 いや、むしろ――。


 そこまで考えた時のこと。ヴィンクが操舵室から顔を出し、サントを呼んだ。


「着陸が少し荒れそうだ! 魔法で援護してくれ!」

「うむ!」


 足元にまとわりつくケリーと共に、駆けていくサント。やや揺れを伴って、降下していく飛行船のキャビンで、僕は気になったことをカッチュウに尋ねた。


「カッチュウ、記憶は戻った?」

「うむ……。まだ分からん。もう少しで戻るような気がするんだがな。そんな予感がある」


 本人がそういう予感を抱いているのだったら、その通りなのかもしれない。彼の人生にも、僕にとってのミカや、ヴィンクにとっての片思いの相手がいたのだろうか。


「一度部屋に戻るぞ。いきなり花粉の波に突っ込むのは息苦しいからな」


 僕は中途半端に頷いた。が、それからはっと言われたことの意味を理解し、カッチュウに続いた。


         ※


 ズズン、という横揺れを伴って、パール・クラフトは着陸した。


「着陸したぞよ、二人共」


 サントが扉を開けて声をかけてくる。


「敵性動物の気配もない。実に穏やかな島のようじゃのう」

「じゃあ早速、薬草を取りに……」


 無言で頷くサント。僕は腰を上げ、扉に向かう。しかし、


「カッチュウ?」


 カッチュウが、座り込んだまま動かない。どうしたのだろうか。

 もう一度呼ぼうと口を開くと、


「ああ、すまないな、ジン」


 そう小声で呟いて、カッチュウはいつになくのっそりとした挙動で腰を上げた。

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