第8話

 でも――。


「でも、今ミカを叩いたことについては、よくないことをしたと思ってる」


 そう言って俯く。ミカの表情は窺えない。

 僕は一体、何をしているんだろう? もし僕が、完全に復讐鬼と化してしまっていたとしたら、僕はミカを叩いたことに、何の罪悪感も覚えなかったはずだ。


 そう、罪悪感。それがなければ、村の皆を焚きつけ、共に『神』を倒しに行こうなどと無茶を言い出していたかもしれない。

 だが、実際そんなことは言い出さなかった。


 いいか悪いかは別として、どうやら僕は、冷酷な人間にはなりきれていないらしい。だからこそ、ミカは一緒にいてくれるのかもしれない。

 いや待てよ。どうしてミカの存在が出てくる? 幼馴染だから? 彼女の両親に恩義を感じているから? そもそも彼女の存在自体が、僕にとって大きな割合を占めているのではないか?


 僕はゆっくりとかぶりを振った。長いため息をついて、再び顔を上げる。

 そこにミカはいなかった。村の中央の方に目を遣ると、今まさにミカが叫び声を上げようとしているところだった。


「誰か! 誰か生きていたら返事をして! 助けに来ました!」


 助けに来たというのは語弊があるが、彼女の未熟な治癒魔法でも、ないよりはずっとマシなはずだ。

 しかし、すぐにその叫びは収束してしまう。


「誰か、誰でもいいから、お願い、返事をして……」


 俯き、震えだすその細い肩。僕はミカに近づいて、そっとその肩に手を載せてやろうとした。その時だった。僕の視界の隅で、動くものがあった。


「お、おい、ミカ! 生存者だ!」

「えっ?」


 泣き腫らした目を上げるミカ。


「ほら! って、ミカの家のあったところじゃないか!」


 となれば、生存者が誰なのかは明らかである。


「お父さん……? お父さん!」

「おじさん!」


 ミカに合わせて、僕も駆け出す。

 おじさんは、うつ伏せに倒れていた。腰から下は木材で押し潰されている。


「ミ……ミカ……」


 動けないながらも、おじさんにはまだ意識があった。


「お父さん! 今助けるから!」


 そう言ってミカは瞼を閉じ、右腕を差し出して顔を顰めた。結界魔法の応用で、木材の瓦礫を押し退けるつもりらしい。だが失敗すれば、再びおじさんの上に瓦礫を降らすことになる。

 冷静さを欠いていて、そもそも魔力の充溢していないミカ。彼女にこれだけの量の瓦礫をどかせというのは、無理な相談だ。

 僕はそっとミカを押し退け、その場にしゃがみ込んだ。


「おじさん、聞こえますか? 聞こえていたら、手を握ってください」


 そっと手を差し伸べる。するとおじさんは、ゼイゼイと息を切らしながら、片手を差し出してきた。何かが握られている。


「ジン……。ミカは、いるか?」

「な、なあに、お父さん!」


 僕を押し退け、ミカがおじさんの前に膝を着く。


「ミカ、こ、れを……」


 そっと両手で『それ』を受け取るミカ。布状の何かだ。さらに、その布の中に、青く輝く何かが包まれている。

 僕の記憶の底から、ふっと湧き上がるものがある。それは七年前、あの飛行船が墜落する直前、おばさんがミカに託したものだ。あの時、ちらりと見えた輝きに覚えがあった。


「お父さん、これ……!」

「すまない、ミカ……。お前が、自分では持っていられないと、言うから、お父さんが、代わりに、この魔石と、地図を……」

「地図?」

「……そうだ、これは、ただの布じゃない……、世界を救うための、地図だ……」


 僕は一歩近づいて、その布を見下ろした。何の変哲もない、両手で持てるくらいの小振りな布だ。


「この魔石を、布の上に、翳せば……地図になる。お父さんが、七年前から、少しずつ、魔法で解読を……」


 すると、おじさんの口の端から血が流れだした。もう長くはもたない。


「あ、後は、地図が、導いてくれる……。少しずつ、お前が、続きを解読して、く、れ……」

「お、お父さん……? お父さん!」


 ミカが揺すると、布と魔石は呆気なく地面に落ちた。布はひらりと、魔石はころりと。


「お父さん、お父さん!」

「ミカ、おじさんはもう――」

「離して! お父さん!」


 僕は無理やりミカの肩を掴み、おじさんから引き離した。


「いたっ! 何するの? お、お父さんには時間がないんだよ!」

「無駄だ」

「何言ってるの⁉」

「もう亡くなってる」


 呆然としているミカのそばにしゃがみ込み、僕はそっとおじさんの瞼を閉じた。

 ぺたん、とその場に尻を着くミカ。


「そ、そんな、お父さん……。あたし、これからどうやって生きて行けばいいの……?」


 その言葉に、僕が代わって即答した。


「旅に出よう、ミカ」


 涙と鼻水で歪んだ表情で、ミカが僕に振り向く。


「皆、死んでしまったんだ。僕たちにもう、帰る場所はない。おじさんの――お父さんの遺志は受け取ったはずだ。『神』を殺しに行こう」

「馬鹿言わないで!」


 ミカは突然立ち上がった。


「家族が死んだのは、あなただって同じでしょう? それなのに、まだ何かを殺そうって言うの? もう、ジンは好きなだけワニでも神でも殺してればいいんだ!」

「あっ、おいミカ!」


 呆然とする僕をそのままに、ミカはいつもの獣道へと駆け込んでいってしまった。


「ミカ……」


 どのくらいの時間が経ったのだろう。取り残された僕を正気に戻したのは、他でもないミカの悲鳴だった。

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