第27話

 タラップを降りながら空を見上げると、見事な曇天だった。たまにキラリと光る部分はあるが、それも一瞬で翻り、灰色に戻ってしまう。

 この島の上空を覆っている花粉が、雲のように太陽光を遮っている。それは分かる。が、上からの眺めに比べて、下からの眺めはあまりに殺風景だった。光あるところに影あり、といったところか。


 ふと目を下ろすと、ヴィンクが先立って草原を進んでいくところだった。サントも続いている。

 僕は小走りで追いつきながら、ヴィンクに問うた。


「解毒用の薬草、知ってるの?」

「ん? あたいを誰だと思ってるんだ? 薬草を取りに来たのはこれが初めてじゃねえ。『文明の里』の連中に頼まれて、五、六回は来てるな。オルコウの野郎に噛まれた時の解毒に使う草なら、すぐに見つかるぜ」

「心配せずともよい、ジン。我輩が気配を察するに、この島に敵性動物はおらん」


 そう付け加えたサントに、僕は頷いた。

 僕たちが今歩いている草原を作っているのは、一面に広がる小麦の穂のようなものだ。高さは僕の腰ほどまである。


「あれ?」


 僕は周囲を見渡した。カッチュウの姿が見えない。

 気にはなったが、今は薬草の入手が第一だ。


 僕がヴィンクやサントと足並みを揃えた、その時だった。


「止まれ!」


 ヴィンクが小声で、しかし鋭く僕たちを止めた。


「彼が近寄ってくるまで待つんだ」

「か、彼?」


 僕たちが眼前の森林に目を遣っていると、静かな重量感のある音が響き出した。足音だろうか。

 下草を踏みつける音と共に、木々の間から出てきた動物。巨大だ。広く展開した耳に、長い鼻。反り返った牙が目に入り、僕は咄嗟に背後の長剣に手を伸ばした。


 しかし、警戒はすぐ解かれることになった。相手の小さな目には、実に穏やかな光が宿っている。今までの怪物とは全く違う、優しさを感じる。

 ヴィンクはゆっくりとその動物に近寄り、鼻の付け根のあたりを擦り始めた。


「ジン、お前は象を見るのは初めてか?」

「直接見たのは初めて。古文書で読んだだけなんだ」


 小さくても危険な動物とは、何度も戦ってきた。危険で苦しい戦いだった。それが大きな動物ともなれば、尚更のこと。それでも警戒を解いたのは、やはり象の目の輝きによるところが大きい。


 ヴィンクは手を離し、象の前足をぽんぽんと叩いた。


「こいつが案内役だ。この先は、花粉で意識が混濁する可能性があるから、象に従って進むことにする」

「ふむ。それがよかろう。この花粉、どうやら結界魔法をすり抜けるようじゃしな」

「えっ」


 僕は驚いてサントに振り返った。

 

「だ、大丈夫なのか?」

「ヴィンクが大丈夫だと言っておろうに。急がば回れとも言うじゃろ? ここは慌てず騒がず、一歩ずつ進むんじゃ」


 その言葉に引っ張られるようにして、僕たちは象を先頭に、森林へと歩み入った。


         ※


 僕たち三人とケリーは、象の細い尻尾を追って進んでいく。その足取りはしっかりしていたが、細かく曲がりくねっていた。花粉の濃密な吹き溜まりを避けているのだろう。

 森林に入ってからは、視界は再び色とりどりの霧に包まれている。辛うじて前を歩くヴィンクと象の後ろ姿が見えるくらいだ。


 僕は息を止め、花粉を吸い込まないように気をつけた。が、人間そう長く息を止めていられるはずがない。

 深呼吸しそうになって、慌てて吸い込みを緩やかにした。これ以上花粉を吸い込むわけにはいかない。今でさえ、やや四肢の感覚がぼんやりしてきているというのに。


 その時。

 僕は殺気を覚えた。前後左右を見回すが、しかし殺気の発信源が明確でない。

 待てよ。もしかしたら、水平方向からではないのではないか? まさか。


「皆、伏せろ! 『神』の攻撃が来る!」

「何だって?」

「ジン、一体何を?」


 ヴィンクとサントの言葉を無視し、僕は背中から長剣を抜刀。迫りくる『何か』に向かって跳躍した。ほぼ垂直方向に。

 その時の僕の身体は、実に軽々としたものだった。ゴーレムを斬った時と同様だ。

 たった一度の跳躍で、僕は周囲の木々よりも高く、宙に躍り出た。一度巨木の枝に降り立ち、再び跳躍。一気に花粉の層を抜ける。

 そして、肌に感じた。『上方からの』殺気を。


 木々と花粉で見えなかったが、僕たちは山の麓を回り込むようにして歩いていたらしい。そして、その山は極めて急峻であり、『神』はまさにその頂を見下ろしている。


「まさか……!」


 岩雪崩を起こして、僕たちを生き埋めにするつもりか!

 その『まさか』は的中した。かつて僕たちの飛行船を襲った落雷が、山頂を直撃したのだ。


 雷鳴。轟音。落下してくる砂礫の擦過音。

 僕の瞼の裏に、両親の死に顔と、ミカの母親の絶望的な笑みが映る。

 しかし、今度は。今度こそは。


「僕が皆を、守ってみせる!」


 僕は叫びながら、長剣の柄を自分の下へ引きつけた。そして、


「はあああああああっ!」


 上半身を捻るようにして、思いっきり長剣を振るった。その先端からは真っ赤な光が発せられ、見えるよりも遥かに長いリーチを以て、岩雪崩を一瞬で薙ぎ払った。

 この長剣は、凄まじい熱量を有していたらしい。振り払ったはずの砂礫が、煙となって消えてしまったのだ。砂礫を溶かし、その上気化させた。地上への被害はない模様だ。


 僕は深呼吸し、自由落下に身体を任せながら、花粉のベールを通り抜けた。再び巨木の枝に足を着く。その直前、不思議な木々を見つけた。


「ん?」


 再度跳躍し、何事かと確かめる。派手な花を咲かせている木々の集合体の中に、空白があった。いや、何もないわけではない。淡い桃色の花弁が、穏やかに揺れている。

 物珍しさに、僕は再度跳躍し、その木々の内の一本の枝に舞い降りた。


 後は、自力で象たちに合流しなければならない。

 だが、心配は不要だった。枝の上に立ち上がって手を振ると、枝葉の隙間から垣間見えていた象が、思いっきりその長い鼻をもたげた。僕を発見したのだろう。


 それからしばし、僕はその枝の上で待機した。


         ※


「こうも簡単に薬草を見つけるとは、お前も勘がいいな」

「えっ?」


 ヴィンクの言葉に、僕は首を傾げる。


「オルコウに噛まれた患者に効いたのは、その木の枝についてる花なんだ」

「そ、そうなの?」

「ふむ。確かに魔力反応があるのう」


 木の幹に触れながら、サントが告げる。


「この木には悪いが、一本枝を拝借するぞ。ジン、その枝を切り落としてくれ」


 僕は長剣でばさり、と枝を切断し、ひょいっと木から下りた。

 ヴィンクは早速、象の鼻先で枝を検分している。


「間違いない、これがオルコウの毒に対する解毒剤だ」

「どんな風にミカに与えるの?」

「煮詰めてこの花の養分を抽出する。それを飲ませるんだ。ひとまず、枝ごとそいつを運んじまおうぜ」

「なら我輩が浮遊魔法で運んでしまうかの。ご苦労じゃった、ジン」


 僕は無言。これは誰のためでもない、ミカのために行ったことだ。サントの労いの言葉を蔑ろにするわけではないが、礼を言われる筋合いでもない。


 僕たちが目的を達したことを察したのか、象は振り返り、今来た道を後戻りし始めた。帰りまで誘導してくれるとは。

 しかしそれよりも、僕は早くミカに薬を与えてやりたかった。もしこれで、本当に彼女が目を覚ましてくれるなら。いや、覚ましてくれるに違いないのだ。

 そう自分に言い聞かせ、僕は象について行った。


         ※


「ミカ、戻ったぞ!」

「おいジン、まだミカの意識は戻ってねえぞ」


 ヴィンクの言葉を無視して、僕は森林を出て曇天の空の元に出た。しかし、僕の注意を惹いたのは、ミカではなかった。


「カ、カッチュウ?」


 カッチュウは片膝を地面につき、何かに見入っている。


「どうしたんだ、カッチュウ」


 ヴィンクの問いかけにも応じず、一心不乱に足元をじっと見つめている。

 僕がそちらを見遣ると、黄色い花が群生していた。カッチュウは兜を脱ぎ、右手を覆う装甲板を外して、そっとその花に手を伸ばした。

 するとすぐに、カッチュウの指先に赤い球体が浮かんだ。血だ。


「だ、大丈夫か⁉」


 それでもカッチュウは無言である。いや、正確には、何かを口にした。それが声にならず、口の動きだけで判断するしかなかったというだけで。


『お父さん、か』――カッチュウは確かに、そう言ったかに見えた。


「カッチュウ、火を起こしてくれんか? 魔法とて万能ではないのでな」


 サントの声に、カッチュウは『ああ』と応じたものの、心ここにあらず、といった風だった。

 カッチュウは、『お父さん』という言葉を口にしていた。自分の父親のことを想ってのことだろうか? いや、察するに自分が『お父さん』と呼ばれていた可能性の方が高い。


 上の空で木の枝を手にしたカッチュウに、僕は問うてみた。


「何か思い出したのか、カッチュウ?」


 するとカッチュウは、『父の日だ』と一言呟き、今度は木の枝をまじまじと見つめた。

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