第16話

 節くれだった、毛むくじゃらの足。その先には一本の爪がある。問題は、足の本数だ。二本、三本と下りてくる。

 やがて、ぎょろりとした緑色の目が現れた。いくつもだ。これまた数えてみると、二つ、三つ、四つと増えていく。


 ようやく僕は得心した。こいつは、蜘蛛だ。肉食性の巨大な蜘蛛。木の上から全身を晒したことではっきりした。樹木の上から、僕たちを狙っていたのだ。目は八つあり、一対の鋭利な牙が見える。


「くそっ! 銃が使えねえ!」


 カッチュウは何とか自動小銃を抱えていたが、糸に絡まれて動かせない。

 一体目の獲物が確保できて欲を出したのか、蜘蛛は今度は僕に目を向けた。八つのうち、中央のいくつかがぐるり、と蠢き、僕を捉える。


 蜘蛛はすかさず糸の塊を吐きつけてきた。普通の蜘蛛なら臀部から糸を出すはずだが、それは僕が古文書で得た知識の中での話。常識はずれの怪物は、嫌というほど目にしてきている。


 僕はその糸を横っ飛びで回避。どうにか距離を詰められないかと思案する。

 だが、接近することは、蜘蛛の射程範囲により深く入り込むことでもある。危険だ。一筋縄ではいかない。どうすれば。


 ふっと、殺気を感じた。背後からだ。しかし、僕に対するものではない。僕が短剣を掲げたまま、ゆっくりと振り返ると、殺気の主が咆哮した。


「グルオオオオオオッ!」


 それは、艶のある真っ黒な体毛に覆われていた。逞しい脚部がすらりと伸び、頭部には金色の鬣を有している。黒く輝く、金色の獅子だ。

 

 獅子はするりと僕のそばを通り抜け、蜘蛛に迫る。飽くまでゆっくりと、そして堂々と。蜘蛛が怯む気配を、僕は確かに感じた。

 

 接近されるのを警戒してか、蜘蛛は勢いよく糸を吐きつけた。繰り返し、獅子を包囲するように。しかし、そのいずれもが回避された。獅子が蜘蛛より高く跳躍したのだ。


 蜘蛛は樹木の枝葉の中へと隠れようとしたが、遅い。獅子は落下の勢いのまま、その爪を輝かせながら蜘蛛に斬撃を見舞った。ずしゅり、と生々しい音がして、蜘蛛から真っ青な体液が飛び出す。同時に落下してきた足が二、三本。


 キリリリリリリッ、という金属質な音がした。蜘蛛が悲鳴を上げたようだ。カッチュウのそばに降り立った獅子は、一瞬で樹木を食いちぎった。たった一度の噛みつきで。


「ッ!」


 こちら側に倒れてきた樹木を、再び横っ飛びで回避。カッチュウも何とか転がって、下敷きになるのを免れた。


「おいジン! 何がどうなってる⁉」

「今は静かに!」


 僕は蜘蛛を注視し、警戒しながらも、同時に獅子の機敏かつ勇猛な挙動に見入っていた。

 倒れた樹木の陰から、のっそりと節くれだった足が現れる。続けて目を半分以上潰され、頭部の原型を留めていない蜘蛛の姿が。

 そんな蜘蛛に向かい、獅子は再び咆哮した。それだけで、蜘蛛の足が数本吹き飛ぶのではないかという迫力だ。


 最早獅子にとって、蜘蛛は敵性対象ではない。捕食対象だ。

 二度の跳躍で蜘蛛の頭上に躍り出た獅子は、前足で蜘蛛の頭部を踏みにじり、その背中に当たる部分に勢いよく食いついた。真っ青な鮮血が噴き出し、降り注いだが、獅子の輝きが失せることはない。

 凄惨な光景ではあったが、僕はやはり獅子から目を逸らすことはできなかった。


 しかし。

 食事の真っ最中であるにも関わらず、獅子は顔を上げ、こちらに振り向いた。これには流石に、僕も恐怖を覚える。だが、それも長くは続かなかった。


「ケリー、お戻り! また勝手に餌を獲りに出るなんて!」


 何とも動きづらそうな挙動で現れたのは、サントだった。僕とカッチュウがやって来た方向から、ミカと一緒に駆けてくる。

 しかし、問題点が一つ。


「え? け、ケリー?」


 どういうことだ? ケリーとは、サントと共にいたあの愛くるしい猫のことではなかったのか?


「目を離すとすぐこれなんだから……。我輩を差し置いて食事にあたるなど、眷属の為すことではないわ!」

「な、なあサント? ケリーってもしかして」

「もしかしなくとも、変身くらいできるわ。強くなければ、我輩を守れぬであろうに」


 ああ、先ほど感じた親近感の理由は、そこにあるのか。


「ジン、カッチュウさん、だいじょ……うえっ!」


 流石に青い血など見慣れてはいなかったのだろう、ミカは口元に手を遣って、さっと振り返った。


「ケリー、まだ勝手に食事を続けるなら、もう喉をくすぐってやらんぞ!」


 その一言に、獅子、もといケリーは顔を向けた。蜘蛛の臓器の一部が、牙の隙間から滑り落ちる。

 するとケリーは素早く、しかし静かに歩みを進め、僕のそばを通り過ぎ、サントの前に座り込んだ。

 と思ったら、次の瞬間には金色の光を発し、姿を消した。否、最初に出会った時同様に、可愛らしい猫の姿に戻っていた。


 僕とミカが呆然とし、サントがひとしきりケリーをあやし終えるまで、カッチュウはしばしその場で転がっていた。


         ※


 その後、カッチュウはサントの魔法で蜘蛛の糸による拘束を解かれた。


「ったく、俺を放っておいて、どうしてそんなにはしゃいでいられるかな……こちとら酷い目に遭わされた挙句、放置され続けたんだが」

「だってすごいよ、カッチュウ!」


 僕はいつもの冷淡さを失い、ケリーの頭を撫でていた。幸い、ケリーも僕を仲間と認めてくれているらしい。気軽に身体を触れさせてくれる。

 猫と言うものの存在は知っていた。しかし、こうして手を触れるのは初めてのことだ。


「ところでサント、あれだけ巨大な獅子を操るなら、魔力消費は相当なものなんじゃないか? 大丈夫かい?」

「心配無用! 我輩を誰だと思っておる!」


 高名なる北の森の魔女様、だろう? はいはい。

 そんな遣り取りをしている間、カッチュウは早くも立ち直って、周囲を眺め渡していた。


「ん、まあいいか。ミカ、サントと一緒に結界を張ってくれ。今晩はここで野宿だ。二人共、魔力の残量には気をつけて――」

「だから、我輩は魔女であって、魔力などいくらでも生み出せるわ!」


 するとカッチュウは兜を脱ぎ、真っ直ぐにサントを見つめた。


「魔力について尋ねておいてなんだけどな、サント。お前のその過信は、いずれ自分の足を掬うぞ? 油断禁物、ってやつだ」

「うぐ」


 何年間あの回廊で眠っていたのかは不確かだが、見た目からして、明らかにカッチュウの方が年上だ。それに、まだ若いとはいえ、武人としての貫禄もある。

 サントは自慢話を止めて、ミカと一緒に結界魔法を展開し始めた。


「よし。ジン、俺たちは夕食を狩りに行くぞ」

「あっ、はい」


 僕はミカに一瞥をくれ、『行ってきます』と告げようとした。が、結局は言わず仕舞い。

 何故なら、ミカが妙に不機嫌そうな顔をしていたからだ。唇を尖らせ、魔法の展開もややぶっきら棒に見える。

 一体どうしたのだろう? 


「おい、行くぞ、ジン」

「あ、はい!」


 後ろ髪引かれる思いで、僕はカッチュウの後を追った。


         ※


 夕食を終える頃には、周囲は真っ暗になっていた。が、僕たち四人と一匹の中心には、ぼんやりと薄い青色に輝く光球がぽっかり浮かんでいる。この深い森林の中で、ほぼ唯一、例外的に明るい場所だ。


 今はミカとサントが、敵性動物を警戒して結界魔法を施してくれている。カッチュウはしばらく(というか僕たちと出会って以来)睡眠を取っていなかったようで、すぐに睡魔に捕らわれてしまった。

 サントの存在が、僕たちの戦力・行動力の向上に繋がるものと見て、安心したのかもしれない。


 かく言う僕も、ケリーの背中を撫でながら横になっている。


「ジン、起きてる?」


 微かな声に顔を上げると、ミカが腰を折って僕を見下ろしていた。


「うーん、半分はな」

「じゃあ、残り半分は寝てるんだ?」

「ああ」


 既に目の焦点が合わないほど、睡魔に憑りつかれている。

 

「あたしだって、守られるばっかりじゃないんだよ? ちゃんと結界魔法、張ってるし」


 分かってるよ、そんなこと――そう言って一蹴するのは簡単だった。しかし、それではあまりに冷たすぎる。


「ありがとな、ミカ」


 すると突然、ミカの顔が真っ赤になった。下手をすると、僕が川で彼女の裸体を見てしまった時以上に。


「どうしたんだ?」


 やや意識が覚醒した僕は、顔を上げてミカを見つめた。


「ううん、何でもない。あたしもジンの役に立ててるのかな、って思って」

「馬鹿だなあ、役に立ってるに決まってるじゃないか! 僕が何度、お前に命を救われてきたと思う?」

「そう? あ、ありがと」


 いや、礼を述べるのは僕の方だと思うのだが。

 しかし、この僅かな交流が、結界魔法を展開するうえで僅かな隙を生んでしまった。


 気づいた時には、凄まじい爆音があたりに轟いていた。

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