第15話

「あのー、サント、様?」

「なんじゃ! 我輩のケリーをこうも簡単に誘惑しおって!」

「ああ、すみません。僕はジン、『神』を殺すために旅をしています」


 すると、サントに大きな変化があった。大きく目を見開いたのだ。


「お主、『神』を殺すと申したのか?」


 真顔で尋ねられ、僕はやや後悔した。あまりにも突然だったのではないかと。

 しかしサントは真顔のまま、問うてきた。


「何か証拠になるものはないのか? お主らが『神』を殺そうとしているという証拠品は」

「これ、でしょうか」


 僕はさっと短剣を抜き、柄の部分を向けて差し出した。

 するとサントは、目を皿のようにしてじっくりと短剣を検分した。


「なるほど。ジン、と言ったな?」

「はい」

「刃こぼれはないのに使い込まれている……。お主、この短剣をいつから?」

「七年前からです。『神』に与えられました。狩りや戦いの道具として使っています」

「ふむむ」


 再び半眼になりながら、サントは考え込んだ。表情から察するに、どうやら先ほどの怒りとはいささかニュアンスが違うようだ。

 それはさておき。


「サント様」

「様付けはいらぬ。逆に呼びづらかろう?」

「じゃ、じゃあサント、これも見てほしいんだ」


 僕はミカに頷いた。ミカも頷き返し、背嚢から地図の刻まれた布と、青い宝石を取り出す。

 すると、今度こそサントはびっくり仰天した。


「はわわわっ! ミっ、ミカ! お主、これを一体どこで⁉」

「あたしの両親が、死ぬ間際にあたしに託したの。ずっと古くから家に伝わるものだったみたいだけれど」


 再び目を見開き、両腕を振るさせるサント。幅広な袖がバタバタと音を立てる。


「これは、『神』を殺すための道具の在り処を示した地図じゃ! 貸してみい!」


 サントは素早く、しかし丁寧に、地図をミカから取り上げた。


「ふむ、ここまで具現化されているのじゃな。残りは我輩に任せておけ!」


 そっと地図を床に置くサント。両手の指を組み合わせ、すっと息を吸い込む。

 すると彼女は目を閉じて、なにやら呪文のようなものを唱え出した。と同時に、地図がこの回廊と同じような、淡い青色に輝きだした。僕たちは慌てて、目の前に腕を翳す。

 それからサントは、僕たちにも分かる言葉でこう言った。


「旧世紀の偉大なる戦略図よ、貴公の正体を明らかにせよ!」


 バシッ! と雷のように、光が迸る。


「そして『神』に立ち向かう我らに、その力を与えたまえ!」


 二度目の輝き。すると光は、急速にその勢いを失っていった。


「さ、サント、今のは……」

「およ? 聞いておらんかったのか、ジン? まあ、仕方あるまい。ほれ。ミカも」


 息切れ一つすることなく、呪文の詠唱を終えたサント。彼女に畏怖の念を抱きつつも、僕はゆっくりしゃがみ込み、地図を覗き込んだ。


 僕とミカは顔を見合わせ、同時にごくりと唾を飲んだ。


「地図が、完成してる……!」


 今現在、僕たちがいるのは『魔女の居城』。地図の左上、すなわち北西だ。そこから真っ直ぐ東に行くと、短い海峡がある。ちなみに地図の中央は、ほとんどが海となっていた。


「渡れるとすると、この海峡に向かうことになるな……」


 地図の右半分、東側は島々があってやや複雑だが、一応目的地らしき部分が光を発していた。


「これは何だ? 『ベテルギウスの弓』?」


 僕は顔を上げたが、ミカは首を横に振った。


「我輩も正体は知らぬ。じゃが、この地図の目的地とされている以上、『神』を打ち倒すにあたって、必要な道具か何かなんじゃろう」

「ふむ……」


 と、僕は唐突に意識が切り替わった。


「って、すごいじゃないか、サント! 魔女の力がこれほどのものだったなんて! これで『神』を殺しに行ける!」


 僕はいつになく、いや、産まれてこの方、一番歓喜していたかもしれない。この憎しみを晴らす機会が、ようやく巡ってきたのだ。


「なあミカ! これでおじさんたちの仇が討てるぞ!」


 しかし、ミカは顔を顰めていた。


「ミカ? 一体どうしたんだ?」

「べ、別に? 何ともないけど?」


 何ともないなら別に構うまい。僕はサントに抱き着きかねない勢いで、喜びを全身で表現した。


「やった! ついに『神』を殺せる! やっつけられるぞ!」


 その時だった。がしゃり、と音がする。振り返ると、カッチュウが膝を着き、再び頭を抱えていた。


「カッチュウさん、大丈夫⁉」


 最初に駆け寄って行ったのはミカだ。しかしカッチュウはすぐに立ち上がり、『何でもない』と一言。それから僕の方へ振り返り、こう言った。


「ジン、今晩の飯を獲りに行くぞ。ついて来い」

「え? あ、はい」


 カッチュウのやや重い口調に急き立てられ、僕はカッチュウに駆け寄り、二人で回廊の階段を上がっていった。


         ※


 長い階段を上ると、そこはさきほど足を踏み入れた森林である。


「今、俺が頭痛を起こした時に感じたのはな、違和感だ」

「は?」


 唐突なカッチュウの発言に、僕は間抜けな声で応じた。


「どのくらい過去のことなのか、あるいは俺の妄想なのか、よく分からん。だが、誰かであれ何かであれ、相手を『殺す』ことを喜ぶのは、何ともな……」


 急に歯切れを悪くするカッチュウ。


「どうしたんです、カッチュウ?」


 僕が促すと、兜の向こうからカッチュウの視線が僕を射抜いた。


「憎しみで何かを殺す、ってのは、子供の在り方じゃない」

「子供?」


 誰のことだ?

 さぞポカンとしていたのであろう僕に、カッチュウは『お前のことだ』と一言。

 次の瞬間、僕の胸中にあった喜びは狼狽に、狼狽は怒りに塗り替えられた。


「ぼ、僕が子供だって言うんですか?」

「そうだ」


 うっ、と言葉に詰まる僕。だが、すぐに反撃した。


「だったら、ミカやサントはどうなんです?」

「サントは正体がよく分からない。今は除外だ。ミカは、お前ほど憎しみを募らせているわけじゃない。お前に付き従ってる、って感じだ」

「そんな馬鹿な!」

「俺にはそう見えるんだがな」


 今更ながら、僕はカッチュウの狙いに気づいた。狩りに行くと言っておいて、本当は僕と二人っきりで話がしたかったのだ。


「カッチュウ、僕はあなたよりも、ミカとの付き合いが長い。だから言えますけど、ミカはそんな他人本位な人間じゃない」

「ふむ、そうかもしれんが、彼女が『自分の意志で』お前とこの危険な冒険に臨んでいる可能性は否定できまい?」

「そ、それは……ミカの勝手です」


 カッチュウはふっ、と息をつき、背後の樹木に背中を預けた。


「いずれにせよ、復讐なんてのは子供がやることじゃない」

「じゃあ何をしろって言うんですか?」

「えっ?」


 今度はカッチュウが言葉に詰まる番だった。


「僕たちは村を二度も焼かれて、その過程で両親を亡くしたんです。僕とミカ、二人で生きていくこともできるかもしれないけれど、それでは僕は『神』の挑戦を突っぱねて、敗北を喫することになる。死んでも御免ですね、そんなの」


 そう僕が言い切ると、カッチュウは、今度はふーーーっ、と長いため息をついた。


「じゃあ、もしミカが反対していたら、お前は冒険には出なかったのか?」

「そ、それは……」


 あれ? おかしい。ミカがいようがいまいが、僕は冒険に出たはずだ。この憎しみは僕のものなのだから。

 だが、ミカがいなかったら、間違いなく僕は死んでいた。


 僕にとって、ミカはどんな存在なのだろう?


「お前、ミカをどう思ってる?」


 ちょうど僕が自身に問うていることをカッチュウに尋ねられて、僕はびくりと肩を震わせた。


「カ、カッチュウは人の心が読めるんですか?」

「馬鹿言え。そんなわけねえだろう」


 砕けた口調で、半ば呆れたようにカッチュウは答えた。


「だが、お前はどうあれ、ミカは間違いなくお前を大切に想っている」

「ぼ、僕には関係ありません。僕は『神』を殺したい。それだけです」

「そうかい。まあ、俺もやることが見つからないし、乗り掛かった舟だからな、できるだけ協力してやるよ」


 自動小銃を背中から下ろし、胸の前で構えるカッチュウ。全く、何が言いたかったのやら。

 僕が額に手を遣り、かぶりを振った、その時だった。殺気が頭上から降ってきた。


「カッチュウ、上!」

「何?」


 さっと自動小銃の銃口を向けるカッチュウ。しかし、相手の反応の方が早かった。


「ぐあっ! な、何だこれは!」


 カッチュウの頭上から降ってきたのは、糸の塊だった。それに四肢を絡め取られてしまったのである。


「今助けます!」


 僕はさっと飛び出して、カッチュウの腕に絡まった糸を短剣で斬ろうと試みた。しかし、できなかった。

 糸が硬いからではない。逆だ。糸が柔らかすぎて、その弾性によって跳ね返されてしまう。だから斬れないのだ。


 すると、木の枝がざわざわと揺れて、犯人がゆっくりと降りてきた。

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