第28話

「これは……サクラの枝か?」

「サ、サクラ……?」


 あまりに目を見開くカッチュウを前に、僕は尻込みしてしまう。この木の枝がどうかしたのだろうか?


「サクラとは……かつて『日本』という国にあったあの『桜』か?」


 サントが尋ねると、カッチュウはまたいつかのように頭を抱え出した。


「ぐっ! があぁあっ!」

「だ、大丈夫か、カッチュウ!」


 僕が慌てて駆け寄ると、思いっきり突き飛ばされた。今まで見たことのない荒れっぷりだ。

 しかし、カッチュウは黄色の花と桜の枝を傷つけようとはしなかった。自分から遠ざかるようにしている節もある。


「サント、あの黄色い花は?」

「薔薇のようじゃな。かつて世界中で愛された品種の花じゃ」

「か、『かつて』って、どのくらい前なんだ? まさか……」


 意味あり気にサントは一瞥をくれてから、こう言った。


「一千年前、『神』に世界が破壊される前の話じゃな」


 予想はしていた。カッチュウが、千年前の世界を生きていた人間なのではないかと。『神』の暴虐な行為を直接目にしたことがあったのではないかと。

 しかし、それが事実だと認めざるを得なくなって、僕はぞっとした。季節外れの氷柱に、心臓を串刺しにされたかのようだ。


「カッチュウ、あ、あんた、何者なんだ? なあ、コイツは一体……?」


 状況を把握できないヴィンクが、あたふたと僕たちを見渡す。だが、僕やサントだって答えを知っているわけではない。


 サントは魔女だから、博識でもおかしくはないだろう。過去の出来事や文化について知識があっても、不思議ではない。

 しかしカッチュウは、銃火器の扱いに長けている以外は普通の人間のはずである。彼の存在は、あの地図には記載されていなかった。


 やがて息を切らしたカッチュウは、仰向けで大の字に倒れ伏した。


「カッチュウ、だいじょ――」

「俺のことはいい、早く……早くミカに処置を……」


 すると、サントがゆっくりとカッチュウの下に歩み寄った。彼に視線を遣りながら、サントが指示を出す。


「ヴィンク、桜の花を煮詰めて、一刻も早くミカに与えるんじゃ。我輩はカッチュウの手当てにあたろう」

「お、おう、分かった」

「ジン、お主も行け。目覚めたときにお前がそばにいた方が、ミカも安心するじゃろうて」

「ああ!」


 僕は、ヴィンクが運んでくれていたミカの背嚢から、小振りの鍋を取り出した。

 

「ヴィンク、水の量は?」

「任せろ。それよりジン、お前は火を熾せ。焚火くらいの火力で十分だ」


 僕は、今度は自分の背嚢から火打石を取り出し、枯れた下草を集めて火を点けた。その火を中心に石を円形に並べ、急造ながら保温性を確保する。


 ふと、不安になって頭上を見上げた。また『神』に妨害されてはひとたまりもない。

 だが、『神』は姿を現さず、攻撃されることもなかった。


「よし」


 その声に振り返ると、ヴィンクが腰に手を当てて鍋を見下ろしていた。続いて視線をミカの下へ。僕がそんなヴィンクの様子を見ていると、すっと彼女の片手がこちらに伸びた。

 くいくい、と手招きされる。


「どうしたんだ、ヴィンク?」

「このお嬢ちゃんが目覚めたら、お前はすぐに自分の想いを伝えるんだ」

「自分の、想い?」


 何のことだろうか。僕がきょとんとしていると、ヴィンクは露骨に舌打ちをした。


「なっ、何だよヴィンク! 僕はただ質問を――」

「それがカンに障るってんだよ、『坊や』。ったく、何にも分かっちゃいねえ……」


 また『坊や』と呼ばれてしまった。僕にそこまで言われる筋合いはない。


「自分の想い、って何のことだよ? 僕はミカのことが心配なんだ!」

「何故だ?」


 唐突な切り返し。僕は少しばかり言葉に詰まった。


「何故、って……。ぼ、僕がミカを好きでいちゃいけないのかよ?」

「ちげぇよ馬鹿! ちゃんと『好きだ』って言っておかねえと後悔するぞ、って話だ! あたいらは、いつ死ぬかも分からねえんだぞ!」

「なっ……!」


『好き』という気持ちと、『死ぬ』という危険。その対極にあるような言葉の取り合わせに、僕は狼狽えた。


「ヴィンク、あんたはまさか、ミカが死ぬって言いたいのか?」

「だから違う。もしもの話だ」


 やれやれとかぶりを振るヴィンク。僕は無言でいることで、彼女に説明するよう促した。


「具体的な話だが、今ここでお嬢ちゃんが死ぬ、ってことはねえと思う。『神』の気が変わらない限りはな。だが、まだ旅は続くんだろう? あたいは付き合ってやってもいいし、力を貸してやることもできる。だがな、大切な人を亡くした悲しみを癒す、なんて人情深い芸当はできっこねえんだ」


 ヴィンクは一度、くすんと鼻を鳴らした。


「ジン、お前には、あたいの二の轍は踏んでほしくねえと思ってる」

「ヴィンクの二の轍、って……?」

「想いを告げられないまま、目の前で大切な人が死んじまう。そういう経験だ」


 はっとした。そうだ。ヴィンクは片思いの相手を、目の前でゴーレムに殺されたのだ。

 

「相手が爺さん婆さんならまだしも、ジン、それにミカ、お前らはあたいより一回り近く若い。悪く言えば未熟だ。あたいは思ってるんだよ、そんな子供をあたいと同じ目に遭わせたら、感情を制御できずに狂っちまうんじゃねえか、ってな」

「何だとッ!」


 僕は思いっきり拳骨を振りかぶり、ヴィンクの顎を狙った。ヴィンクは長身だから、狙うなら顎。それは僕が無意識に判断したことだ。

 が、ヴィンクの判断はそれよりも遥かに迅速だった。


「よっと」

「うあ!」


 僕は軸足に足払いをかけられ、見事に前のめりになった。反対の足を前に出し、踏みとどまる。しかし、ヴィンクもまた、攻撃体勢に入っていた。次は自分の番だと言わんばかりに。

 見事な肘打ちが、頭上から降ってきた。そして止まった。僕の前髪を揺らすほどの近距離で。


 僕がさらに姿勢を整えるべく出した足を、しかしヴィンクは狙わなかった。後退して、腕を組んでいる。


「ちょっと言い過ぎたみてえだ。悪いな」


 口ではそう言いながらも、その目と声音に反省の色はない。


「だが、相手に自分の気持ちを伝える、ってのは、勇気がある証拠だ。相手のことを本気で思ってる、っていう証になるんだ。それだけは忘れんなよ」


 そう言って、ヴィンクはやれやれと肩を竦めながら、鍋の方に向かった。


         ※



 ヴィンクの様子を見るに、どうやらまだ桜の枝を煮詰める必要があるようだ。

 僕は彼女と顔を合わせることに躊躇いもあり、カッチュウとサントの方へと足を向けた


「これ、カッチュウ! 無理に動くでない!」

「だ、大丈夫だ。すまないな、サント。余計な手間を」

「いや、それは些末なことじゃ。しかし……何か思い出しかけたのじゃろう? もし可能なら、教えてはもらえんか? その内容を」


 カッチュウは兜を脱ぎ捨て、ぺたりと尻を地面に着きながら、語り出した。


「そう、だな……。まだ断片的ではあるが、確かなことだけかいつまんで言えば、俺には妻子がいたらしい」

「奧さんが?」


 僕が話に首を突っ込むと、カッチュウは頷いた。


「それと娘が一人。二人とは、何かが理由で別れてしまい、それ以降は会っていない。きっと俺が武人であることと、無関係ではないだろうな」

「何らかの特殊任務に従事した、ということかの?」

「恐らくは」


 サントの問いに、短く答える。


「確かなのは、俺は妻と娘を心から愛していたということ。その上で、生き別れになってしまったということだ」


 僕は返答できなかった。

 もちろん、自分で家庭を持ったことはない。だが、子供としての立場から、両親と死に別れがどれほど酷いものなのか、それは分かるように思う。七年前、飛行船上で『神』に襲われた記憶は、未だに生々しい。


「それを、この桜や薔薇の花を見て思い出したんじゃな?」


 頷いてからカッチュウは、


「黄色い薔薇は、娘が父の日に贈ってくれたものなんだ。俺がいた世界では、父親の日頃の労をねぎらって、六月のある日に贈り物をする風習があった。その時のことが思い出されてな」

「じゃ、じゃあ、桜の枝は?」

「妻と娘と三人で、春先によく歩いたんだ、遊歩道を。いわゆる桜並木というやつで、実に綺麗だった。その花の散りゆく様は、儚くもあったがな」


 僕は前々から気になっていたことを、思い切って尋ねた。


「カッチュウ、あなたはどこから来たんです?」

「それは、ああ、いや、そこまではまだ記憶が戻っていない。だが、もう少しだという感覚はある。また頭痛に見舞われたら、サント、処置を頼めるか?」

「もちろん、構わんぞ」


 これでこの話は終わりだ。そう言いたげに、カッチュウは兜を被り直し、立ち上がった。

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