第9話【第二章】

【第二章】


「ミカっ!」


 慌てて森に飛び込むと、ミカが背中を大木に押し当てるところだった。その視線の先にいたのは、今までで見たこともない動物だった。

『神』に滅ぼされる前の文明社会で、一度は絶滅したと信じられていた巨大生物。鳥類のような羽毛をまとい、その下には頑強な鱗が垣間見える。何より特徴的なのは、口元に並んだ牙だ。一本一本が、僕の手の人差し指ほどもある。

 間違いない、こいつは恐竜だ。それも肉食の。


 幸か不幸か、僕がミカの名を叫んだために、注意はこちらに向いた。僕とミカ、どちらを先に食らおうかと悩んでいる様子だ。

 ええい、仕方ない。僕は短剣を取り出し、妖光を発した。


「こっちだ、化け物!」


 誘導しながら、慎重に距離を取る。今までのアルマジロやワニと比べ、恐竜は俊敏な様子だ。僕は、自分の身体を木立に紛れ込ませつつ、妖光で恐竜を惹きつける。

 ゴウッ、という短く低い声を上げ、恐竜はこちらに突進してきた。速い。短剣を投擲する間もない。

 僕は大木の陰に身を引っ込めたが、すぐに突き飛ばされた。


「うあっ!」


 呆気なく中ほどからへし折られる大木。

 僕は頭から別な木に突っ込み、一瞬意識が飛びかけた。足の感覚が曖昧だ。力が入らない。迫る恐竜の牙。やられる。こんなところで。今から『神』を殺しに行こうというのに。

 僕が顔を背け、咄嗟に目を閉じた、まさに次の瞬間だった。


 ズタタタタタタタッ。


 重苦しく、小刻みな音が轟いた。異常な音に、鳥たちが一斉に飛び立つ気配がする。

 続いて、ギャオオオオオオオッ、という恐竜の声がした。否、悲鳴だ。


 恐る恐る目を開けると、恐竜がその巨躯を横たえるところだった。微かに火薬の臭いがする。

 待てよ、火薬? そんな貴重なものが、この森の中にあるとは俄かに信じられないが。


 恐竜の身体には無数の小さな穴が空き、血が噴き出していた。

 何とか立ち上がろうと試みる恐竜に、駄目押しの攻撃が入った。ズドン、という、心臓を震わせるような爆音と共に、真っ赤な炎と黒煙に包まれる。


 同時に、何者かの声がした。意味は分からないが、人間のものだ。成人男性のものであると見当はつく。

 その声が『逃げろ』と促しているように思われて、僕は急いで立ち上がった。次の瞬間、二度目のズドン。

 森林内に点在していた岩陰に滑り込み、炎と煙の奔流をやり過ごす。


「一体何なんだ⁉」


 僕が岩陰から様子を窺うと、恐竜は半身の肉を完全に削がれていた。言うまでもなく絶命している。

 凄まじい破壊行為が起こったのは間違いない。だが、ミカは攻撃魔法が苦手だったはず。それに、魔法が行使されたなら、こんな火薬臭はしないはずだ。


 僕は短剣を握り直し、そっと岩陰から半身を出した。より遠くまでを見渡すと、ミカの姿があった。どうやら無事らしい。

 ゆっくり視線を行き来させると、奇妙な人影が視界の中央に捕捉された。


「ん?」


 恐らく、先ほど『逃げろ』と叫んだ人物だろう。僕の気を惹いた点は二つ。

 一つは、長い筒状の物体を掲げていること。そこから白煙が上がっている。もしやあれは、今はほとんど失われたとされる『銃器』だろうか。それも、金属製の弾丸を発射する自動小銃に、爆発物である榴弾を発射する装置が取り付けられたもの。

 もう一つは、その人物が奇妙な装甲を纏っていることだ。これもまた、かつての文明に存在した『甲冑』というものを連想させる。


 じろじろ見つめていると、その人影は、ゆっくりとミカの方へ歩み出した。


「止めろ!」


 僕は叫んだ。何とか感覚を取り戻した足を動かし、駆けて二人の間に割り込む。そして、短剣の切っ先を人影の喉元に向けた。

 歩みを止める人影。すると、彼は自動小銃を背中に掛け、頭部を覆っていた装甲を外した。自分には敵意がないのだと示すように。


 その顔つきは、まだ若かった。二十代後半だろうか。精悍な顔つきをしており、しかし瞳にはあどけなさが残っている。興味津々といった様子で、僕たちを見つめている。

 僕は短剣を構えつつも、ややその切っ先を下げた。


 すると、人影は何やら口から音を発し始めた。声だ。だが、何と言っているのか、さっぱり分からない。僕たちの言葉と共通しているような、していないような、奇妙なうねりがある。


「ジン、ちょっと待って」


 僕の背後から、ミカが顔を出す。彼女もまた、恐怖心よりも好奇心が勝ったらしい。

 ミカは、片手を人影の胸に、もう片方の手を僕の額に当てた。すると、これまた薄紫色の光が、ミカの手先から流れ出した。

 何をしているんだと、尋ねたいのは山々だ。だが、ミカの気を散らすことは許されまい。

 僕は緊張感を保ったまま、ミカの作業終了を待った。


「……一応、これでいいはずなんだけど、二人共、どう?」

「ど、どうと言われてもな」


 その人影の言葉に、僕は驚いた。今確かに喋ったのだ、僕たちに通じる言葉で。


「な、なあ、僕の言葉、分かるのか?」

「おお! 言葉が通じる! 一体何があったんだ?」


 すると、ミカがずいっと割り込んできて得意気に言った。


「お互いの言葉を理解し合えるように、二人に魔法をかけたの。半永久的に保つよ」

「う、うおお! ちゃんと言葉が通じる! よかった、これでひとまず、君たちが敵でないことは分かったよ」


 突然饒舌になる人影。これは交流を持つ好機だろう。


「さっきは、あの恐竜から僕たちを救ってくれてありがとう。あなたが撃ったんだろう、その自動小銃で」

「ああ、そうだ」

「僕はジン、コイツはミカ」

「ちょ、ちょっと! コイツって言わないでよ!」


 ミカがムキになるのを見て、人影は口元を綻ばせた。


「ジン、ミカ、だな。俺は――あれ?」

「どうしたんだ?」


 僕が振り向くと、人影が頭に手を遣り、ガシガシと掻き回すところだった。


「俺、一体何をやってるんだ? いや、俺の名前は……えっと、あれ? あれえ?」


 対応に苦慮した僕が一瞥すると、ミカは人影に問うた。


「もしかしてあなた、記憶喪失なの?」

「記憶、喪失……。あ、ああ、そうかもしれない。気づいたら、この装備をした状態で、森の真ん中に立ってたんだ」


 そこでミカの悲鳴を聞きつけ、救助に来たのだという。


「とにかく、俺は君たちの敵じゃない。そうだな、名前は……仮に『カッチュウ』とでも呼んでもらおうか」

「そうか、よろしく、カッチュウ」

「あ、それはいいんだが、何が『よろしく』なんだ、ジン?」


 僕は考えていた。自動小銃使いの仲間がいれば、心強いということを。

 僕がそのこと、ひいては、自分たちが『神』を殺そうとしているのだということを告げる。するとカッチュウは、『ふむ』と息をついて考え込んだ。


 記憶喪失なのに、何を考える必要があるのか。それを尋ねようとした、その時だった。

 ガシャリ、と人工的な音を立てて、カッチュウの纏った左腕部の装甲が跳ね上がった。

 そこには、何らかの魔法で描かれたかのような図が浮かび上がっている。


「カッチュウ、それは?」

「ああ、何かの地図みたいだな。まだ一部分しか表示されていないが……」

「地図ですって?」


 いつの間にか、ミカがそばに来ていた。思わずドキリとする。気配を消すのは止めていただきたいものだ。

 だが、ミカもまた重要な図を手にしていた。こちらもまた地図で、


「――って、あれ?」


 僕は気づいた。ミカの地図とカッチュウの地図それぞれが、全く同じ図を描いていることに。

 ミカは、魔石で照らし出すことによって、布に刻印されていた地図を浮かび上がらせたらしい。しかし、カッチュウのものと同様、左側、つまり西側しか示されていない。

 現在位置は南西部、地図の端っこになっている。


 しかし、一つ共通して明確なことがあった。どこに向かうべきなのかが、明確に描かれていたのだ。


「魔女の城ね」

「魔女?」


 僕が訊き返すと、ミカは説明した。

 魔法使いの中では伝説として語られている、史上最強の魔法使い。その容姿は不明だが、一般的に男性より女性の方が魔力を多く保持できることから、女性ではないかと言われている。

 また、この伝説となっている時点で、相当高齢なのだろうということも囁かれているそうだ。


 首を傾げているのはカッチュウだ。


「どうやら俺も、ここに向かうべきであるようだが……。くそっ、目的が思い出せない」

「なあ、カッチュウ。少し話を聞いてほしい」


 僕は淡々と、現在の自分とミカの状況を説明した。


「となると、俺と君たちの目標、目的地は一致している、というわけだな?」

「うん。そうだと思う。しばらく共同戦線を張らないか? 僕たちは地の利があるし、あなたには武器がある。お互い助力し合えると思う」

「ふむ、分かった。異存はない。よろしく頼む」


 そう言って差し出されたカッチュウの手を、僕とミカは交互に握った。

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