第10話


         ※


「ひとまず、水の確保だな」


 カッチュウのその一言に、僕とミカは顔を見合わせた。


「人間は、何も食べなくても一ヶ月は生きられる。だが、水は毎日飲まないとすぐにへばる。どこかに水源はないか?」

「水源って……井戸?」


 ミカが呟く。確かに、僕も最初に頭に浮かべたのは井戸だ。だが、僕たちはここから先に進まねばならない。いちいち水がなくなったからといって、村に戻るわけにはいかないのだ。


「ジン、君らには地の利があるんじゃなかったのか?」


 冷静に問うてくるカッチュウ。僕たちを責めるつもりはないようだ。しかし、命を救われた手前、こちらも申し訳なくなってくる。


「そ、それは……」

「ねえ、地図に載ってるよ」


 そのミカの一言に、僕ははっと顔を上げた。カッチュウも目を細め、自分の左腕に見入る。


「なるほど、君らが『魔女』と呼ぶ人物のいるところから、南北に川が流れているんだな」


 相変わらず冷静なカッチュウ。きっと、記憶を失う以前は凄腕の武人だったのだろう。いや、今もか。


「では、まずは水を汲んでこよう。ミカ、君はもう地図は見慣れているな?」

「あっ、はい!」

「それじゃあジン、君がミカを護衛するんだ。革袋に入るだけ水を汲んで来てくれ。できるな?」


 頷いてみせる僕。


「俺は、この恐竜の死体から、食える部分を切除しておく。適当な狩りもやっておこう。今日の晩飯の準備だ」


 なるほど、確かに日は既に傾きつつある。夕方から夜にかけて動き回るのは危険だから、今日はここで野宿というわけか。

 安全に行動するには、残り時間が少ない。だからカッチュウは、自分を含めた三人を二組に分け、それぞれ水と食糧の確保にあたるという計画を立てたのだ。


「で、でも、ジン、途中でこんな動物に出遭ったら……」

「心配要らないよ、ミカ」


 僕はミカと目を合わせた。


「こんなに火薬臭いんだ。森の動物は警戒して、僕たちには寄って来ないよ」

「そう? なら、いいんだけど……ふふっ」

「おい、どうしたんだよミカ? 僕の顔に何か付いてるのか?」


 小首を傾げて笑みをこぼすミカに、僕は一瞬見惚れた。しかし問題は、『何がおかしいのか』ということだ。

 確かに僕は、よくミカにからかわれてきた。だが、何故か今は無性に腹が立つ。理由はよく分からない。分からないのだが、すぐに理解させられる羽目になった。


「珍しいね、ジン。あなたがそんな風に笑うなんて」

「えっ……」


 そうか。僕はいつの間にか笑みを浮かべていたのだ。自分では、ずっと鉄仮面を被っているつもりだったのだけれど。

 それが笑ってしまうなんて、どうしたことだろう。ミカを安心させたかったのだろうか? たかが幼馴染なのに?

 いや、本当に『たかが』などと言い捨てられる存在なのだろうか? 僕はいつの間にか、自分の胸の鼓動が高鳴っているのを感じた。

 この鼓動――もしかしたら、ミカが僕にとって大切な存在なのだということの証明なのではないだろうか。


「おい、どうしたんだ、ジン?」


 気づいた時には、カッチュウが僕の顔を覗き込んでいた。


「え、い、いや、ななな、何でもない!」

「ほう?」


 露骨に顔を顰めるカッチュウ。きっと僕の心配をしてくれているのだろうが、何だかそれはそれで釈然としない。


「ねえ、早く行った方がいいんでしょう、水汲み? ジン、何してるの?」

「あ、ああ、悪い」


 僕は無理やりカッチュウのそばをすり抜け、ミカの下へと駆け出した。


         ※


 僕とミカは、しばらく無言で歩を進めた。獣道から逸れているから、いつもよりも進みにくい。時折、思い出したかのように、パン、パンという音が断続的に響いた。カッチュウが自動小銃で狩りをしているのだろう。


「なあ、ミカ」

「うん?」

「大丈夫なのか、お前?」


『何が?』と尋ねられるかと思ったが、ミカはそんなことはしなかった。話題の中身を察していたのだろう。


「まだ心の整理はつかないけどね」


 同意しようとして、やはり躊躇われた。

 自分の家族が亡くなったという事実。その受け止め方は、それを受け止める人の数だけある。もっと言えば、亡くなったのが親なのか兄弟なのか、それによっても心理状況は異なるはずだ。


 そこにずけずけと踏み込もうとした自分の愚行を、僕は恥じた。


「ごめん、ミカ」


 しかし、今度こそミカは『何が?』と問うてきた。こうなったら、話を進めるしかない。


「その、おじさんが亡くなって、悲しんでるんじゃないかと思って、さ」

「でもジンは、ご両親を一度に亡くしたんでしょう? その方が、よっぽど酷いよ。それに、あたしはお父さんの最期の言葉を聞けたから」


 僕は黙り込んだ。確かに、ミカの言う通りかもしれない。だが、仮に僕の両親が片方でも生きていたとしたら、僕は『神』への復讐など考えただろうか?

 そう、復讐だ。それこそが、僕の生存本能を支えている。一般倫理からは外れてしまうだろうが、それでも僕の心を支えているのが復讐心であることは否定できない。


「ただね」

「うん?」


 ミカの言葉に、僕は考え込むのを止めた。


「せめて、お墓を造ってあげたかった。石ころを積んだだけでもいいから、あたしの大切な人がここに眠ってるんだ、って分かるように」


 気丈にも、そう言い切ったミカ。だが、その声の末尾が震えている。

 そうか。ミカは家族を亡くした悲しみを、今日から克服していかなければならないのだ。


「ごめん。黙ってればよかった」

「そ、そんなことないよ、ジン!」


 がばっと僕の方に振り向くミカ。さっと僕の手を、自分の両手で握り込む。


「ジンがいてくれなかったら、あたし、どうなってたか分からない。同年代で、村の生き残りって、あたしたちだけでしょう? 生存者があたしだけで、話し相手がいなかったとしたら、その方がよっぽど怖いよ」

「そういうものなのか?」

「うん」


 ミカはこくこくと頷いた。


「……なら、いいけど」

「そ。これでいいの」


 それからしばらく、ミカは僕の手を放してくれなかった。


         ※


 夕日が草木を橙色に照らし出す頃になって、川の流れる水音が聞こえ始めた。これは、早めに帰途に就かねばなるまい。


「もう少しだ、ミカ。革袋は?」

「うん。ちゃんと持ってきてる」


 僕は頷き返し、下草を踏み倒しながら森を抜けた。すると、足元から聞こえてきたのはジャリッ、という擦過音。見下ろすと、幅の狭い川べりができていて、目の前には大きな川が流れていた。


「着いたよ、ミカ!」

「うわあ……」


 唐突に開かれた視界に、ミカは感嘆の声を上げた。


「やっぱり涼しいな」


 そう言いながら、僕はゆっくりと川に近づいた。その場にしゃがみ込み、すっと清流に手を入れる。流れは速いが、ごく浅い。すぐ上流に滝でもあるのだろうか。

 試しに一口、水を含んでみる。うむ、異常はない。


「ミカ、革袋を」

「はい!」


 僕はミカから受け取った革袋を川に着け、ゆっくりと水を汲む。流れに向かって逆方向に、革袋の口を向ける。革袋は瞬く間に一杯になり、同じ要領で二、三袋と続けて水を汲む。


「よし、これでカッチュウの言う分の水は確保できた。戻ろう、ミカ」

「あ、あの、ジン」

「どうしたんだ?」


 僕が顔を向けると、ミカは俯いてやや頬を染めた。


「ジンは気にしないだろうけど、汗臭いのって嫌だなあと思って……。できれば、水浴びをしたいんだけど、見張り、お願いできる?」


 僕はガツンと側頭部をぶん殴られたような衝撃を受けた。突然何を言いだすかと思えば……!

 だが、ミカが綺麗好きなのは分かっていたことだ。仕方ない。


「じゃ、じゃあ、早めに済ませてくれよ」

「うん、ありがとう」


 その言葉を受けて、僕はミカに背を向けた。


「あっ、結構冷たいんだね」


 続く水音。ミカは川の中ほどまで入ったらしい。


「中ほどは気をつけろよ、尖った石が転がってるかもしれない!」

「分かってるよ、そんなこと!」


 大声で遣り取りする僕とミカ。全く、何をやっているんだか。

 それからも、ぱちゃぱちゃという水音が、川本来の涼しい音に混じって聞こえた。ミカがどんな格好なのかは考えないように努める。


「おい、まだか、ミカ?」

「女子のお風呂は長いのよ! もうちょっと待って!」


 それを聞いて僕がため息をついた、その直後だった。


「きゃあっ!」

「どうした、ミカっ!」


 ミカの悲鳴に、僕は木陰から飛び出した。水棲の怪物でもいたのだろうか? いや、あんな浅瀬にいるはずがない。対岸に巨大な敵性動物が現れたのか? しかしそれにしては周辺が静かだ。


「ええい!」


 短剣を引き抜き、ミカの姿を探す。そこにいたのは――。

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