第25話

 大きく横っ飛びし、転がるようにして突進を回避。しかし、先ほどと同じ手は通用しなかった。僕の横転した方に、ゴーレムが跳躍したのだ。


「はッ!」


 僕は目を丸くした。ゴーレムは、予想を遥かに上回る運動性能を有している。ちょこまかと動き回る僕たちを観察し、機動性を活かす戦い方に切り替えたらしい。

 地面が容赦なく縦揺れを起こし、僕の身体も跳ね飛ばされる。気づいた時には、先ほどとは比較にならない高度まで舞い上がっていた。


「くっ!」


 受け身を取れるか? いや、取らなければならない。さもなければ、ここで死ぬ。

 僕は身を捻り、地面を見下ろした。ゴーレムから目を離す。そして、それが決定的な隙を生むことになった。


 身体が、予想外の方向に弾き飛ばされたのだ。と同時に、両足に激痛が走った。

 言葉にならない呻き声が、喉から発せられた。何とか視界に映るものを理解しようと試みる。


 空中から見下ろしたところでは、ゴーレムが前のめりに転倒しかけていた。皆は僕と同じことを考えていたらしく、カッチュウは榴弾で、ケリーは牙で、それぞれゴーレムの膝の裏に攻撃を加えていた。

 ゴーレムは後転しそうになったところを、バランスを取ろうとして前のめりになったらしい。


 では、ゴーレムは何をしようとしていたのか。その振りかざした腕を見て、僕は血の気が引いた。

 あの拳の軌道を見るに、どうやら僕を殴りつけるつもりだったらしい。そしてそれは、半分は成功した。現に、僕の足は自分でもどうなっているのか分からない。激痛は失せて、既に麻痺してしまっているのだ。


 そのまま僕は、そばの森林に斜め上方から突っ込んだ。腕で頭を守りながら、落下に対して耐衝撃姿勢を取る。

 木々の枝葉に包み込まれ、落下速度が落ちるものの、腕には大きな衝撃が走った。


「がはあっ!」


 地面に叩きつけられた時、鮮血が飛び散るのが分かった。

 はっきりと目視できたわけではない。ただ、痛みと筋肉の裂ける感覚からそう思った。

 血の臭いがする。これでは、敵性動物の格好の獲物だ。短剣の柄を握る手から、力が抜けそうになる。


 今まで、何度も窮地に陥ってきた。だがそれは、僕自身の負傷によるものではなかった。ただの外部の状況だったのだ。


 しかし、今は違う。僕自身が、力を失くし、希望を取り落とし、血と泥に塗れて死にかけている。もう、駄目かもしれない。

 

 僕は、ミカと一緒に死ぬのだろうか? 共にあの世にでも逝くのだろうか? 


「……悪くないな、ミカ」


 もう一度、君に会えるなら。それはそれで、いいのかもしれない。

 死に別れるよりも。生き別れるよりも。

 ずっと一緒にいられた方がいい。

 そうだ、ミカ。僕は君のことが――。


 その時、微かな温かみが手に宿った。


「……?」


 短剣が、僕の手中で輝いている。今まで見たことのない、血のように真っ赤な光だ。

 その切っ先が、真っ直ぐにどこかを指している。

 ゆっくりと顔を上げる。そこにあるのは、十字架だろうか? いや、それにしては横幅がない。やや盛り上がった地面に突き立ったそれは、どこか闘志を呼び起こすような気配を伴っていた。


「何だ、これ……」


 ああ、すぐに分かりそうなものなのに。これは、長剣じゃないか。

 僕は短剣を手にしたまま、ゆっくりとにじり寄った。そして、ゆっくりと長剣の鞘に手をかける。

 そこには、小さな窪みがあった。見慣れた形だ。何せ、今僕が握っているものなのだから。短剣である。ここに嵌め込むようにとのことだろうか。


 このまま死ぬか、与えられた最後の力を頼りに生きるか。

 気づいた時には、僕は震える足で立ち上がっていた。


「僕は……生きる……」


 ゆっくりと、長剣に短剣を近づける。


「ミカと……一緒に……」


 カチリ、と金属の埋め込まれる音がする。


「生き延びる……ッ!」


 次の瞬間、長剣の鞘が真っ赤に輝いた。それは、生命感と躍動感に溢れた光だった。

 長剣そのものは、思っていたよりも遥かに軽い。今埋め込んだ短剣よりも軽く感じられる。

 地面から抜き去るのに、何の抵抗も感じなかった。背中に担いで、鞘から長剣を引き抜く。

 そして、まるで傷が癒え、羽が生えたかのように軽々とした足取りで、僕はゴーレムの下へと戻った。


 木陰から出ると、僅かに時が止まったかのような錯覚に囚われた。全員の視線が、僕に集中する。皆、疲労困憊し、誰しもが泥を被り、僅かながらも出血していた。


 僕は視界の中央に、最も巨大な物体――ゴーレムを捉えた。

 脱力し、正眼に長剣を構える。そして、大上段に振り上げた。目を閉じて『気』を窺う。

 こちらに向かってくるゴーレム。やはり俊敏だ。だが、最早それは問題ではない。全ては、時機を逃さないことだ。


 僕はかっと目を見開き、左足を引いて力を込めた。それが膝、腰、肩、腕、そして剣先へと上っていく。

 全ては、整った。そう悟った僕は、思いっきり息を吸い込んで、叫んだ。


「はあああああああ‼」


 振り下ろした、という実感は皆無。身体が勝手に動いたのだ。

 真っ赤な閃光が、ゴーレムの身体の中央を縦に走った。一瞬でその勢いを失するゴーレム。

 

 再び長剣を構えた時には、ゴーレムの巨体は明確に左右に分かれていた。

 倒れ込むかと思われた時には、ドドドドッ、と勢いよく爆散し、しかしその破片は僕たちに当たる前に蒸発した。


 あたりには、光も煙も残っていない。ただ、負傷した皆と、踏み荒らされた地面があるだけだ。

 僕は再び周囲を見渡し、長剣をすっと鞘に納めた。


 僕が長剣を取り落とし、倒れ込んだのは、その僅か後のことだった。


         ※


「……大丈夫じゃ、処置は上手く……」

「こんな出血……魔法でも……」

「我輩を信じ……のか?」


 ぼんやりと復旧する聴覚。どうやら、僕はまだ生きているらしい。そう自覚した直後、全身に痺れるような激痛が走った。


「う、あ……! ぐあっ!」


 僕は身をよじり、痛みという縛りから逃れようと藻掻いた。


「ほーら、やっぱ生き返ったろ? 恋する坊やは強いもんだ」

「呑気なことを言うな、ヴィンク! サント、早く治癒魔法をかけてやってくれ!」

「だからそうすると言っておるわい!」


 僕はもぞもぞと動き続けていたが、それでも治癒魔法は効いたらしい。痛みが消えていく。麻痺するのとは異なり、爽快感を伴っている。


「ぐっ……。はあっ!」


 僕はどっと息をついた。呼吸を忘れている、ということすら忘れていた。


「大丈夫か、ジン!」


 兜を取ったカッチュウの顔が目に入る。


「おい、水!」

「あいよ、あんたが慌ててどうすんだい?」


 やや呆れた調子で、ヴィンクがカッチュウに革袋を放って寄越す。

 左右に首を巡らせると、目をつむり、両手の指を組んで呪文を詠唱するサントの姿があった。


 僕は水色の魔法陣の上に寝かされていた。僕がぼんやり考えたのは、『治癒魔法の行使は大変そうだ』ということ。ケリーを獅子化させて戦わせるのに、呪文なんて必要なかったのに。

 彼女を横目に、僕はカッチュウから水を飲ませてもらっていた。


「あの、ミカは……?」

「相変わらずだ。だが、今はちょうど真夜中だから、もうあまり時間がない。なあヴィンク、できるだけ早く出発を――」

「言われなくとも進めるさ」


 そう言って、ヴィンクは足早にこの場を去っていった。

 その後ろ姿が視界から消えると同時、サントが声をかけてきた。


「痛みは残っとらんか、ジン?」

「あ、ああ、うん。ありがとう」


 僕は自力で上半身を起こし、カッチュウから革袋を拝借した。残量に注意しつつ、自分で水を飲む。


「はあ、はあ、はあ……」

 

 思いの外、息が切れている。胸に手を当てると、心臓の鼓動は確かに続いていた。僕は今も生きている。


「立てるか、ジン?」

「うん、大丈夫」


 僕は試しに背伸びをし、首をぐるりと回してみた。運動にも支障はない。

 その途中、そばに長剣が置かれているのに気づいた。今は発光しておらず、沈黙を保っている。

 そっと手を伸ばし、触れる。握り込み、立ち上がる。相変わらず、それは空気のように軽かった。


「不思議なもんだな」

「えっ?」

「俺が持ち上げようとした時は、それなりに重かったんだが。扱いきれないほどじゃないが、お前のように軽々と扱うのは難しい」

「ふむ……」


 僕は、自分の短剣を長剣の鞘に嵌め込んだことを話した。


「なるほど。この長剣は、お前専用とでも言うべきだな。幸い、俺も『文明の里』から頂戴してきた火器弾薬はたくさんある。しばらくは戦えるぞ」

「それはよかった」


 僕がそう答えると、ちょうど遠くから声がした。


「おーい、野郎共! それとサント! 出航準備が整ったぜ! あとは魔力を少し分けてくれれば、もう飛べる!」

「行こう、カッチュウ! サント、ミカの担架を運んでくれ!」


 こうして僕たちは、ゴーレムの駆逐を完了し、ヴィンクの下へと駆けて行った。

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